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  • 2014.03.05 Wednesday
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イラン情勢をめぐるチキン・ゲームの行方

ジェームス・ディーン主演の『理由なき反抗』で、中盤のクライマックスとなったのがチキン・ゲームのシーンでした。2人の若者が2台の自動車にそれぞれ乗り、崖に向かって突っ込む。先にブレーキをかけた方が負けで、「チキン(腰抜け)」と呼ばれる。やり方は色々で、2台が正面から突っ込むというものもありますが、いずれにしても先に危険を回避した方が負け、というルールは同じです。「何のためにそんなゲームを」と尋ねるのは野暮というもの。まさに若者同士の、「理由なき」勝負なのです。

しかし、ただひたすら相手より自分が優位にあることを証明したい若者の無謀なゲームと同様の構図は、世界の各地でみられます。核開発をめぐって対立が深刻化する、イランと欧米諸国、なかでもアメリカと、さらにイスラエルは、いまや「チキン・ゲーム」の最中にあると言っていいでしょう。

この問題は昨年11月のIAEA報告書で、イランの核開発疑惑が取り上げられたことを直接のきっかけにしています。翌月には、アメリカ連邦議会が、イラン中央銀行と取り引きのある各国金融機関を規制する法案を可決。これを受けて、日本や韓国、さらに中国までがイランからの原油輸入を一時取りやめるなど、その影響はまさに世界規模に拡大しました。

イラン政府自身は、8月末にテヘランで開催された非同盟諸国首脳会議でも「世界の非核化」を主張しており、自国の核開発疑惑を一貫して否定しています。その一方で、平和目的の原子力開発自体は「国家としての権利」として譲りません。これを「信用できない」と捉えるのは、欧米諸国だけでなく、パレスチナ問題をめぐって敵対するイスラエルも同様です。イランは、やはりイスラエルと敵対するシリアや、レバノンの反イスラエル武装組織「ヒズボラ」を支援しており、両陣営の相互不信はいわゆる「文明の衝突」の様相を呈しています。

とはいえ、イランも欧米諸国も、自らの優位や正当性を確保することに高い優先順位を置きながらも、それを得るために正面衝突することは避けたいところです。イランからみて、欧米諸国と敵対し続けることは、経済制裁の対象となり続けることを意味します。9月30日、イスラエル財務相は「イラン経済が崩壊寸前」という観方を示しました。同様の見解はアメリカ国務省も示しています。少なくとも、主要な輸出品である原油の販売先が限りなく制限される状況が半年以上続いているなか、イランの通貨リアルの対ドル相場は9月末の一週間で25パーセントも下落していることに鑑みれば、核(原子力)開発を放棄しない状況がイランにマイナス要素をもたらしていることは確かです。

一方で、欧米諸国にとってもイランへの制裁は両刃の剣です。原油価格が相変わらず高止まりを続ける状況下、世界第二の産出国イラン産の原油が国際市場に出回らないことは、より一層原油価格を押し上げる効果があります。このなかで、既に経済制裁のほころびは見え始めています。韓国は9月末、イラン産原油の輸入再開に踏み切りました。経済的な側面だけでなく、イランを追い詰めすぎることは、イラン政府だけでなくイラン国民の反欧米感情を増幅させる効果も持ち合わせているため、より不測の事態を招く危険性すらあります。

一方で、イラン政府にしても、欧米諸国政府にしても、おりしもイスラームの預言者ムハンマドを侮辱する映像をめぐって、相手に対する不信感が国民の間に根深くあるなかでは、簡単に勝負を降りるわけにもいきません。それをすれば、自分たちが自国民から非難され、特にイランの場合は体制そのものの正当性にかかわってくるからです。

以上に鑑みれば、イランと欧米諸国はできるだけ早く勝負を終わらせたいけれども、自分からはやめることはできず、相手にプレッシャーをかけ続けざるを得ず、そのなかでできるだけ早く相手が「参った」というのを期待している状況だといえます。つまり、チキン・ゲームと同じ構図です。

