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  • 2014.03.05 Wednesday
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エジプト大統領選挙:独裁か、過激派の台頭か、民主主義か

 6月24日、エジプトの選挙管理委員会は、大統領選挙の決戦投票の結果として、イスラーム主義団体「ムスリム同胞団」を母体とする自由公正党(FJP)のムハンマド・モルシ候補の当選を発表しました。ムバラク体制の最後の首相だったアハメド・シャフィク候補が敗れたことは「革命」の象徴にはなるでしょうが、しかし暫定統治を担ってきた軍事政権が大統領権限の縮小を図るなど、イスラーム系候補の勝利は既に新たな火種を招いています。多くの識者やメディアが指摘するように、今後のエジプトは全く予断を許しません。

民主主義の定着における最大の課題は、エジプト国民の忍耐力です。

今回の決戦投票で図らずも明らかになったように、体制転換後のエジプトでは、世俗的なムバラク政権(あるいは1950年代以来の旧体制)を支持していた人々と、イスラーム主義勢力の対立が顕著です。ただし、これは単に「世俗vs.宗教」というイデオロギー対立ではありません

中東に限らず、権威主義的な体制のもとでは、必ずと言っていいほど、体制にアプローチすることで利益を得ようとする人がいます。今回、シャフィク候補の支持者には 、ムバラク政権時代の経済開放で恩恵を受けた富裕層が少なからずいました。アラブ社会でも、法律より人脈やコネがモノをいいます。今回の大統領選挙で「世俗派」と呼ばれた人たちには、前政権時代の縁故ネットワークに属していた、いわば「勝ち組」が多いのです。

これに対して、ムスリム同胞団に代表されるイスラーム主義団体は、世俗的な「独裁者」による支配のもとで、経済的に苦境に立たされた都市貧困層や農村住民に、医療や福祉サービスを提供することで、彼らの間に支持を広げてきたのです。いわば、モルシ候補を支持した人たちは、前政権時代の「負け組」が中心なのです。

そのため、モルシとシャフィクの対立軸は、「世俗vs.宗教」だけでなく、前政権に郷愁を感じるか、あるいは基本的にこれを拒絶するか、という心情的な要素も多分に含んでいるのです。これは両勢力間の不信と憎悪の温床になっています。つまり、今回の大統領選挙は、少なくとも結果的には、封印されていた社会内部の対立を解き放つ効果をもっていたのです。

選管の結果発表の後、モルシ氏は「全てのエジプト人の大統領になる」と述べ、国民の団結を呼びかけました。しかし、蓄積された不信や憎悪が一朝一夕に解消されるはずはありません。「ノーサイド」は夢のまた夢と言っていいでしょう。

それどころか、今後は両者の間の摩擦が、さらに加熱する事態も充分に予想されます。モルシ新大統領が国民融和を重視して前政権派に配慮すれば、自分の支持者たちから反発を招きます。かと言って、前政権時代の経済・外交方針を大幅に転換し、イスラーム化を推し進めれば、支持母体は喜ぶでしょうが、社会内部の亀裂はますます深まります。多くの歴史上の革命では、このような煮詰まった状況を打破するために「独裁者」が登場し、さらに外部に敵を作って国民の一体感を高めるため、戦争に突っ込む、というパターンがみられます。

ムバラク体制のもとでは、このような矛盾や対立が、「秩序」の名の下に封殺されてきました。ただし、政策形成に直接関わることは皆無に近かったので、国民の間には「自分たちの希望が聞かれない」という不満はあっても、「政府は自分たちの希望を聞いたはずなのに、その通りに物事が進まない」というストレスとは無縁でした。これは、多くの独裁体制に共通します。

これに対して、民主的な体制では、自らの要望を表面化させる権利が与えられるのと同時に、そしてそれゆえにこそ、自分たちの要望の全てが希望通りに叶うわけでないというストレスに、常に晒されることになります。これに耐えられなければ、自由を捨て、強い力のもとに集うことに安心感を見出す独裁体制に陥るか、矛盾と対立に穏当な態度を示さざるを得ない民主的な体制を敵視して、体制そのものの破壊を目指す過激派の台頭を促すことになりがちです。

階層や宗派、理念に基づく差異があっても、安易に誰かを「排除すべき敵」と決め付けないことが、全ての市民、国民に政治的権利を認め、民主的な社会を維持するうえで必要です。その忍耐力の有無こそが、体制転換後のエジプトが新たな独裁か、過激派の台頭か、あるいは民主主義の定着か、という明暗を分けることになると言えるでしょう。

選挙制度改革にみる日本の縮図

騰する社会保障費に対応するために、消費税を2015年までに段階的に10パーセントに引き上げる、野田総理が言うところの「一体改革」に民主、自民、公明の各党が基本的に合意しました。その影にかすんでしまっていますが、選挙制度をめぐる協議が三党間で最終的にまとまりきらなかったことは、現在の日本を象徴するようにみえます。

2011年3月、最高裁は前回の衆議院選挙について、一票の価値に最大で二倍の価値があったのは「憲法違反の状態にある」という判断を下しました。今のままで選挙に突っ込めば、いよいよ選挙結果無効という事態にもなりかねません。しかし、消費税引き上げと比較した場合、民主党は自民、公明とのすり併せにほとんど腐心しなかったといえると思います。

6月18日に民主党が衆議院に提出した法案の主な内容は、

・小選挙区は「0増5減」
・比例定数は180を40削減
・比例ブロックを廃止して全国単位に変更
・新たな比例定数140のうち35に連用制を適用

このうち、過疎地など有権者の数が少ない地域の小選挙区を減らす「0増5減」と、比例区議席の大幅削減は、自民党が以前から提案していたないようです。ただし、比例区の削減に公明党は批判的です。他方、小選挙区制と比例制の両方に立候補できる「連立制」ではなく、それぞれを独立させた「連用制」の一部導入といった提案は、公明党が強く要求していた内容ですが、これについては自民党からの異論が根強くあります。いわば、この法案は一種の「寄せ集め」であり、採決されなかったとしても不思議でなく、更に言えば成立させる意思があって提出されたのかすら怪しくなってきます。

選挙制度は、その国の意思決定のあり方を大枠で規定するものです。

イギリス、アメリカ、オーストラリアといった英米圏で広く採用されている小選挙区制は、一つの選挙区から一人しか当選しないため、勝者がはっきりしやすく、結果的に二大政党制に収斂しやすいと言われます。二大政党制は過半数を確保する政党が生まれやすいため、議会で意思決定が迅速に行えるというメリットがある一方、死票が多くなり、少数派の意見が埋もれやすくなるというデメリットもあります。

また、候補に投票するため、政治家と有権者の距離が縮まりやすいのも、小選挙区制の特徴です。アメリカなどでは、それぞれの政治家は「選挙区の代表」であるため、所属する政党に必ずしも拘束されず、議案によっては所属政党と異なる行動をとることも一般的です。そこまでいかずとも、「自分で議席を確保した」という意識が強くなれば、それぞれの政治家にとって政党のもつ重みは小さくなり、いわば結束力の弱い「名望家」の政党になりがちです。民主党や自民党といった大政党の議員のなかに、個別の行動をとることが珍しくないのは、この観点から理解されます。

これに対して、ヨーロッパ大陸の国で多く採用されている比例代表制では、得票数に応じて各政党に議席が配分されます。死票が生まれにくく、社会の幅広い意見を議会に反映させるのに適しているといわれます。一方で、過半数を確保する政党が生まれにくくなり、多くの場合、複数の政党による連立政権が樹立されることになりますが、これは意思決定のスピードを鈍らせ、さらに与党間の調整の結果、多くの妥協を余儀なくされるという側面もあります。

他方で、比例代表制のもとでは、政党の求心力が大きくなります。小選挙区制が政治家本位だったのに対して、比例代表制では各政党の一本化された原則や方針というものが、より重要になってきます。選挙でも政党の名簿順に当選が決まる以上、小選挙区制と比べて、政党の拘束力は強くなり、それぞれの政治家が自由な裁量で行動することは難しくなりがちです。いわば、個々の政治家より先に、政党の理念や原則がある、ということになります。日本で言えば、公明党、共産党、社民党といった、特定の思想信条によって結びついた政党が、議席の多くを比例区で得ていることは、偶然ではありません。

スピード感ある意思決定か、幅広い意見の集約か。政治家個人の意思か、政党の原理・原則か。それぞれに一長一短があることは確かで、どちらが絶対的に優れていると断定することは困難です。そのため、それらをある程度つなぎ合わせることは必要でしょう。

私自身は公明党の支持者ではありませんが、比例代表制は拡充の必要こそあれ縮小すべきでないと思いますし、小選挙区比例代表の「連立制」がいわゆる「ゾンビ議員」の温床になっていたことに鑑みれば、「連用制」の導入に賛成です。しかし、いずれにせよ選挙制度改革案がまとまりきらなかったことは、各政党が自分たちに有利な選挙制度に固執した結果を示します。このままでは、最高裁が「違憲状態」と指摘した選挙制度のもとで、次の参議院選挙が行われる可能性もあります。

翻って、この問題は有権者にも大きな課題を残しています。消費税と比較して、この問題がクローズアップされることは稀でした。その一方で、「議員定数の削減」を求める声はよく聞きます。重要なことは、議員の数ではなく、どのように有権者の意思を政治に反映させるか、であるはずです。その場合、スピードを優先して少数派の意見をある程度抑えることもやむなしと捉えるのか、スピードを犠牲にしてでも多様な意見の発露を重視するのか、その点についての有権者の意思ははっきりしません。

