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  • 2014.03.05 Wednesday
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クロマグロ取引の禁止は阻止したものの

   ロマグロの国際取引を規制するというモナコの提案が、ワシントン条約締約国会議で否決されました。胸をなでおろしている人も多いかもしれません。今回、注目が集まったマグロ漁規制については、2008年の『対立からわかる! 最新世界情勢』でも取り上げましたが、遅かれ早かれこういった事態になることが予想されていました。今回は水産物輸出を行っている国を中心に、開発途上国の反対が目立った結果、否決に至りましたが、野生生物の保護を目的とするワシントン条約以外の場で、この問題が再燃する可能性があることは、容易に想像されます。


  今回の会議に先立ち、日本政府は「国際取引規制を厳格化することで、違法操業によって獲られたマグロを輸入しない体制をとれば、資源管理は可能だ」と主張して、取引そのものの禁止に反対しました。一応、結果的には多くの開発途上国がこれに乗ってくれた、とみるべきなのでしょう。しかし、国際取引の規制は、水際対策だけでは充分な効果が発揮できません。

  違法なものだとわかっていても、自らの利益を優先させて北朝鮮に核開発関連物資を輸出する企業が後を絶たないように、規制がしかれれば必ずそれを掻い潜ろうとする業者が現れます。違法にとれたものとわかっていても輸入しようとする業者をいかに取り締まるかが、今後の課題となります。しかし、これは容易なことではありません。クロマグロには各国に捕獲割当量が定められていますが、捕獲量を偽って申告することで、捕獲割当量以上のマグロを輸出する業者は数多くいるといわれます。実際、今回のモナコ提案は、市場流通量が捕獲量を上回っていることも指摘しています。


  これに加えて、クロマグロに限らず、流通する魚が正当に捕獲されたものであることを確認するトレーサビリティを強化するためには、一般消費者向けの周知が不可欠です。しかし、近所のスーパーによく買い物に行きますが、一時期鳴り物入りで導入されたエコラベルを目にする機会は、ほとんどありません。また、かつて雨後の筍のように噴出した食品偽装問題では、食品安全委員会の監視体制の不備が指摘されました。消費者庁が設立されたとはいえ、そのスタッフのほとんどは他省庁からかき集めたもので、立ち入り調査などを行う人員が不足する状態に、大きな変化はありません。これで果たして、クロマグロ最大消費国の日本において、そのトレーサビリティをどれだけ確保できるかは、極めて怪しいものとなってきます。

  環境問題に敏感な欧米諸国は地中海・西太平洋でのマグロ漁規制をあきらめていないようです。さっき述べたように、遅かれ早かれ、この問題が再燃する可能性は大いにあります。そのとき、「これだけ厳格に取引規制を行っていて、これだけの成果が出ている」ということを証明できなければ、その主張に正当性は生まれません。しかし、国内行政をみている限り、その道のりはかなり険しいものです。クロマグロ取引規制の問題は、これからさらに難しい段階に入ってくる、と予想されるのです。
 

鳩山氏の離党で政界再編は実現するか

   日、鳩山邦夫氏が自民党を離党しました。「政界再編」をめぐってさまざまな意見・憶測が取りざたされています。果たして、政界再編は実現するのでしょうか。

  自民党の一党優位体制が歴史的な使命を終え、その弊害が目立つようになるにつれ、「政界再編」は日本の大きなテーマとして、しばしば取り上げられてきました。いわゆる「ガラガラポン」で、政党を政策ごとに再編成し、その政党がどういう立場なのか、あるいは何を目指すのかをわかりやすくする、ということです。言い換えれば、政党間の対立軸を明確にすることで有権者が選びやすくする効果が期待されるのです。

  これまでに何度か取り上げてきましたが、自民党は長期政権のもとで、国民の生活水準を引き上げるという極めて実利的な政策を実施することで、農村から大企業に至るまで幅広い支持を取り付けてきました。その結果、政策の実現を目指す政治家予備軍は、多かれ少なかれ自民党に吸収され、内部にはいろいろな主義主張が入り乱れることになったのです。例えば歴代総理でいえば、積極財政で外交的にハト派の宮沢喜一と、消極財政で外交的にタカ派と呼ばれた中曽根康弘の両氏が、同じ政党から輩出されたことは、これを如実に物語ります。いわば自民党政権は、党内の振り子を左右に振ることで、バランスをとり続けてきたのです。