このなかで、外交的に問題を処理することは可能なのでしょうか。国連総会で、オバマ大統領はイランの核開発を決して容認しない立場を改めて強調した一方で、イスラエルが対イラン政策において設定を求めた「レッドライン(超えてはいけない一線)」については触れませんでした。これは「イランのウラン濃縮が半年以内に核開発に可能なレベルまできている」と主張し、欧米諸国よりさらに危機意識が強いイスラエルが暴発するのを、アメリカが抑えようとしていることを示します。しかし、これはせいぜい対立が引火するのを先延ばしにする効果しかありません。

経済制裁の効果によってイランが内部崩壊するのが早いか、イランの核開発が早いか、あるいはまた、それにしびれを切らしたイスラエルが先制攻撃するのが早いか。いずれが早いとしても、チキン・ゲームの過熱によって、イランをめぐる対立が今後急速に安定に向かうことは想像し難く、どのような形であれ、近い将来に戦火が起こるのは避けにくい状況にまできているといえるでしょう。

もっと「宣伝すべき」というけれど

  フリカからみると、日本は間違いなく「西側=欧米」の一部で、その援助形態に違いがあるといった認識は、専門家でもほとんどもっていません。南アフリカで有名な研究機関を訪れ、議論したときに、「日本の援助は欧米とは違う要素がある」というと、向こうの研究者は驚いた顔をしていました。

 実際、例えば欧米諸国が2000年代に国際協力や開発援助の理念に「貧困削減」を据え、教育や医療といった社会サービスに力を入れているのに対して、日本の外務省の方針は「経済成長を通じた貧困削減」です。つまり、教育や医療の重要性を強調すると同時に、国家全体の経済成長による所得の向上も無視してはいけない、というものです。

 外務省の方針を擁護するなら、確かに全員が健康で識字能力が高まったとしても、それに見合う雇用機会が得られないならば、逆に社会不安が高まりがちです(一般的に、教育水準が高くなるほど、二次産業、三次産業への就労を目指す人が増える傾向があります)。その意味で、健康、教育水準が上がるにともなって雇用機会を創出するために経済成長は欠かせず、その前提条件となるインフラ整備に、日本の援助の多くが割かれていることは当然かも知れません。下図で示すように、2010年の先進国の援助動向をみると、他の先進国が押しなべて教育、医療を含む「社会・行政インフラ」向けの援助の比率が高いのに対して、日本だけ「経済インフラ」向け援助の比率が高くなっています。





 しかし、別の見方をすれば、「経済成長を通じた貧困削減」は、欧米諸国のトレンドにつかず離れずしている、日本の立場を示す標語でもあります。

 欧米諸国で一般的な「貧困削減」は、「教育や医療の充実によって、自分で自分の目標、夢、希望を実現するための努力を、個々人ができる前提条件を整える」ことを意味します。医者になりたいという夢を持ったとしても、最低限度の教育水準や健康状態が保障されなければ、その夢のために努力すること自体が難しくなります。いわば「貧困削減」とは、「開発」の目標を国家の経済成長ではなく、「個人」が自分の可能性を開花できる、あるいはその結果がともなわなくとも、少なくともそのための一歩を踏み出せるようにすることに据える理念なのです。故に、「貧困削減」の理念のもとでは、義務教育の無償化や予防接種の普及拡大などが優先され、「経済成長」は目標ではなく手段として位置づけられることになります。

 ところが、日本はこの理念を言葉のうえでは取り入れながらも、実際の国際協力では「経済成長」にウェイトを置いていることになります。一つの理由としては、従来行ってきた日本の援助形態がインフラ整備に重点を置いたもので、そこから急にシフトすることが困難なことがあります。インフラ整備と異なり、日本は開発途上国で医療サービスや教育サービスを提供する人材やノウハウの蓄積が充分ではありません。

 それに加えて、欧米諸国が言う「貧困削減」は、相手国政府の政策レベル、予算配分にまで関与する手法、「セクター・アプローチ」を前提としていることも、日本がこれに消極的な理由としてあげられます。貧困国では公務員の能力やモラルに問題があり、透明性や説明責任を果たせない行政活動が一般的です。他方で、現場レベルの援助だけを行っていると、複数の援助国が同じようなプロジェクトを行うといった重複や無駄も発生しがちです。そのため、「貧困削減」を行うためには、教育関連、医療関連の予算の配分やその執行にまで、援助国が監視、指導を行うべきというのが、欧米諸国の一般的な援助形態になっているのです。しかし、これは相手国政府の主権に関わる問題をはらんでいて、もともと相手国の内政に関与することに消極的な日本政府にすれば、現場レベル、プロジェクト単位での援助を行う方が容易という事情もあります。