極端なことをいえば、「議員の数を減らして」、「物事をどんどん決める」のがいい政治なら、独裁政治は最高の政治形態ということになります。政治家や政党が自らに有利なゲームのルールにこだわって、つぎはぎの選挙制度を作り出すのは、「党利党略」の批判を免れないでしょう。しかし、同時に、消費者が企業にクレームをつけるように、当事者意識を欠いたままで有権者が困難な二律背反から目を背けて、ひたすら政治家にのみ責任を押し付けても、それは健全な民主主義とは呼べません。社会情勢が閉塞感を増す中、手近なところで妥協を図ろうとするところに、いまの日本の縮図を見出さずにはいられません。

シリア問題の外交的解決は可能か:大国間の落とし所

6月18日、国連シリア監視団(UNSMIS)が活動を一時停止することを発表しました。5月の末以来、シリアでは各地で数十人、場合によっては100人以上の虐殺が相次いでおり、さらに首都ダマスカスでも戦闘が本格化しています。以前に書いたように、体制派と反体制派の衝突はUNSMIS到着後も止まず、さらにUNSMISにそれをやめさせることができない以上、遅かれ早かれ、機能不全に陥ることが予想されていたわけですが、それが現実のものとなりました。これでシリア情勢は、より深刻なステージに入ることになります。

シリアの旧宗主国であるフランスは既に、
武力行使をともなう制裁を国連安全保障理事会に提案する旨を明らかにしています。海外に居住し、アサド体制と敵対してきたシリア人たちの連合体「シリア国民評議会」もまた、欧米諸国に対して、軍事介入を求め続けています。そこには、アナン元国連事務総長の調停が実質的に反故にされつつある状況で、アサド政権といくら交渉しても無駄だという主張とともに、昨年のリビアでそうであったように、できれば外部の力を借りて現体制を根こそぎ破壊することで、国民評議会の主導による新たな国造りを目指したいという考えがあるとみられます。

しかし、フランスや国民評議会の主張は、形勢が不利なようです。

なかでもロシアは、従来通り、アサド政権を支持する立場を崩していません。冷戦期以来の友好関係や、シリア情勢がロシア国内のイスラーム過激派や民主化勢力を刺戟することへの危惧に加えて、もともとロシアは、欧米諸国が実際には自らの利益に関わらない限り関与を控えるのに、いざ政治的・軍事的に介入するとなると「人道」や「人権」といった普遍的大義をかざすことに、強い拒否反応があります。

1999年の旧ユーゴスラビア・コソボ内戦に、NATOはセルビア人による虐殺からアルバニア人を救うという「人道的介入」を掲げて介入しました。しかしこの際、アルバニア人によるセルビア人への攻撃が問題になることは、ほとんどありませんでした。欧米諸国がセルビア人を一方的に「悪者」として扱い、さらに住民投票に基づいてコソボ自治州をセルビア共和国から独立させて親欧米政権の樹立をプロモートしたことは、伝統的にセルビアと友好関係にあるロシアからみれば、庭先を上手くかすめ取られたように映ることでしょう。

もちろん、ロシアが万事を「内政問題」として扱い、アサド政権を擁護し続けることで、結果的にシリアの惨状を解決することを妨げていることは確かです。しかし、いずれにしても、「
虐殺は反体制派がやったこと」というアサド政権の主張を支持するロシアは、余程のことがない限り、安保理で制裁決議が行われたとしても、拒否権を発動すると思われます。やはり内政への関与に神経を尖らせる中国も、これに同調するものとみられます。

一方で、欧米諸国も軍事介入には消極的です。それはロシアや中国、さらにシリアと友好関係にあるイランとの緊張の高まりに対する懸念だけでなく、自らの台所事情によるところもあります。失業率が再び悪化するなかで大統領選挙を目前に控えたアメリカは、クリントン長官が介入の可能性を再三否定しています。世論調査でも、アメリカ国民の
約6割がシリアへの介入に反対しています。前政権からの懸案であるイラクやアフガニスタン、さらにパキスタンでの軍事活動に一定の目処をつけたことを選挙でアピールしたいオバマ大統領にとって、このタイミングでの軍事介入は、財政的、国内政治的に負担が大き過ぎると言えるでしょう。ヨーロッパ諸国にしても、信用不安の連鎖反応に直面するなか、アメリカ抜きで介入に臨むことには、リスクが大き過ぎます。また、そのリスクを敢えて取るには、石油資源などの面で、シリアにはリビアほどの魅力がありません。

こうして、ほとんどの国が介入に慎重になっている状況は、しかし、アサド政権の保護者たるロシアにとって、必ずしも心地良い状態ではありません。

虐殺を生き延びた人がほとんどいないため、その全容が解明されているわけではありません。従って、「虐殺は体制派によるもの」という国連報告を現段階で100パーセント信用することは困難です。しかし、それを斟酌したとしても、この混乱と惨状の最終責任が最高権力者にあることは間違いなく、仮に虐殺に加担してなかったとしても、多くの国民を守れていない時点で、アサド大統領の責任は免れません。それを支持し続けることは、ロシアにとって非難の矢面に立ち続けることを意味します。一方で、自らが拒否権を発動してまで庇護するなかで、アサド政権が停戦合意を順守しない状況は、ロシアからみれば、シリアがロシアの庇護にあぐらをかいているように映るでしょう。言い換えれば、後見役として「庇わざるを得ない」自国をシリアが振り回している、とロシア政府が捉えたとしても、不思議ではないのです。

この環境のもと、ロシア政府は13日、五大国や関係国からなる、シリアに関する
国際会議の開催を提案しました。この提案は、その2日前、アナン元国連事務総長が提案した、イランを含めた関係国からなる連絡調整グループの立ち上げ、という考えに沿うものです。

リビアの時に設置された連絡調整グループは欧米諸国や湾岸諸国などで構成され、国民評議会を正当な交渉相手と認定するなど、少なくとも結果的には、国際的なカダフィ包囲網を敷く枠組みとして機能しました。これに乗り遅れたことで、中ロは「カダフィ体制を擁護し続けた」という立場に置かれることで、イメージ的にも大きなダメージを受けました。

リビアのケースを振り返ると、ロシアが連絡調整グループの立ち上げに通じる提案をしたことは、内乱収拾に関する主導権を欧米諸国に持っていかれないようにするためのものと捉えられます。

また、これは武器提供の疑惑など、アサド政権を支えているという批判を緩和し、「シリアの和平と安定に積極的に取り組んでいる」という国際的アピールの意味合いもあると言えるでしょう。その場合、同時に、ロシア政府はアサド政権との距離を測り始めた、ということができます。つまり、国際的な関与の枠組み作りに動き始めたということは、少なくとも「内政問題」の言辞で押し切ることをロシアが諦め始めたことを意味しており、外務大臣の
アサド大統領退陣を容認する発言とも関連して、「いつまでも無条件に支えてやるわけでない」というプレッシャーをシリアにかけ始めたことを示すものです。

一方で、先述のように、フランスを除いて欧米諸国は軍事介入に消極的な姿勢を崩していません。従って、少なからずシリアに影響力を発揮できるロシアを含めた連絡調整グループの創設は、外交的手段で対応したい欧米諸国にとっても、断りにくい提案です。欧米諸国がイランをメンバーとして認めるかは、イラン自身が核開発疑惑で制裁を受けている状況に鑑みれば、難しいと言わざるを得ません。しかし、それ以外の部分であまり難色を示せば、「欧米諸国がシリアの和平を邪魔している」といった難癖をつけられる可能性があります。

このようにみた時、アナン元国連事務総長のプランに乗ったロシアの提案は、大筋において欧米諸国も拒絶することが困難になると思われます。その場合、外部の支援で現体制を打倒する「リビア型」ではなく、大統領の退任と出国、そして現体制の有力者が暫定的に統治するなかで緩やかに体制転換を図る「
イエメン型」の決着が信憑性を帯びてくると言えるでしょう。ただし、これだけ戦闘と殺戮が大規模化した後では、国民の間の相互不信は根深く、どういう制度であれ順調に体制転換や選挙が実施されるとは予想し難く、その意味でシリアは長期に渡って内戦の後遺症に苦しむであろうことだけは確かなのです。

無人機によるテロリスト掃討作戦は合法的・倫理的か

 4月30日、反テロセンターのジョン・ブレナン議長がワシントンでの講演で、パキスタンなどで行われている、テロリストに対する無人機による攻撃を、アメリカ政府関係者として初めて認めました。ブレナン議長は、遠隔操作の無人航空機によるテロリスト攻撃が、戦略的に「賢明」であるだけでなく、「合法的」で、なおかつ「倫理的に問題ない」と強調しました。

無人機による攻撃が、米兵の犠牲者を減らし、さらに大規模な部隊展開を不要にするという点において、ブレナン議長のいう「戦略的に賢明」であることは、少なくともアメリカの立場に立った時に、理解しやすい主張だと思います。もっとも、米兵による民間人の無差別殺傷事件などもあり、無人機による作戦は、冷戦時代から友好関係にあったパキスタン国内の反米世論に拍車をかけている側面は否定できません。その意味で、「戦略的に」というより、「戦術的に」といった方が妥当かもしれません。

では、「合法的」と「倫理的」に関しては、どうでしょうか。

ブレナン議長によると、「合衆国は国際テロ組織と戦争状態にあり」、合衆国憲法と国内法に基づいて「大統領にはその遂行のための権限が与えられている」。また、「遠隔操作による攻撃を禁止するいかなる国際条約もない」がゆえに「国際法的にも問題ない」という主張でした。