  これは、右肩上がりの経済成長の時代には、大きな問題となりませんでした。むしろ、政策を実現するうえで、政治的安定がプラスの効果をもたらした側面は、小さくありません。しかし、高度経済成長は遠い昔話です。限られた資金やエネルギーをどのように割り振るか、という決定をする際に、幅広い主義主張を備えた独立的な主体が数多くあることは、むしろマイナスの側面となります。特に、それぞれの派閥やグループがそれぞれの主張を行い、執行部に党内のバランスを図らせることは、最終的な結論を「玉虫色」のものにしがちです。ここ4代の自民党総裁は、「オール自民党」的な支持を取り付けて就任しましたが、それがかえって効果的な意思決定を阻害せざるを得ない条件を抱え込ませた、ということもできます。

  他方、民主党もやはり「小さな政府」論者から旧社会党出身者に至るまで、党内のイデオロギーは多岐に渡っており、その共通項は「反・自民」の一点につきます。ですから、民主党政権も遅かれ早かれ、かつての自民党と同様の「守備範囲は広いが穴だらけ」の与党となる可能性があります。その意味で、大枠の考え方で民主・自民の両党を二つないし三つくらいに再統合し直す動きがあるとすれば、それは日本の政治をより見えやすくする契機になるだけでなく、限られた資源の「選択と集中」を可能にする基盤になると考えられます。

  しかし、今回の鳩山氏の離党がその起爆剤になるかというと、全くそうはいえません。鳩山氏と、やはり「新党結成」が取りざたされている与謝野氏や舛添氏との間に、どれほどのイデオロギー的な近さがあるか。例えば、鳩山氏は郵政民営化の見直しに積極的な発言を繰り返していましたが、与謝野・舛添の両氏は基本的に改革支持派でした。この一点をもっても、鳩山氏がいう連携とは、単に自民党の現執行部との折り合いの悪さ以外の何物でもないということがいえるでしょう。仮に、これらとの新党結成が実現したとしても、それは「野合」に過ぎないのであって、その意味で望まれる「政界再編」と今回の騒動は全く別の次元、ということができるのです。



閑話休題 日米間の密約公表がもたらすもの

   米間に核兵器の持ち込みをはじめ、四つの密約があったことが、公式に確認されました。以前からその存在が取りざたされながら、歴代自民党政権が「ない」と言い張り続けてきた密約が確認されたことで、日米関係や日本の核政策は新たな局面を迎えたといえるでしょう。


  のため確認すれば、四つの密約とは、(1)1960年の日米安保条約改定時に、米軍艦船が核兵器を持ち込む場合は事前協議の対象外とする取り決め、(2)休戦状態にある朝鮮戦争(1950〜53)に関して、有事の際に米軍が事前協議なしに日本の基地から出撃することを認める取り決め、(3)1972年の沖縄返還に際して、有事において沖縄の米軍基地に核兵器を再配備することを認める取り決め、(4)やはり沖縄返還に際して、米軍基地跡地の原状回復費400万ドルを日本が肩代わりする取り決め、です。


  れらの密約についての見解は、大きく分けて二つあると思います。一方には「国民をだまし続けたことはけしからん」と批判する意見があり、もう一方には「当時の国際環境において現実的な選択であった」という擁護論があります。このうち、前者の批判は理解できないではないものの、万事を国民に知らしめることが適切かは疑問があります。戦後日本の安全が日米同盟抜きにはあり得なかったという事実は否定できません。そして、冷戦当時の緊迫した国際環境にあって、ソ連や中国といった東側の核保有国や朝鮮半島と隣接する地理的条件から、米軍の「核の傘」への依存があった一方、国民の間に強い反核感情があったことが、「密約」という形に結実したといえるでしょう。