 そこには一長一短があり、日本と欧米諸国と比較して、どちらが一方的に優れているとは言いにくいわけですが、いずれにしても日本は諸般の事情からある程度独自の援助形態を採用しながら、「西側先進国」の一国としての立場を保つために、欧米諸国のスタンダードからあまり逸脱しないよう、「貧困削減」の用語を用いている、と言えるでしょう。その意味で、「経済成長を通じた貧困削減」は明確な理念に基づくというより、別々のものを何とか接合した、苦肉の策と捉えることができます。

 件の研究者との議論では、時間の関係もあり、かなり大雑把な説明をするにとどめました。それでも向こうは大層興味をもってくれたようで、そのうえで言うには、「日本は自分たちのやっていることについて、もっと宣伝(advertise)しないといけない」。それはよく聞く意見なのですが、そのときのこちらの返答は、「あまり自分のことを言わないようにする『謙虚さ』が東洋の美徳なんだ」。こんなことを自分たちで言う時点で全く謙虚ではないのですが、その他に外国で我が国政府を擁護する方便が思いつかなかったことも確かです。

 「経済成長を通じた貧困削減」の理念を確固たるものにするなら、つぎはぎの結果生まれた合成物としてではなく、「経済成長が『貧困削減』には不可欠なんだ」と堂々と言えるだけの理論武装が欠かせないわけですが、標語以上の詳しい解説は外務省ホームページでもありません。時代に逆行しているかもしれませんが、「宣伝」より「中身」が重要なことは確かだと思います。



 ただ、宣伝が苦手なのは、「日本」や「東洋」といった大げさな話しだけでなく、私個人についても言えます。自分の本やアプリ、雑誌記事などを学生などに一生懸命説明して、宣伝するといったことは、至極苦手で、ほとんどしたことがありません。これは謙虚さというより、単純にサービス精神が希薄なためと思われます。いずれにしても、それらの内容、中身に関しては、それなりに自信をもっています。

 ないサービス精神をフルに発揮して宣伝させていただくと、今回
Yahoo! ニュースの「個人」にページをもたせてもらうことになりました。Yahoo!ニュースの「個人」は、ブログなどの形で情報や意見を発信している個人を対象に、その発信の場を提供する取り組みです。企画説明を受けた際、情報へのニーズが多様化する一方で出版業界が苦境に立つ今、書き手に活動の場を提供し、多様な情報発信のプラットホームになることを目指すという主旨に感銘を受けました。

 私自身にとっても、自由に情報発信ができるブログは貴重な手段です。とはいえ、今回の話は、いわば地方都市でしこしことやっていた小さな個人経営の店が、いきなり都会のデパートから「常設で出店しませんか」と言われたようなもので、我がことながらやや戸惑い気味です。しかし、より多くのひとに自分の記事を見てもらえる機会を得ることは有難いことです。

 その場合、「本家」はあくまでも本ブログで、Yahoo!ニュースのページは「分家」です。しかし、料理屋でも、あるいは茶道や華道といった芸事やその他の領域でも、形式上は本家が上でも、実力的にはほぼ同じ、ということが多いようです。一方で、分家には本家のやり方を踏襲しながらも、独自の領域を切り開くことが珍しくないようです。分家だからこその身軽さ、といったものがあるかもしれません。

 今後、本部ブログにない記事も掲載することで、「分家」に「本家」のテイストだけでなく、独自の持ち味を出させたいと思います。


Xから安倍晋三先生への手紙

倍晋三先生

ご無沙汰いたしております。先生のご活躍を拝見し、筆をとった次第です。

このたびは総裁選での勝利、おめでとうございます。さすが、政界のプリンス。血は争えません。巣鴨プリズンを生き延び、宰相の座に上り詰めた昭和の妖怪・岸信介先生のお血筋だけあって、あり得ない復活だと、みな舌を巻いております。