確かに、
「規制する国際法がないのだから法的に問題ない」というのは、少なくとも違法でないのは確かで、法律論としては正当な言い分と言わざるを得ません。

また、
戦争状態であるとするならば、アメリカの国内法では最高責任者たる大統領に必要な措置をとることが認められているでしょう。しかし、その法律の効力はあくまでアメリカ国内で適用されるはずのものです。パキスタン国内での遠隔攻撃を、アメリカの国内法で正当化することは、いささか無理があると言わざるを得ません。アメリカは国家として自国と自国民を守る権利と義務があるとしても、だから了解を得ていない他国での軍事行動が認められる、ということにはならないはずです。ブレナン議長の講演では、国家を防衛するアメリカの主権については述べられていますが、パキスタンの主権については一切触れられていません。これでは、「アメリカの主権は他国の主権に優越する」と公言していると取られても仕方ありません。

一方で、ブレナン議長は遠隔操作による攻撃が「テロリストと民間人の識別を容易にするために、誤爆によって無関係の市民を殺傷する危険性も小さく」、また「米兵の犠牲者も少なくて済む」ので、倫理的に問題ないとも述べています。要するに、「犠牲が少なくて済む」から倫理的に問題ないという論理です。

恐らく、この点こそが、最も議論の余地があるところではないでしょうか。

ブレナン議長の主張に代表されるアメリカ政府の言い分は、「米兵が現地で直接ターゲットに接近するよりも、遠隔攻撃の方がテロリストだけを殺害するのに適している」、さらに「テロリストはアメリカやその他の国で無関係の市民に無差別の殺傷行為を行っているのだから、それを攻撃し、排除することに道徳的、倫理的な呵責は必要ない」という前提に立つと言えます。

国家であれ、個人であれ、危害を加えようとする者から自らを守ることは、権利として認められるべきでしょう。それは自己の生存権、あるいは自然的な生存欲求に叶うものです。ただし、それが「倫理的」かどうかは話が別です。

オバマ大統領自身も所属するアメリカの民主党員の多くは、自覚的にか無自覚的にか、カント的なリベラリズムにイデオロギー的な基盤をもっています。ドイツ観念論の父であるカントは、ロックら英米系の古典的リベラリストと異なり、「自然的欲求」である「幸福の追求」を制約されないことをもって自由とは捉えませんでした。合理的な理性を信奉したカントにとって、自由とは「理性が命じるところの義務として道徳法則に従うこと」に他ならなかったのです。つまり、自然的な欲求であるところの幸福の追求は動物が自然界の法則に従って生きることと変わらず、自然的な欲求を理性で克服することこそ精神を解放し、人間にとっての自由を獲得する営為だとカントは捉えたのです。人間の理性に信頼を置くカントは、国際連合の原型となった、政府間組織の創設による戦争の廃絶の理念を掲げ、現代の国際政治学においてその影響は、人道危機など陥った他国への介入などに見出すことができます。

ところで、カントが強調した道徳法則とは、「汝の意志の格律が、常に同時に普遍的法則の原理とみなされるように行為せよ」でした。つまり、その行動や判断が、何時いかなる時でも通用するものであるようにすることが道徳的であるということです。ウソをつく行為は道徳的でない。それは、ウソをつくという意志を、何時いかなる時も容認することはできないからです。それを認めてしまえば、どんな約束も意味を失います。言い換えれば、自分を例外扱いしないことが、カントの道徳法則の核心なのです。

これに照らして、ブレナン議長あるいはオバマ政権の主張は「道徳的」、「倫理的」と言えるのでしょうか。そうとは言えないと思います。カントの道徳法則に従うなら、「敵だけに標的を絞って殺害することが倫理的」と主張する場合、同じ主張をテロリストがすることも認めなければなりません。現代では、テロ組織もハイテク兵器を駆使しています。仮にテロ組織が遠隔操作でアメリカ政府首脳だけを標的にした攻撃を行った場合、それも「倫理的に問題ない」とブレナン議長は言わざるを得なくなります。アメリカ政府関係者とは、それほど寛容なのでしょうか。つまり、ブレナン議長の主張は、自分(アメリカ)だけを例外扱いしているのであり、その意味でカントの道徳法則に反すると言えるのです。

もちろん、テロ組織の脅威に晒されている中で、その掃討は避けられないと思います。また、その場合に無関係の市民を巻き込まないようにする必要もあるでしょう。さらにまた、アメリカ国内の嫌戦ムードと経済状況に鑑みれば、アフガニスタンやパキスタンでこれ以上米兵から犠牲者を出し続けることは、選挙を控えたオバマ大統領にとって得策ではなく、無人機による攻撃は政権あるいはアメリカにとって現実的な選択と言えるでしょう。

しかし、そもそもカントの道徳法則に従えば、無人機による攻撃であれ、有人機による攻撃であれ、それが自らの生存を確保する必要に迫られたものとして止むを得ない場合であったとしても、「敵を殺すこと」そのものに倫理的価値を見出すことはできません。それを認めてしまえば、敵が自分を殺すことにも、同じく倫理的価値があると承認しなければなりません。つまり、「自分の安全を確保するために敵を殺すこと」は、自然的な生存欲求を満たすために認められるべきではありますが、それを「倫理的」と言うことはできないのです。「遠隔攻撃でテロリストだけをターゲットにすることは、他に被害を出しにくい」というブレナン議長の主張を認めるとしても、それは民間人に多くの犠牲者を出す大規模な掃討作戦よりも「倫理に反する部分が小さい」に過ぎず、「倫理的に問題ない」という主張は認められないのです。

繰り返しになりますが、アメリカも国家である以上、自国を防衛する権利と義務はあります。しかし、それはあくまで自国が生存する権利を遂行しているものであり、そこで倫理的、道徳的な価値を強調することは、政治的には必要であったとしても、実際にそれらをテロリストへの遠隔攻撃に見出すことはできません。むしろ、戦争行為に倫理性を強調すること自体が、自らを過度に正当化するあまり、敵対する者からの反発を強め、無条件の対立を加熱させる側面があるといえるでしょう。

世界ウイグル会議:「蟻の一穴」になるか

5月14日、東京で「世界ウイグル会議」の世界会議が開催されました。日本をはじめ、各国から議員も出席するなか、ラビア・カーディル代表は新疆ウイグル自治区での中国政府による少数民族弾圧を批判し、人権や自由を守らないまま中国が国際社会で確固たる地位を築くことはないと強調しました。一方、中国政府は同会議が開催されないように日本政府に働きかけていましたが、結局カーディル議長をはじめ関係者らにビザが発給されました。これを受けて中国政府は、「中国の核心的利益」を守るようにとの再三の要請が無視されたとして、胡錦濤国家主席が野田首相との会談を事実上キャンセルするなど、影響は各方面に及びました。

中国の少数民族問題としてはチベットがよく知られますが、それと並んで中国政府が神経を尖らせているのがウイグル問題です。中国の西の果て、中央アジア諸国との境界に接する新疆ウイグル自治区は、面積で中国全体のおよそ6分の1を占めます。ここで最大の人口を抱えるウイグル人は720万人以上に上り、中国の55の少数民族のうち最大規模を誇ります。ウイグル人は8世紀には既にこの地に移り住んでいたトルコ系の人々を祖先とし、その多くがムスリムです。文化的な独自性をもつウイグル人たちは、清朝によってこの地が制圧された後も独立を模索し、1944年に「東トルキスタン共和国」の樹立を宣言し、一時はソ連からの承認も取り付けました。しかし、ソ連の影響力伸張を嫌う中国は、1955年に新疆ウイグル自治区を自国の領土として正式に編入し、冷戦の環境下でソ連もこれを黙認したのです。

その後、共産党はこの地に開拓と国境防衛、さらに少数民族管理を任務とする屯田兵組織、「生産建設兵団」を送り込み、それにつれて新疆の人口構成は大きく変化しました。中華人民共和国が樹立された1949年当時、新疆の人口のうち、ウイグル人の75.9パーセントに対して、漢人は6.7パーセントに過ぎませんでした。それが1998年のデータではウイグル人46.4パーセントに対して漢人38.6パーセントと、
漢人の比率が急速に増加したのです。広く知られるように、中国では一人っ子政策がありますが、それは主に都市居住の漢人に限られ、少数民族は適用外です。にもかかわらず、新疆ウイグル自治区における漢人人口比が急速に上昇したことは、東部から漢人が大量に流入したことを示します。

ウイグル人の間に鬱積する反中国感情は、政治、経済、文化の各面に及びます。

【政治】
中国ではウイグルやチベットなど、人口の多い少数民族の居住区は「自治区」となっています。しかし、自治政府は少数民族出身者が要職を占め、さらに教育などでも少数民族の言語が教えられたり、大学入学者に少数民族出身者の枠が設けられるなど、少数民族が優遇されているようですが、他方で自治区制度は漢人・共産党による中央支配の延長線上にあることも確かです。中国では党が政府に優越します。これは中央レベルだけでなく、地方でも同じです。自治区の党書記は北京から派遣され、これが少数民族出身者の多い自治政府を管理・監督するのです。形式的に自治権が認められながらも、実質的には漢人・共産党に支配される状態が、ウイグル人たちに不満を呼んだとしても、不思議ではありません。