  はいえ、自民党歴代政権担当者たちが展開する擁護論もまた、全て肯定することはできません。百歩譲って冷戦中に密約が必要であったにせよ、それを冷戦終結時に公開しなかったことは、「密約がない」と言い張り続けた自らの保身以外のなにものでもないでしょう。過去の必要性を理解することと、それをもって結局公表しなかったことの責任を追及するなということは、同義ではありません。まして、今回の調査では安保条約改定時の討議記録などについて、存在が確認されなかった文書もあります。これは証拠の隠滅を図ったものと疑われても仕方ないことです。「証拠書類がないから無かったことになる」という論理は、南京事件をめぐる自民党政権の主張を想起させます。文書の欠落は、密約の存在よりむしろ大きな自民党政権の責任として、追求されるべきでしょう。


  て、密約の存在が白日の下にさらされたことは、今後の日米関係にどのような影響を及ぼすのでしょうか。調査結果を受けて、日本政府は核持ち込みに関するアメリカとの事前協議があった場合、「常に持ち込みは拒否する」という政府見解を見直す方向で検討をはじめました。「常に拒否する」という前提があったことが、これに反する核兵器の持ち込みを黙認する密約につながったとするならば、この検討は現実的と評価できるかもしれません。ただし、その一方で非核三原則との原理的な接合は一歩遠のきました。事実上その方向に舵を切りながらも、非核三原則そのものも見直すことになる、ということを民主党政権は明言していません。


  田外相は「過去のことが明らかになることで、政治家がいい加減な決定をできなくなる」という主旨の発言をして、密約を公表する意義を強調しました。この主張は、その通りだと思います。しかし、その一方で多くの国民に不人気なことがらを言わないで既成事実を積み上げるというのであれば、自民党政権と大差ありません。冷戦が終わった今、核兵器がもつ抑止効果もかつてと同じではありません。さらに、国民の反核感情と情報公開要求は衰えていません。政府は未来の人だけでなく現在の人に対しても説明するという、困難な義務を負うことになったのであり、その意味で密約の公表は民主党にとって、開けたはいいがその後で困るという「パンドラの箱」だったのかもしれません。


日本は「課題先進国」か?

   日、NHKのクローズアップ現代で、高齢などのため食べたり飲み込んだりする力の衰えた「嚥下(えんげ)障害」のひとが約100万人おり、その食べる力をどのように回復させるか、という取り組みを紹介していました。やはり、ぼちぼち高齢となってきた両親をもつ身として、関心をもって観ましたが、そのなかでより食べやすい「介護食」の開発が紹介されていました。見た目にも綺麗な介護食は、国際的にも関心を集めており、実際に中国などに輸出する動きもある、ということでした。


  れを観ていて、思い出したのが「課題先進国」という言葉です。東大総長の小宮山宏氏の生み出したこの言葉は、エネルギー、住宅、医療、教育など日本が直面する多くの課題は、他国に先駆けて顕在化しているのであり、やがてそれらが世界の課題となるであろうこと、そして課題先進国であるがゆえに外に解決手段を求められず、自らの創意工夫でこれを克服することで、逆に世界の先端を進むことができる、といった意味を含んでいます。課題ばかりが山積する現代の日本を、逆説的に前向きに捉えるところに、なるほどと感心しました。先ほどの介護食に関しても、課題が先行しているが故に開発されたものが、海外で新たなビジネスチャンスを生んだ一例といえるでしょう。


  方、昨日のクローズアップ現代の前の7時のNHKニュースでトップに取り上げられていたのが、奈良県桜井市で5歳の子供が両親に餓死させられた、という痛ましいニュースでした。子供が乳幼児健診などを受けず、保育所などにも通っていなかったのに、桜井市や児童相談所は事態を把握しておらず、最悪の結末に至りました。児童虐待は増加傾向にあり、昨年は335件にのぼりました。よくいわれるように、これはストレスフルな社会のなかで近親者による虐待が実際に増加しているとともに、それに対する社会の関心の高まりにより、発覚しやすくなったことが原因であると考えられます。