今回の総裁選で、先生の主張のなかで、一際光彩を放っていたのは、「強い国」だったと思います。まさに、おっしゃるように、周辺国になめられるようではいけません。そのためにこそ、日米同盟が日本の機軸なのです。そこをわきまえない民主党が、普天間基地の移設問題やオスプレイの配備で、アメリカに駄々をこねたことが、今の状況を生み出したのです。アメリカの力なくして、周辺国とは対抗できません。アメリカとの関係こそ、最優先です。何しろ、アメリカが「強い国」なのですから。

時に、お身体の具合はいかがでしょうか。以前の政権を、「投げ出した」「放り出した」と批判する輩が多いですが、とんでもない話です。先生が、そんな無礼なことをする方でないことは、私がよく存じております。先生は、ただ「引っ込んだ」だけです。

ともあれ、ご承知のように、今後の政局は予断を許しません。しかし、官邸のどじょうも、大阪の電波芸者も、あるいは身内の兵器オタクも、所詮は先生の敵ではありません。万が一、政局が煮詰まったとしても、問題ありません。細川先生しかり、鳩山先生しかり、名のある家系の方々は、困難な状況においてそれでも歯を食いしばるといった下世話なことを、なさる必要はありません。後のことは下々の者に巻かせて、綺麗に身をひく、そして「再チャレンジ」する、それこそ高貴な方の振る舞いといえるでしょう。

影ながら、先生のご健康とご栄達をお祈り申し上げます。

中国・反日デモの後始末:「終わり」から「始まり」への転換点になるか

  本政府による尖閣諸島国有化を直接的なきっかけとする中国での反日デモは、中国政府による押さえ込みにより、9月19日には概ね収束しました。今回のデモや破壊行為は、日中間の関係を再考する契機になるといえるでしょう。

今回の出来事の導火線は、今年4月16日の石原東京都知事による尖閣諸島購入計画の発表にありました。昨年の中国漁船と海上保安庁巡視船との衝突事件や、中国海軍の海洋進出を受け、東京都が地権者から尖閣諸島を買い上げるという計画には全国から寄付金が集まりました。その総額は9月20日現在、102,816 件、約14億7400万円にのぼります。

その寄付金の集まり方からみれば、尖閣諸島が日本の領土であるという主張、そして中国に対する根深い不信感を隠さない石原都知事の計画は、―その良し悪しはともあれ―少なからず世論の支持を集めたように思われます。同時にまた、当初は政府の関与を拒絶しながらも、途中で国有化を容認する姿勢をみせ、さらに集まった寄付金を次期政権に委ねる方針を示したことは、少なくとも結果的には、解散・総選挙を睨んで民主党を揺さぶる効果があったといえるでしょう。

いずれにせよ、地方自治体あるいは政府が保有すると宣言すれば、中国を刺激するであろうことは火をみるより明らかで、その意味で丹羽・元中国大使がこの計画に「日中関係に深刻な影響を及ぼす」と懸念を示したことは ―政府見解と異なるという批判を浴びたものの― ごく常識的な意見だったとさえいえます。ただし、この見解は、あくまで今の日中関係を所与のものとする、現状追認に過ぎない点も、見過ごすことはできません。つまり、尖閣諸島をめぐる国内の意見は、中国に対してあくまで強硬に領有権を主張することで世論の支持を集める立場と、現在の経済的な関係をとにかく崩さないように腐心する立場に大きく分かれたとみることができます。

その一方で、今回の反日デモ・暴動は、中国の国内情勢を改めて浮き彫りにしました。歴史認識や愛国教育に根ざした対日不信や、ソーシャルネットワークの普及がその背景にあることは確かですが、それだけでなく現下の格差や経済停滞に対する社会不満も無視できません。実際、例えば日本企業で働いている人がデモに参加したという話は聞きません。つまり、生活に対する不満がデモや暴動の一つの大きな原動力であったといえるのです。