【経済】
1990年代以降、中国政府は沿岸部と比べて経済成長の遅れていた内陸部、特に西部地区の重点的な開発を掲げました。「西部大開発」のスローガンのもと、新疆ウイグル自治区にも沿岸部から多くの中国企業が流入しました。これは一面において、過当競争になった沿岸部の企業に、新たな進出先を提供するものでもあったのですが、いずれにせよタリム盆地の天然ガス開発やトルクメニスタンなどからの石油パイプライン建設など、西部大開発の恩恵を新疆住民も享受することができるようになりました。ただし、一方で民族間の所得格差も大きいと考えられます。新疆では漢人が都市に集中し、一方でウイグル人など少数民族は農村部ほどその人口比率が高まります。新疆ウイグル自治区人民政府の統計によると、都市住民の平均所得が5428.91元であったのに対して、農村住民のそれは1473.17元でした。これは直接的に民族間の所得格差を示すものではありませんが、少なくとも漢人と少数民族の間の格差を推し量ることはできます。そして、この所得格差が民族間の摩擦を呼んだとしても不思議ではありません。

【文化】
漢人の人口比率が高まるにつれ、少数民族なかでもムスリムのウイグル人との間に文化摩擦も頻発するようになりました。中国では「信仰の自由」はあっても「宗教の自由」はありません。つまり、個々人が内心で何を信仰するかの自由はあるのですが、例えば集団礼拝などの宗教行 事には多くの規制があります。新疆ではモスクや聖職者が政府直属の「中国イスラーム協会」の管理下に置かれ、政府認定のカリキュラムを経なければ聖職者に はなれません。イスラーム国家サウジアラビアなどでもやはり政府がイスラームを管理していますが、少なくとも公式には社会主義を奉じる中国政府がイスラームを管理することは、「政府による宗教への介入」の様相がより濃いものと言わざるを得ません。また、私も新疆ウイグル自治区に行ったことがありますが、漢人の肉屋では豚肉が平然と売られており、なかにはその頭が転がっていることも珍しくありません。ムスリムのウイグルからみたとき、これは文化的な挑発とすら映ることでしょう。

これらの背景に基づき、新疆ウイグル自治区では冷戦終結後の1990年代の初めから、ウイグル人による暴動やデモが定期的に発生するようになりました。それと並行するように、かねてから国外で活動していた在外ウイグル系団体も活動を活発化させました。それらは大きく二つの系統に大別され、一方には「民族の自決権」といった世俗的な人権規範を掲げるグループが、他方にはイスラームの価値を掲げ武装闘争も辞さないグループがあります。

どちらも1990年代から急速に勢力を拡大させましたが、チベットとの最大の違いは、抵抗運動が一本にまとまっていないことです。今回、東京で国際会議を開いた「世界ウイグル会議」は、世俗主義グループが2004年に集まってできた連合体で、ここに所属しない世俗主義グループもあります。例えば、やはり2004年にワシントンD.C.で樹立が宣言された「東トルキスタン亡命政府」は、「世界ウイグル会議」と距離を置いています。一方でイスラーム系武装組織はイスラーム国家の樹立を目指し、国際世論に訴えるといった手法ではなく、新疆内部でのテロ活動などに重点を置いています。なかにはアルカイダやタリバンとの連携が指摘される組織もありますが、ともあれその活動の手法、目標ともに一枚岩でなく、派閥争いが顕著なところが、在外ウイグル系団体の特徴といえるでしょう。

これら在外ウイグル系団体の活動と相まって、1990年代以降に活発化した新疆内部でのウイグル人による騒乱を、中国政府は「分離主義者に扇動されたテロ行為」と位置づけ、「厳打」と呼ばれる厳罰主義で臨んでいます。
中国政府による発表では、1990年から2002年までの間に、新疆では約200件の「テロ事件」が発生し、162名が死亡し、440名以上が重軽傷を負っています。

2001年以降のアメリカ主導による「対テロ戦争」が華やかなりし頃は、「ウイグル反政府勢力=テロリスト」の主張による中国政府の弾圧は、西側諸国から黙認されてきました。しかし、「対テロ戦争」がやや下火となり、さらに中東一帯で「アラブの春」が吹き荒れた後となっては、少なくともそのレトリックで全てを正当化することは困難です。世界ウイグル会議のカーディル議長が言うように、「強い国家があってこそ個人の権利が守られる。だから強い国家が最優先だ」という中国の人権論が、グローバルな人権規範から大きく逸脱していることは、もはや隠しようがないと言えるでしょう。

一方で、いかに中国への風当たりが強くなろうと、新疆が分離独立することは、現段階において想定できません。いかなる理由であれ、外部の国が、特定の国のなかの一地域の分離独立を支援することは、大きな摩擦を招きます。セルビアのコソボ自治州では、1999年にセルビア人とアルバニア人の全面的な民族間紛争が発生し、NATOの介入によって2008年に住民投票によって独立を果たしました。しかし、これに対してセルビアを支援するロシアは強く反発しており、いまだにコソボを国家として承認していません。内戦という極限状態にまでいたらずとも、地理的に遠く離れた、まして五大国の一角を占める中国の新疆において、欧米諸国がコソボほど力をいれて「分離独立」を支持するとは思えません。

同時に、新疆に暮らす多くのウイグル人たちも、「分離独立」を願っているとは言えないと考えられます。H.S.リーが2003年に新疆で行った調査【Herbert S. Yee (2003) “Ethnic Relations in Xinjiang: A Survey of Uyghur-Han Relations in Urumqi,” Journal of Contemporary China, 12(36), pp.431-452】は、これを裏付けるものといえます。

リーの調査の要点をピックアップすると、

・「自分の民族に誇りをもつか」−「もつ」(ウイグル人:90.6%/漢人:67.4%)

・「改革・開放以来、ウイグル人の生活水準の改善は、漢人のそれより早くなったか」−「同じ」(ウイグル人:49.5%/漢人:46.9%)、「早くなった」(ウイグル人:15.1%/漢人:38.0%)、「遅くなった」(ウイグル人:38.0%/漢人:12.5%)

・「分離独立運動への参加は全ての人々を傷つける(harm)か」−「強く賛成する」(ウイグル人:35.8%/漢人:64.4%)、「賛成する」(ウイグル人:47.9%/漢人:28.2%)

・「分離独立運動への政府の対応は」−「妥当」(ウイグル人:34.9%/漢人:52.2%)、「わからない」(ウイグル人:51.9%/漢人33.9%)

政治的にデリケートな土地でのアンケート調査なので、回答はある程度割り引いて考えないといけませんが、少なくともここからは、ウイグル人の多くが強い民族意識をもち、さらに経済開放による民族間格差を漢人より感じながらも、分離独立運動にも政府の「厳打」にも消極的な姿勢を示していることが確認されるでしょう。

漢人との格差を感じるとはいえ、ウイグル人たちも雇用の機会などにおいて、改革・開放の恩恵をそれなりに享受していることは否定できません。また、先述のように自治区では少数民族の言語で教育を受ける機会が保障されていますが、最近では中国語で教育する漢人の学校に子どもを通わせるウイグル人も珍しくありません。中国語が支障なく使えることが就職などにおいて有利であることが、これを促していると考えられます。つまり、いかに政治、経済、文化の各面で漢人・共産党への不満を募らせているとしても、一般のウイグル人の多くが中国の一部であることに、ある程度の利益を見出していることもまた、否定し難いのです。ですから、頻発するデモや暴動は、「分離独立」を求めるものというより、不満を抱えながらも漢人と共存せざるを得ないことへのフラストレーションの発現と観た方がいいと思います。そうだとすると、「分離独立」の主張は国際社会だけでなく、新疆のウイグル人たちからも受け入れられにくい主張になってきます。

14日の会合で、「世界ウイグル会議」が「分離独立」を正面から掲げず、中国政府による少数民族の抑圧に対する批判に終始したことは、この観点から理解できるでしょう。やはり北京と対立するチベット亡命政府が「独立」から「高度な自治」に主張をシフトさせたことも、同様に内外の支持を得やすいという戦術的配慮があると思われます。つまり、中国における少数民族問題は、「分離独立」ではなく「政治・経済・文化的な民族間格差の縮小」という次元に重点がシフトしつつある、といえるのです。

中国政府は「経済成長を進めることで皆が豊かになれる」と主張しており、その場合の「皆」には少数民族も含まれます。これはつまり、経済成長を進め、その恩恵を行き渡らせることで、民族間の不和も柔らげることができる、という主張です。しかし、漢人同士の間でも、格差の拡大が深刻化していることはよく知られます。また、先述のように、部分的とはいえ経済成長の恩恵を感じるが故にウイグル人が中国の一部であることを是認してきたとしても、半永久的に経済成長を続けることが不可能なことは確かで、「アメ」で少数民族を手なずける手法がいつまでも続けられるとは思えません。

しかし、それでも冒頭で触れたように、中国政府は「内政不干渉」の原則を盾に、頑なな姿勢を崩しません。どこか一箇所でも崩れれば、それは「蟻の一穴」となって、中国全土の少数民族問題を噴出させかねないという危惧があるのでしょう。それは言い換えれば、共産党体制の根幹を揺るがしかねない問題です。故に、今後とも、中国政府が既存の自治区制度を改めることは想像できないのですが、それはウイグル人のフラストレーションをますます増幅させることになると思われます。

改革・開放後の中国は、他に類をみないほどのプラグマティズムで驚異的な経済成長を実現させました。しかし、こと政治的、社会的な問題に関しては、そのプラグマティズムは見事なまでに欠落しています。そして、その状態が続く限り、共産党および中国政府は自縄自縛に陥っていくといえるでしょう。