  ころで、虐待をはじめ、ドメスティックバイオレンスなどの家庭内で発生する問題は従来、日本では見過ごされがちでした。それが「問題」として認知されるようになったのはごく最近です。一方、欧米諸国では1980年代頃からこれらが既に社会問題化し、公的機関による関与の仕組みが作られてきました。これに対して、日本でドメスティックバイオレンス防止法が成立したのは2001年。児童虐待に関しても、保護者の拒否があっても裁判所の許可を受けることで、児童相談所が強制的に介入できるようになったのは2008年からです。これらが「課題」として認知されるにいたったのが、ごく最近であるということから、これらの領域において日本は逆に「課題後進国」ということができるかもしれません。


  前、小宮山氏がTVで発言されていたように記憶しておりますが、日本には技術力による課題の解決を志向する傾向があります。地球温暖化問題に関して、省エネ技術やクリーンエネルギー技術が真っ先に取り上げられることは、その象徴です。もちろん、それは重要なことであり、日本が世界有数の技術立国であるという競争力からいっても、無理のない発想です。しかし、その一方で課題を感知し、それを解決するための制度や仕組みを作ることに関しては、全くといっていいほど得手ではないようです。技術者=エンジニアはたくさんいても、制度や仕組みを生み出す社会的エンジニアが乏しいのが、この国の最大の課題なのかもしれません。その意味で、「課題先進国」として日本を捉えることの意義は否定できませんが、その一方で「課題後進国」として海外から学ぶことは、まだまだたくさんあるといわざるを得ないのです。


日本国憲法から考える外国人参政権問題

  今回の国会でひとつの焦点になっているのが、外国人参政権の問題です。永住権をもつ外国人に地方参政権を与えるかどうか、ということですが、与党内でも国民新党が「憲法違反の恐れがある」と明確に反対の姿勢を示し、万一採択されれば連立離脱も辞さないと強気の構えです。この他、自民党からも批判があがっているようです。

  一部のメディアで指摘されているように、外国人に参政権を付与するという提案には、参議院選挙をにらんで、在日コリアンなかでも韓国系の組織である民団からの支持を取り付けようとする小沢幹事長の意図をうかがうことができます。これをもって、「日本が乗っ取られる」というような主張を展開するウヨクもあります。党内の反小沢勢力の台頭もあって、鳩山首相も「何がなんでも今国会でというわけでない」とトーンを弱めています。

  この問題を考えるときに、まず確認すべきは反対派の根拠である「憲法違反の恐れ」という部分です。日本国憲法15条には、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定められています。しかし、その一方で第93条には「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」とあります。今回の問題に関して、クローズアップされるのは、この二つの条項でしょう。

  まず、15条でポイントになるのは、国民固有の権利、という部分です。固有という言葉には、一般的にどんな意味があるのでしょうか。国語辞典をひくと、「,發箸らあるようす。△曚にはなく、それに限ってあるようす。(三省堂国語辞典)」とあります。,琉嫐で捉えれば、「全ての国民にはもともと投票権が与えられている」となります。つまり、この場合は国民以外に投票権を与えないということを明示していない、と理解できます。これに対して、△琉嫐では「国民にしか投票権は与えられない」と捉えられます。「固有」の解釈ひとつで、全く異なる見解が導き出せるのです。

  次に、93条の「住民が」という部分が問題になります。住民とは文字通り住んでいる人という意味です。つまり、国籍は問われていません。ヨーロッパではすでに永住外国人に参政権を付与している国が多くありますが、その根拠となっているのも、やはりこの「住民」概念なのです。国政は国民しか関与できない、しかし地方政治は住民主体であるから、住んでいる外国人にもその権利が開かれるのは当然、という考え方です。ヨーロッパで導入されているのだから、それが正しい、というわけではありません。しかし、国民と住民の概念に明確な違いがあることは確かです。

  15条の「固有」をめぐっては解釈が分かれます。その意味で、国民新党がいうように、憲法違反の可能性は否定できません。しかし、逆に合憲の可能性も否定できません。つまり、どちらとでも取れる文言になっているのですから、あとは政治的立場の問題、ということができるでしょう。そして、93条の規定からは、少なくとも外国人に参政権を付与することが違憲であるという主張を導き出すことは困難です。このように憲法を見直せば、永住外国人に地方参政権を付与することを、少なくとも「憲法違反」を根拠に反対することは無理がある、といえるでしょう。



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