日常に対する不満を政府に直接ぶつけることは、政治活動が制限されている今の中国では困難です。ところが、反日デモなら当局もある程度容認します。逆に、日中間の経済関係を優先させて、デモをあまり迅速に取り締まれば、政府そのものが批判の対象にもなります。そのため、ある程度ガス抜きをさせておいて、適当なところで引き締める、というのが中国政府の常套手段になっています。今回も、19日に警察当局がデモに参加しないように通達するメールを配信した途端、デモ参加者は姿を消しました。いわば、日本をサンドバックにすることで、中国政府は国民の不満を慰撫しているといえるでしょう。

いずれにせよ、日本大使館だけでなく、日本の民間企業や日本市民までが襲撃される事態を引き起こした点で、今回のデモは明らかに行き過ぎで、許容できるものではありません。戦時下に置いてすら、国際法上、民間人の生命、財産、安全は保護されるべき対象となっています。これを保護できず、さらにまた当事者を法的に処分できないのであれば、中国は「無法国家」の謗りを免れないのです。

その一方で、今回の出来事は、日本政府にも大きな課題を残しました。9月20日、藤村官房長官は大使館被害に対して中国に賠償を請求すると明言したものの、民間企業などの被害については基本的に中国の国内法に基づいて解決されるべき問題とし、企業などから相談があれば政府も支援すると述べるにとどまりました。つまり、政府は民間人の生命や安全の保護を積極的に求めることはしない、という主旨になります。同時にそこからは、とにかく経済関係を維持するために、中国との関係回復を急ごうという姿勢をうかがうことができます。

中国が日本の重要なビジネスパートナーであることは確かですし、関係回復も重要です。また、中国側もデモの本格的な押さえ込みにかかったように、日本との関係修復を図っていることは間違いないでしょう。しかし、それは一時的に不満を押さえ込んだだけに過ぎず、問題は何も解決していないのです。つまり、いつ再燃するかわからない問題を抱え続けることに、変わりはありません。

では、尖閣諸島の問題はいかにして解決が可能なのでしょうか。とれる手段は、そう多くありません。

一番シンプルな発想としては、軍事的な解決があります。1982年に、イギリスとアルゼンチンの間でフォークランド諸島の領有をめぐって争われたフォークランド紛争のように、軍事的に白黒をつけるのは、確かに一番分かりやすい手段でしょう。しかし、いうまでもなく戦争は避けるべきですし、両国の経済関係に鑑みれば、よほど偶発的な衝突でも発生しない限り、日中両政府はこれを回避しようと努めるでしょう。

次に、経済的な対抗措置で圧力をかける、というものがあります。中国は既に、日本からの輸入品に対する審査を強化して時間をかける措置にでており、これは事実上の経済制裁とみてよいでしょう。日本企業のなかにも中国撤退を検討しているところがあり、これも中国政府に対して一定のプレッシャーになるでしょう。しかし、再三言うように、お互いに最大のビジネスパートナーである以上、経済的な対抗措置は両刃の剣で、長く続けることはできません。

では、外交はどうでしょうか。賠償請求や、国際的に自国の主張の正当性をアピールする取り組みは不可欠です。しかし、基本的に領土問題は「とるか、とられるか」、言い換えれば「全部か、ゼロか」というゼロ・サム・ゲームになりがちです。「共同管理」という選択は、現実的かも知れませんが、お互いの国内世論から受け入れられやすいものではありません。とすると、外交交渉のみで決着をつけることは、これまたほぼ不可能です。

そうだとすると、最終的に実効性のある手段としては、司法しかないように思います。つまり、竹島領有をめぐる韓国との間の問題で採用した、国際司法裁判所に付託する選択を、尖閣に対しても適用する、ということです。これに対しては、「竹島と違って、尖閣は既に日本が実効支配しており、『領土問題はない』のだから、国際司法裁判所に付託することは中国に譲歩することだ」という批判があり得るでしょう。しかし、竹島問題で韓国が「領土問題はない」と強調して協議を拒むことが問題解決を遠のかせるばかりか、日本の反発を加熱させるように、原則に基づいて「門前払い」することが、事態を悪化させることは否定できません。むしろ、日本の主張が正しく、中国側の言い分が「言いがかり」だと確信しているなら、尖閣の問題を国際司法裁判所に付託することに躊躇する必要はないはずです。仮に中国が乗ってこなければ、それはそれで日本の言い分の正しさを国際的にアピールする条件にもなります。