国連シリア監視団の前途にある暗雲

4月30日、政府・軍による市民の弾圧が続くシリアに、国連平和維持部隊の監視要員第一陣が到着しました。その任務は停戦監視と治安維持にありますが、その前途は多難です。

本来、平和維持部隊は内戦や国家間の武力衝突が一段落し、当事者間で停戦(終戦とは限らない)合意が成立した後、その合意の遵守を双方に求めるため、第三者の立場で紛争地帯に入るものです。1948年から始まった国連の平和維持活動には、五つの原則があります。1.受入れ国の同意、2.派遣国の同意、3.戦闘行為の自制、4.内政不干渉、5.中立不偏、の五つです。これらは要するに、停戦・終戦はあくまでその当事者同士の合意に任せ、国連部隊は戦闘停止が守られ、市民に犠牲が出ないように監視することが主任務で、しかも国連に部隊を出す国、これらを受け入れる当事国、双方の同意に基づくというものです。

つまり、平和維持部隊は紛争の終結を積極的に斡旋したり、まして力ずくで紛争の解決を図るものではありません。これは各国の主権を最大限に尊重する、という基本理念に基づきます。そこに限界があることは言うまでもありませんが、かといって紛争終結への積極的なアプローチをとればいいというものでもありません。

冷戦終結の直後、国連はより積極的な介入を企図し、それを実際にソマリア内戦で実行しました。1993年、B.B.ガーリ事務総長(当時)の発案に基づき、アメリカ軍を中心とする国連部隊が、内戦の最中にあったソマリアに軍事介入し、武装勢力を力ずくで引き分けることを試みたのです。「希望回復作戦」と名付けられたこの強制的な軍事介入は、しかしソマリアの武装勢力の全てから受け入れ表明があったものではありませんでした。そのため、アメリカ軍主体の国連部隊は敵対的な勢力からの攻撃を受け、これに反撃し、結果的に内戦の当事者となって、ソマリア人からの憎悪の対象となってしまったのです。部隊兵士から多数の犠牲者が出るにともない、アメリカと国連は態度を一変させ、2年を待たずにソマリアから撤退しました。その経緯は、映画「ブラックホーク・ダウン」にも描かれている通りです。

泥沼の内戦状態に陥った国で、丸腰の市民が日常的に虐殺される状態は、放置してよいものではありません。しかし、当事者の同意を得ずに強制的に介入する難しさを、国連とアメリカはソマリアで学んだのです。

それから20年近く経った今日、シリアへの国連部隊の派遣は、
国連や西側諸国にとって、ソマリアとはまた違った意味で困難な取り組みになるとみられます。

コフィ・アナン前国連事務総長の仲介もあり、シリアのアサド政権は停戦と国連部隊の受け入れに同意しました。この点で、国連は従来の手順をクリアすることができました。しかし、問題はアサド政権が停戦を宣言しているにもかかわらず、
シリア軍による反体制派と市民への武力弾圧が、ほぼ全く止んでいないことです。つまり、国連シリア監視団(UNSMIS)は、停戦合意が全く守られていない状況下で、武力行使もできず、仲介もできないなかで、停戦合意を遵守させるという、限りなく困難なミッションを課されているのです。

UNSMISの派遣は、派遣そのものにシリア軍による武力弾圧を抑制する効果があるという意見もあります。つまり、国際社会からの更なる非難を避けるため、たとえUNSMISがほぼ丸腰に近いものであったとしても、その目の前で武力行使をすることは控えるだろう、という観測です。しかし、そうであればと願いますが、現実にはUNSMISの監視をかいくぐって、シリア軍による攻撃は続いているようです。UNSMISは300名規模で編成され、もともとそれでシリア全土をカバーするのが困難なうえに、全ての人員がまだ揃ってはいません。

「国連加盟国の主権尊重」の原則のもと、平和維持部隊の規模や編成についても、受入れ国の同意が必要です。アメリカをはじめとする西側先進国とシリア政府の外交交渉の結果、人員が制限され、さらに航空機の使用などにも制限があるなかで、UNSMISの派遣はアサド政権にとって「国連の要請を受け入れた」という内外向けのアピールを可能にした一方、実質的な監視を困難なものにしたといえるでしょう。

シリア政府のこの姿勢は、対外的には中露のバックアップによって可能になっています。なかでも、シリアと伝統的に近い関係にあるロシアにとって、「アラブの春」の余波でアサド政権が崩壊するようなことになれば、中東での足場を失うだけでなく、民主化の波が自分たちの裏庭であるカフカス地域にまで波及するという危惧があります。国内にムスリムや反体制派を多く抱え、「人権尊重」や「民主化」を大義とした西側諸国の介入(その恣意性はここでは置きますが)に危機感を持つという点で、中国も同様です。これに加えて、シリアが核開発を進めるイランと良好な関係にあることも、西側諸国をして強硬な介入を逡巡させる要素となっています。

その一方で、武力活動の停止やUNSMISの受け入れを表明しながらも、これらを実質的に守らないことは、シリア政府が国際的な自らの立場を考え、「面従腹背」が可能という一貫した考え方に沿って行われているとは限らず、むしろアサド政権の内部崩壊を示すものともいえます。

もともと、2000年に34歳で父・ハーフェズの死去によってシリア大統領を継いだアサドは、父親と異なり、軍や治安機関に絶対的な支配力を持ってはいませんでした。政治犯の釈放やインターネット解禁など就任直後のアサドが推し進めた「ダマスカスの春」は、軍や治安機関のサボタージュにより頓挫しました。シリア政府の国連に対する態度と同様に、軍や治安機関もまたアサドに対して「面従腹背」の姿勢を貫いてきたのです。インフォーマルな人的ネットワークの上位に君臨し、既存の縁故主義によって私財を蓄えてきた軍の上層部にとっては、アサド大統領は神輿として必要であってもそれ以上の価値はなく、一方で民主化は自らの立場を失わせるもので、認められるものではありません。国際的に約束しながらも停戦が実現しない状況は、アサド政権内部の「面従腹背」がピークに達していることを示すものであり、ここからシリア政府の末期症状がうかがわれます。

大統領の意思に関わらず、軍や治安部隊が武力活動に消極的であるとするならば、UNSMISによる停戦監視は、いきおい制約を受けます。仮にUNSMISの監視活動が一定の成果をあげたとしても、もはや停戦の遵守すらできないのであれば、その後の治安回復などは望めません。その意味で、昨年までのシリアに戻ることは想像できない状況にきているのであり、早晩UNSMISはその役割の大幅な変更を余儀なくされるとみられます。
しかし、中露は国連安保理での交渉において、武力行使を含む介入に強硬に反対しており、UNSMISの機能強化を国連の枠組みで実施することは、かなり困難です。かといって、中露やイランとの関係に鑑みれば、1999年のコソボのように、あるいは昨年のリビアのように、西側諸国がNATOの枠組みで介入することも考えにくいといえるでしょう。

いわば、進むことも戻ることもできない状況にUNSMIS要員は置かれているわけで、形式的な監視以上の役割を求めるのは非常に困難と言わざるを得ないのです。

IMFの資金基盤強化にみる国際関係の流動化

 4月20日、G20財務相・中央銀行総裁会議で、IMFの資金基盤を4300億ドル以上強化する必要性が各国間で確認されました。同日、早くもオーストラリア、シンガポール、韓国、英国などが資金拠出を確約する生命を出しましたが、その一方で、同じく20日にEUは理事会でもつ8議席のうち2議席を手放す方針を表明しました。のみならず、ラカルド専務理事をはじめ、IMF首脳部はBRICSに代表される新興国の増資に期待を寄せています。これは、国際通貨体制だけでなく、世界のパワーバランスの変化を象徴する出来事です。

ブレトン・ウッズ機関(BWIs)と総称されるIMFおよび世界銀行は、第二次世界大戦の末期に戦後の国際通貨体制を構築するために、米英間で設立が合意されました。その主な任務は、加盟国に対して融資を行うことですが、冷戦時代は西側先進国や西側に近い開発途上国が主な借り手でした。それが、冷戦後は北朝鮮などの一部例外を除いて、ほとんどの国が加盟し、融資の対象となってきました。

ただしBWIsは、決して中立公正の機関として存在してきたわけではありません。その最高意思決定機関である総会での投票に、出資額に応じて投票権を配分する「加重投票制」を採用しているために、大口出資者である西側先進国の意向に左右される傾向が強いのです。1980年代以降、累積債務危機に陥ったアフリカやラテンアメリカの諸国に対して、BWIsは融資と引き換えに財政赤字の削減や規制緩和といった条件を課し、その経済改革を半ば強制してきましたが、それは大口出資者である西側先進国、なかでもアメリカの意向によるところが大でした。IMF、世銀、アメリカ政府の合意がこれら融資対象国の経済政策を左右する状況は、それぞれの本拠地の地名から、「ワシントン・コンセンサス」とも呼ばれてきました。

ところが、ギリシャの債務危機を発端に表面化したEU加盟諸国の財政危機は、融資をテコに開発途上国の内政に先進国が関与してきた状況を、全面的ではないにせよ、逆転させる構図を生んでいます。ヨーロッパの信用不安が拡大するにつれ、「最後の貸し手」としてIMFへの期待が集まる一方、日本を含めて西側先進国の多くは自国のことで手一杯に近い状態です。そのなかで、相対的に安定した経済成長を続ける新興国の増資に対する期待が高まることは、当然といえば当然ですが、それは翻って「加重投票制」の原則のもと、IMF内部で新興国の発言力を高めることをともないます。

既に述べたように、IMFと世界銀行は開発途上国に対して、融資と引き換えに、西側先進国なかでもアメリカの意向を反映させる形の経済改革を事実上強要してきました。1980年代から90年代にかけてのアフリカやラテンアメリカでは、緊縮財政を余儀なくされた各国政府に対して国民の不満が高まり、デモや騒乱も頻発しました。1989年、ベネズエラではIMFからの融資とセットになった緊縮財政にともない、食糧や燃料の価格が高騰し、それが貧困層の生活苦を呼び、結果的に首都カラカスで大規模な暴動にまで発展しました。これに対して、当時のペレス大統領は治安部隊を投入し、276名以上の死者を出しました。それでも、BWIsや西側先進国は融資をタテにドラスティックな経済改革を求め続けました。このような手法が、ベネズエラ国民の多くにBWIsや西側先進国への不満を増幅させ、反米派チャベス大統領の台頭を促すことになった側面は否定できません。いわば、多くの開発途上国にとってBWIsは、西側先進国が「内政干渉」の批判を浴びないようにしながら、間接的に経済改革を強要する組織として映ってきたのです。

それが、ギリシャ債務危機をきっかけに、立場は大きく変わりました。経済改革を求められているのは、いまやEU諸国です。IMFから融資と引き換えに経済改革を求められるギリシャやイタリア、スペインの人々は、かつて外に対して飲むことを求めた「苦い薬」を、今度は自分たちが飲むように強要されているわけです。そして、そのために、西側先進国の多くが、新興国の出資に期待を寄せるようになっています。「加重投票制」の原則に照らせば、それは必然的にBWIs内部における新興国の発言力強化という方向に話しが向かいます。このことは、新興国側も充分に認識しています。20日のG20声明に先立って、19日にはBRICS諸国が会合を開き、そこで拠出の前提条件として発言権の強化が掲げられたことは、その象徴です。

もちろん、合計ではいまだに西側先進国の出資額が多いため、IMFが開発途上国の意向だけで左右されるわけではありません。しかし、西側先進国と異なる外交方針をもつBRICSなどの新興国が、増資にともなって発言力を強化させれば、BWIsが強圧的、一方的な姿勢で開発途上国に臨むことは、かぎりなく難しくなると想像されます。





ただし、その善し悪しを即座に判断することは困難です。一面において、西側先進国が融資をテコに開発途上国の内政に干渉することが困難になれば、それは「主権平等」や「内政不干渉」の原則からいって好ましいことです。しかし、民主制であれ独裁制であれ、いずれの国でも政府は国民からの広範な支持を得るために、ともすれば財政支出を増加させがちです。深刻な財政赤字に陥った国に対して、無条件に融資を行う状況が生まれることは、世界全体を不安定化させます。BRICSなど新興国の発言権強化が、開発途上国に対するBWIsの「甘い」融資の呼び水となれば、それはそれで危険だと言わざるを得ません。

しかし、これらの判断はしばらく後になってみなければ分からないことです。いずれにせよ、現段階において強調しておくべきことは、BWIsで地殻変動が起こりつつあるということ、そして現在の経済環境を反映した新興国の発言力強化は、国際金融の分野で西側先進国が圧倒的な覇権を握り続けてきた状況の転換点を示していることなのです。これはすなわち、その善し悪しはともあれ、世界がさらに流動的になることを示唆しているといえるでしょう。

北朝鮮「人工衛星」実験がもたらし得るもの

3月16日に、4月12日から16日までの間に「人工衛星」を打ち上げると発表して以来、北朝鮮は孤立を深めています。オバマ大統領が韓国の大学での講演において、「瀬戸際外交」がもはや通用しないと北朝鮮政府首脳に対して異例の呼びかけを行ないました。これに加えて、日本や韓国だけでなく、従来は北朝鮮に友好的な中国の胡錦濤国家主席も、「ミサイルより国民の生活を優先すべき」として、既に実験の中止を複数回に渡って求めていることを明らかにしています。また、やはり北朝鮮の後ろ盾となってきたロシアも、メドヴェージェフ首相が 実験の自制を求めるなど、今回は対応に変化がみられます。

周知のように、今年は北朝鮮建国の父、金日成の生誕100周年にあたります。それにあたって、発足したばかりの新体制による支配の正当性を喚起するためにも、北朝鮮政府は国民の生活改善に迫られているとみられます。今年2月に再開したばかりだったアメリカとの交渉で、食糧支援が大きなテーマになったことは、不思議ではありません。そのタイミングでミサイル実験とは、当たり前の思考からすると、自分で自分の首を締めるようなものですが、これは北朝鮮と日米間、そして北朝鮮国内の二つのレベルで考える必要があります。

今さら言うまでもありませんが、自ら危機的な状況を演出し、相手に譲歩を迫るのが、北朝鮮の十八番「瀬戸際外交」です。つまり、今後の交渉において不利な状況が見え始めるなかで、立場のアンバランスをわずかでも解消するためには、敢えてミサイル実験を行い、「それをやめる」ことを交渉材料にするしかないのです。その上で、もらうものをもらったら、あとは約束を事実上、反故にする。これを繰り返せば、北朝鮮は少なくとも日米韓と立場上は対等であり続け、更に中国やロシアの面子を部分的に立てながらも、最終的にはこれらからの独立性をも確保できるのです。わざと理不尽な行動をとることで相手に譲歩を迫り、自らの利益を最大化するという、「非合理性の合理性」を見て取ることができます。ただし、中ロの明らかな反対にもかかわらず、北朝鮮が実験を強行しようとしているところが、今回の最大の特徴です。これは、中ロに対するこれまでの若干の遠慮すらも北朝鮮がなくし初めていることを示すものと言えるでしょう。

他方、北朝鮮の国内に目を向けると、このミサイル実験に体制内の権力闘争の現れをみることもできます。現在の北朝鮮の最高職責は、軍を統括する労働党の「国防委員長」です。これが、あらゆるものより軍事が優先するという、北朝鮮の先軍政治の象徴です。ただし、長い期間をかけて軍に対する支配力を貫徹していった金正日と異なり、金正恩は落下傘式に据えられた名目状の最高責任者に過ぎません。この状況下で、重石がとれた軍が、体制内での自らの強化を図って、これまで以上に軍拡に突き進もうとすることは疑いありません。また、国内政治の変動の結果、核・ミサイルの保有で鼻息が荒い軍の発言力が相対的に向上したことは、対外的には中ロに対する遠慮の低下という側面に繋がっていると考えられます。

金正恩にしても、対外的な冒険主義に加担することは、「飾りもの」として軽んじられないために欠かせません。そうだとすると、各国がいかにプレッシャーをかけたとしても、それによって北朝鮮政府がミサイル実験を中止することは、ほとんどないと思われます。むしろ、北朝鮮国内の文脈で言えば、各国からの圧力が強まれば強まるほど、「外国の妨害に負けない指導者」を演出できることになり、逆にこの状況下で実験を自制すれば、「外国の圧力に屈した軟弱者」となるからです。

仮に実験を取りやめるにしても、内外向けの口実はほとんど見当たりません。「不具合の調整」でロケット発射を延期することは、先進国では珍しくありませんが、国威を内外に示したい北朝鮮にとって、技術力に対するマイナスイメージをひろげることは言えません。「ミサイル」でなく「人工衛星の打ち上げ」で実験を強行しようとしている以上、「外国からのお願いに、我らの首領様が寛大な措置をとってやった」といった類の国内向けの方便も使いにくくなります。人工衛星ならば国際的に権利が認められているので、「寛大な措置」をとる必要がないからです。これらに鑑みれば、北朝鮮政府はまさに退路を絶っており、譲歩することは、極めて考えにくい状況です。

しかし、今回ばかりは、北朝鮮政府首脳の期待通りの成果が得られるかどうかは、定かでありません。中ロは西側先進国による干渉や介入から開発途上国の「独裁者」を保護することで、自らの影響力を保持してきました。その立場からすれば、いかに厄介者であっても、北朝鮮の現体制を容易に見限ることはできません。しかし、それにも限度があります。露骨に中ロの要請を無視してミサイル実験を強行し、朝鮮半島の緊張が高まれば、それは中ロにとっても見過ごせない状況になります。中国やロシアも、無条件に各国の「独裁者」を支援しているわけではなく、自らの利益に反する場合には見限ることもあります。最後の最後でカダフィが切り捨てられたことは、その象徴です。

その意味で、今回のミサイル実験発表をきっかけに顕在化した、誰も支援してくれない状況は、一面において孤立を示しますが、それは他方で、誰も抑制できなくなった北朝鮮が、より向こう見ずな行動に出やすくなる可能性をも意味します。言うまでもありませんが、カダフィやリビアと違うのは、北朝鮮が核兵器を既に保有している点です。これがあるからこそ、中ロはある程度我慢して北朝鮮と付き合ってきたとさえ言えます。しかし、中ロの反対すら押し切ってミサイル発射実験に踏み切ったとき、朝鮮半島情勢はこれまでになく危険なステージに入ると予想されるのです。

Kony 2012への拒絶を考える

フリカ中央部のウガンダで、同国の反政府ゲリラ組織「神の抵抗軍(LRA)」の蛮行を告発し、その首謀者であるジョゼフ・コニー司令官の拘束を訴える短編映画「Kony 2012」が上映されたものの、現地の人たちから強い抗議を受けて中止に追い込まれました。これは、アフリカニストたる私にとっても、少なからず考えさせられる出来事でした。

LRAはウガンダ北部に多く暮らすアチョリ人を中心に構成されるゲリラ組織です。1988年にその実権を握ったコニー司令官は、旧約聖書の十戒に基づく神権政治の樹立とアチョリのナショナリズムに訴え、ウガンダ政府と断続的に戦闘を繰り返してきました。その過程で、ウガンダ政府と潜在的に対立する隣国スーダン政府から軍事援助を受け、ウガンダやスーダンだけでなく、コンゴ民主共和国(DRC)でも活動してきたのです。このようなコニー司令官およびLRAが国際的に問題として認識されるようになったのは、子どもを兵士や性的な奴隷として使用する、ということでした。

1990年代以降のアフリカ各地で発生した内戦では、村々が襲われ、子どもがさらわれ、男の子は兵士に、女の子は性奴隷にされることが頻発しました。少年兵は世界中で約30万人いるともいわれますが、20年以上続くウガンダの内戦では2万人以上がさらわれたともいわれており、とりわけ事態が深刻です。子どもたちは誘拐されるとき、多くの場合に親など近親者を殺され、天涯孤独にされたうえで命令に従順な兵士や性奴隷に仕立てあげられます。また、自分たちの勢力圏に近いエリアでは、LRAに対する恐怖心を植えつけるために、不必要な残虐行為が頻繁に行われており、最近では2008年12月にDRCのファラジェで、幼児を含む住民約480名が虐殺され、200名以上が拉致されました。報道によると、数十人分の死体がバラバラに分割され、現場に散乱していたということです。コニー司令官をはじめとするLRA幹部たちには、2005年に国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が発行されています。

ウガンダ内戦とLRA、さらに子どもをとりまく悲惨な状況を告発したのが、2006年に公開されたドキュメンタリー映画「インビジブル・チルドレン」でした。3人のアメリカ人大学生が、2003年にウガンダで撮影した映像をもとに作成したもので、彼らはその後この問題に取り組むNPOを立ち上げ、子どもたちの社会復帰に取り組んできました。そして、今年3月、2012年中にコニー司令官を拘束するべきだと訴えるキャンペーン「Kony 2012」をスタートさせ、ユーチューブなど動画サイト上で同名の短編映像を公開し、話題となっています。

ところが、冒頭で言ったように、その「Kony 2012」が当のウガンダ人たちから拒絶されたのです。AFPの報道によると、3月13日、LRAの拠点に近い北部リラで行われた野外上映会には、数千人の観客が集まり、その多くはLRAによって手足を切断されるなどの被害を受けた人々でした。しかし、開始からすぐに観客が怒り出し、投石などを行ったため、上映会は中止され、その他の地域でも行う予定だった上映会も中止になったということでした。

果たして、これはなぜなのでしょうか。まさか、娯楽映画を期待して集まったら、物すごくシリアスな内容だったので怒り出した、というようなことではないと思います。だとすると、域外に暮らす者からは自明と思われることが、現地の人にとって必ずしも心地よくない、ということは確かなようです。

私もユーチューブ上で「Kony 2012」を観ました。製作者たちの言いたいことは、大よそ以下の三点に集約できると思います。
・国際社会から見放されているアフリカの小国の内戦にも目を向けるべきである
・コニー司令官を早期に拘束すべきである
・戦闘の犠牲となっている人たち、なかでも子どもへの支援をするべきである
個人的には、これらの言い分に異論はありません。

しかし、問題は、なぜそれが現地の人たちから拒絶されたのか、ということです。やはりAFPによると、上映会に集まった人たちは、映画の内容について「無神経で、ウガンダ北部の過去の姿しか描いていない」、「なぜ、アメリカの白人の子どもたちを映して、地元の人びとが置かれた真の現状を伝えないのか」と口々に批判したということです。

正確なことは、映画を観て怒った彼らに直接聞くことでしか分かりません。しかし、「Kony 2012」を観ていて、思い当たることは幾つかありました。

第一に、確かに全面に出てくるのがアメリカ人の子ども、しかも製作者の子どもである点には、私も違和感を覚えました。冒頭で、製作者の子どもがアメリカのきれいな病院で生まれ、看護師たちに祝福されながら産湯につかる様子を描き、「この国で生まれたこの子は大事にされるだろう」といった主旨のナレーションがあり、その後しばらくして2003年当時のウガンダの情景を写した映像に進みます。製作者の子どもの誕生シーンが、ウガンダの子どもたちの状況との対比を暗示するイントロであることは明らかです。

確かに、平均的に言って、アメリカや、そして日本などの先進国で生まれた子どもの方が、開発途上国なかでもアフリカの貧困国で生まれた子どもより、健康状態や教育水準において恵まれることになる、というのは事実かもしれません。また、先進国で生まれた子どもが、兵士や性奴隷としてゲリラに搾取されることは、ほぼ皆無でしょうし、そういった問題を告発して先進国の視聴者から共感を得たいのであれば、自然なイントロなのかもしれません。しかし、両者の対比を敢えて強調することは、いわば対等の視線ではありません

ハンナ・アレントは、個々人が自らと他者を結びつけるエネルギーについて、以下のように分類しています。「連帯(solidality)は活動を鼓舞し導く原理の一つであり、同情(compassion)は情熱(passion)の一つであり、哀れみ(pitty)は感傷(sentiment)の一つである」。このうち、アレントによると、「同情」は人間同士の間の距離を取り除くもので、他者の苦悩を我が物とすることですが、それであるが故に相手を認識したうえでなければ発揮できません。つまり、それぞれ特殊な個々人に対して生まれる感情であり、一般化することができない、言い換えれば不特定多数の相手には発揮できない能力である、というのです。

これに対して、「連帯」と「哀れみ」は人間の間の感情的距離は保つという点で共通しますが、両者は「弱い人々」の捉え方において決定的に異なります。「連帯」は、例えば「人間の尊厳」といった誰にでも適用できる利害あるいは理念で、複数の人々を、つまり強い人も弱い人も、豊かな人も貧しい人も概念的に包括し、一般化します。これに対して、「哀れみ」は「運と不運、強者と弱者を平等の眼差しで見ることができない」

「Kony 2012」の製作者たちが、この三つのエネルギーのどれに駆られてこの映画を作ったかは、定かでありません。しかし、少なくとも不特定多数の人に訴えかける内容で、さらに先ほどの「アメリカの白人の子どもとウガンダの子ども」の対比は両者の差異を強調するものであり、少なからず「哀れみ」が強いように感じられます。しかし、往々にして先進国の人間は、特に欧米人は忘れがちのようにみえるのですが、アフリカ人も当たり前の人間です。そして、およそ自尊心のある人間にとって、「自分たちが哀れまれている」と思うことが愉快であるはずはありません。その映像が、無意識のうちに自分たちの優位を確信している先進国の人間だけを相手にするだけならいざ知らず、当のウガンダ人たちから「無神経」と言われたことは、故のないことと思います。

第二に−第一の論点に関連するところがあるのですが−物事をあまりに綺麗に色分けしているところが、現地の人たちの反感を買ったと考えられます。子どもが誘拐され、兵士や性奴隷として搾取される。その過程で多くの人間が殺され、手足を切断され、死体をばらまかれる。言うまでもなく、そのような状況を見過すことは許されないでしょう。「Kony 2012」の製作者たちが訴えていたように、域外の国は自分たちの利害に関わらないところには関与しないわけで、それがこの状況を延命させている側面も否定できません。ただし、そのような悲惨な状態を告発することと、「子ども=被害者」「コニー=極悪人」という単純な色分けでストーリーを展開させることは、話しが別です。

少年兵の問題で特に深刻なのは、子どもが被害者であると同時に加害者になる点です。つまり、近親者を殺されてさらわれた点で彼らは被害者ですが、ゲリラ組織で訓練を受け、やがてかつて自分が受けた被害を他者に及ぼすことになるのです。製作者たちはもちろん、そのことをよく知っているでしょう。しかし、この問題を全く知らない人に知らせるという目的のためか、少なくとも映像からは「子どもの二面性」についての言及はほとんどなかったように思います。ポスト・コンフリクトの社会では、このような矛盾と日々向き合いながら、それでも現実と折り合いをつけて生きていかざるを得ません。

同じことは、コニー司令官やLRAについても言えます。ウガンダでは独立以来、クーデタが相次ぎ、軍事政権に抵抗するゲリラ組織もいくつか生まれました。このうち、国民抵抗軍(NRA)を率いたヨウェリ・ムセベニが1986年に実権を掌握し、ウガンダはNRAが国民抵抗運動(NRM)と改称した一党制国家となりました。現在、北部を除いてウガンダは全体的に治安が回復し、経済活動も活発です。その意味で、ムセベニのNRMはウガンダにとっての利益をもたらしたといえます。しかし、NRA/NRMはLRAとの戦闘を続ける過程で、程度の差はあれ、やはりLRAと同様に少年兵を利用し、市民への虐殺行為を行いました。治安回復と経済復興の恩恵を受けながらも、ウガンダの人たちは、これを忘れていないでしょう。これもやはり、ポスト・コンフリクトの社会が抱える矛盾なのです。

これらの矛盾を全て捨象して、「子どもは被害者」「コニーさえいなくなればいい」といった主旨の、極めて単純なキャンペーンで自分たちの国のことを語られることが、ウガンダの人たちの反発を招いたことは、後知恵ですが、当然といえば当然の帰結です。まして、製作者が4−5歳になった自分の子どもに、その顔写真をみせてコニーを「悪人」と教え込むシーンには、私も首を傾げざるを得ませんでした。コニー司令官やLRAを擁護することは全くできませんし、その気も全くありません。しかし、人間社会というものは、定規で引いたように綺麗に割り切れるものではなく、色んな矛盾を抱え込んだ、いびつな物です。もちろん、それを綺麗にしていく努力は必要でしょうが、それは目に付く異分子を排除すれば済むというものではないはずです。それでは、神権政治の樹立を掲げるLRAと同レベルであるだけでなく、さっきの「子どもの二面性」も、「NRMの二面性」も、あるいはその現実の中で生きていかざるをえないウガンダの人たちの苦悩も、全く素通りすることになります。「真の現状を描いていない」と言われたことも、これまた当然ということになります。

「Kony 2012」に対しては、日本で「ウガンダの石油を狙って介入したいアメリカの国策映画だ」と非難する向きもあります。しかし、この非難は的を大きく外しているように思います。そんなことをしなくとも、今のウガンダ政府はもともと欧米諸国と極めて良好な関係にあります。この場合、ウガンダの石油が欲しいだけであれば、わざわざ国際世論に訴えかけたりせずに、静かにアプローチする方が現実的です。その意味で、私自身は製作者たちの善意を疑うものではありません。しかし、善意であるから全てが許されるわけでないことは、これまた言うまでもありません。19世紀にアフリカを植民地化したヨーロッパ人たちも、「遅れた野蛮な土地に文明の光を届ける」という目的を掲げ、少なからず善意に満ちていたのです。先ほどのハンナ・アレントの言葉を借りれば、「哀れみは不運が存在しないところでは存在することができない。・・・・・・さらに、哀れみは一つの感傷であるために、人は哀れみのために哀れみを感じることができる」。

「Kony 2012」の製作者たちは、動画だけでなくソーシャルネットワークが人に働きかける有意性を強調していました。他人の不運に心を痛める感傷そのものは、自然なものだと思います。そして、映像のもつ力は非常に大きいと思います。しかし、その感傷を剥き出しで垂れ流すことは、感傷の無限増幅をもたらします。感傷そのものは、それぞれの個人に対して向けられるものでなく、不特定多数の一般的なものに向けられがちです。言い換えれば、単純化されたイメージとしての「苦悩」に、自らを埋没させることになりがちです。それは対象となる人にとって無礼であるだけでなく、問題解決としては極めて乱暴なものになりがちです。

かつて、バングラデシュの絨毯など繊維産業で児童労働が横行しているという理由で、アメリカの上院議員が議会に、児童労働によって生産されたバングラデシュ製品の輸入を禁止する法案を提出し、可決されました。その結果、バングラデシュの絨毯産業が打撃を受け、働いていた子どもたちが解雇されましたが、彼らの多くは重要な家計の担い手でした。そのため、貧困がより悪化し、あるいは児童売春などが増加したといわれます。これもやはり、「感傷」がもたらした、極めて乱暴な解決策の一つです。

苦悩する人間、あるいはそれがある社会というもののあり方に変更を迫り続けることは、必要な営為です。しかし、それは「そこに自らも関わりがある」という自覚がなければ、リアリティを欠いた善意の押し付けで終わります。遠い国の出来事に理解を至らせることは、なかなか大変です。とはいえ、そこを捨象して「感傷」だけで突き進んだものを現地の人に見せても、そこに対等の視線がない以上、現地の人たちが拒絶したこともうなずけます。当事者たちから受け入れられないものを、外部の人間だけが共感している。そこに、リアリティのない、イメージ化された苦悩に埋没しながらも、自分の問題とは思っていない人間の姿を見出さずにはいられません。

翻って、これはアフリカニストたる自分自身にとっても、重い課題です。相手のことを考えたつもりの自分たちの善意や理念が、相手から拒絶される。私のそれほど多くない経験の中でも、そういったことは確かにあります。そこに「感傷」はないか。自分と相手とを包括する「連帯」があるか。「Kony 2012」をめぐる話題は、そんなことを思い起こさせてくれました。

震災から1年:「正義」の復活

 災から1年が経ちました。改めて振り返れば、この間にこの国は大きく揺れ動いたように思います。特に、「絆」という人との繋がりの大事さを強調する言辞が多くみられるようになりました。しかし、この間の私なりの視点で振り返れば、かなり大げさな言い方で言えば、日本で「正義」が復活したということができます。

哲学の王プラトンは、『国家』のなかで正義の理念を、個々人が「自分の役割を果たすこと」と位置づけています。プラトンが生きた時代、ポリスでは民主政の黄金時代がピークを過ぎ、自由や平等が当たり前のものとなっていました。それがゆえに低所得の市民が富裕市民の富に再分配を求め、ギリシャ伝来の徳である「節度」より個人の自由が優先され、社会全体が求心力を低下させていました。そんななか、プラトンは「自分の役割を果たす」ことで、個々人が社会との一体性を回復し、社会も個人も幸福になれると説いたのです。そのために、全ての個人に等しく求められた徳目こそ、プラトンの言う「正義」だったのです。

震災後の日本では、多くの人がそれぞれの立場で、復旧・復興のために、自分に何ができるかを考えるようになったと見受けられます。多くの人が被災地に直接行ってボランティアをしました。それだけでなく、多くの人が募金や節電に協力してきました。この10数年、日本では格差社会が顕在化し、「無縁死」や「幼児虐待」に象徴されるように家族や人間同士の繋がりが弱まり、自殺者は年間3万人を越えるなど、社会全体の底が抜けたようになっていました。各人が「被災地の復興」という共通目標のために、自分の役割を意識するようになったという意味で、震災のショックは日本で暮らす個々人に、「社会と自分」という視座を取り戻すきっかけになったといえるでしょう。

ただし、何事も表と裏があります。「正義」とて、例外ではありません。プラトンの言う「正義」は、社会の中で個人が果たすべき役割を強調するあまり、逆に個人の「自由」は軽視されることになります。実際、「健全な」民主政が機能していた頃のポリスでは、つまりプラトンが復活を目指した「正義」があったころのポリスでは、官職が定期的なクジで選ばれていました。これを拒絶することはできず、私的な自由は公的な義務の前に従属するものだったのです。そして「公的な立場」を失った者はもはや「人間」とはみなされなくなったのです。

震災後のブログで「柔らかい全体主義」という用語をひねり出したことがあります。祝い事や催し物が自粛され、大学の入学式が中止されたところもありました。「欲しがりません勝つまでは」という標語が頭をかすめるほど、「被災地のことを思え」というプレッシャーは社会全体を覆いました。確かに、自分が帰属する、あるいは在住する国の一部が甚大な被害を受けた場合、その復興に力を貸すというのは、その社会で生きている者の「役割」でしょう。だから、そのプレッシャーは、先ほどの意味で「正義」の立場にあったのです。しかし、古代ギリシャの市民と異なり、現代の日本の人間が、短期的にはともかく、中長期的に私的な自由や幸福を全て犠牲にして、公的な正義のために尽くせるはずがありません。やはりクジで選ばれる裁判員制度で、免除の基準が設けられていることは、これを如実に表しています。

YouTube 上で「サイボーグ009」のテーマ「誰がために」を再生したら(知らない人のために言っておくと、「サイボーグ009」は「正義とは何か」をテーマにした石ノ森章太郎の傑作ですが、これを語り出すと長くなるので今回は省略)、「被災地で活動してる自衛官たちもこんな感じなのだろうか」といった主旨の、思い入れたっぷりの書き込みがあり、物凄くうんざりした記憶があります。案の定、別の人に「サイボーグ戦士と自衛官を一緒にされたら幻滅する」とたたかれていました。後から書き込んだ人の言い分は、私なりに翻訳すれば、「全てを震災に結び付けて語ろうとするな。公的な正義が日常の隅々にまで入ってくるのは窮屈だ」という反応だったと思います。そういう主旨だったとするならば、私もこの人に賛成です。

被災地の復興が大事なことは言うまでもありませんし、被災者の方の生活再建のために政府や各種団体が力を尽くしていることも、充分でないとはいえ、敬意をもちこそすれ、批判するものでは全くないことだけは、強調しておきます。そしてまた、求心力が失われかけていた社会全体に鋳型を生み出し、個々人が社会との繋がりを意識するようになったという意味で、「復興」がもつ「正義」の力は結果的に評価していいと思います。

プラトンの「正義」は、ポリスの頽廃を嘆いた彼の、燃えるような理想主義の産物です。そして、それがその後の哲学の底流になったことは無視できません。

しかし、「正義」が、ときに「自由」とバッティングすることは、さっきのポリスの例からも明らかです。プラトンは「正義」を実現する「理想国家」像を描きました。これを指してE.バーカーは「倫理的共産主義」と呼び、「正義」が「自由」を抑圧することがあると警告しました。もちろん、表と裏があるのは「正義」だけでなく「自由」も同じで、古代ギリシャのポリスは「自由」に傾きすぎた結果、誰も国を守ろうとしなくなり、最終的には専制的なマケドニアという強い庇護者の支配下に入る選択をして滅びました。その結果、「自由」そのものが消滅したのです。ですから、「自由」が「正義」を大きく凌駕していた震災前の日本に戻るのがいいとも言えません。

折衷的といわれようとも、「正義」と「自由」は両方必要なものです。どちらかに傾きすぎた社会は、どちらも健全とはいえませんし、行き過ぎた理念はその理念そのものをも破壊することになると、歴史は示しています。その意味で、「社会のなかで自分が果たす役割」を意識することと、「他者からの介入にさらされない」ことの両立が、今後ますます必要になると思われるのです。


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