繰り返しになりますが、デモの鎮静化は中国当局が両国関係を考えて押さえ込んだものに過ぎず、中国国民の間の様々な不満が解消されたわけでも、尖閣問題が根本的に解決したわけでもありません。いわば、問題が潜在化しただけであり、中国国民の間の「押さえ込まれた不満」がこれに加わる悪循環は断ち切れていません。

これまで、歴史認識をはじめ、いくつもの課題が、経済関係の維持を優先させるという日中双方の利害の一致により、棚上げにされてきました。それは現実的な判断であった一方、経済関係が深化すれば相互理解が進むはず、という淡い期待に基づいていたようにも思われます。両国間の経済関係は日本にとっても不可欠のものですし、それ自体を否定することはできません。しかし、いかに経済関係が深化しても、それは国家間の戦争を回避することはできても、それだけで両国の国民の間にある不信感を解消したり、中国国内にある反政府感情を緩和したり、まして領土をめぐる対立を解決したりすることはできません。

そのなかで、「実効支配」を掲げて中国との協議機会すら拒絶することが、逆に中国国内の反日世論、ひいては今回のデモや暴動に絶好の口実を与えてしまったことも確かです。その意味で、「経済関係があるから現状をとにかく維持するためにあらゆる問題にフタをする」という選択は、「たとえ軍事的手段によってでも中国を押さえつけるべき」という意見と同じくらい無責任なものです。尖閣問題が両国で国内政治の道具に利用され、それが日中両国間の関係悪化を助長する負の連鎖を断つ時期にきたといえるでしょう。

中国のアフリカ進出から日中関係を顧みる

 日、アフリカ調査から帰国しました。以前から触れていたように、今回の調査は中国のアフリカ進出を観察することが、大きな目的でした。例えばナミビアでは、2月に訪れたボツワナの2−3倍はあろうかというチャイナ・マーケットがありました。キリスト教徒が多くを占めるナミビアでは、ヨーロッパ風に日曜は多くの商店が閉まっているのですが、ここはナミビア人を含む多くの客が訪れていました。




その急激かつ大規模な進出は、驚くほどのスピードです。2008年に国交を樹立したばかりのマラウィでは、国会議事堂だけでなく、そのすぐそばに中国の巨大なホテルがいくつも建設されています。また、繁華街では中国人商人がビジネスに勤しんでいます。従来、南部アフリカ諸国では、南アフリカから輸入した工業製品が広く普及していましたが、最近ではより割安な中国製品が市場を広げているのです。

ただし、一方で、「中国製品は安いがすぐダメになる」という評価も、既に定着しつつあります。件のマラウィの国会議事堂は、建設から数年しか経っていないのに、既に内部の壁にはひびが入っているとのことでした。






そして、中国の進出に対する警戒感もまた、既に広がりをみせています。マラウィでは、中国人商人は都市部以外でのビジネスが法律で規制されていますが、実際には農村部でも商売を行い、既に検挙された者もあるとのことでした。しかし、中国人商人の多くは国内の延長としてアフリカを捉えているようです。つまり、中国国内で官僚や警官へのワイロが当たり前であるように、問題があるとカネで解決するという慣行が、中国人商人の進出にともなって拡大しているといわれます。

もちろん、アフリカでも以前からワイロは多くありました。私自身も、学生時代の旅行のときを含め、アフリカ人公務員に何度ワイロを要求されたかは、数え切れません。しかし、中国企業の進出以来、腐敗に拍車がかかっていると、マラウィでは研究者も一般市民も口を揃えていました。

もちろん、人間世界において、完全に善の存在はあり得ません。中国のアフリカ進出にともなう弊害を指摘する欧米諸国にしても、これまでアフリカの資源をいいように利用してきた自分たちの行いを、全くなかったかのように振舞うところは、中国と大同小異です。また、アフリカ側が全くの被害者なのかというと、実際にマラウィが中国と台湾を天秤にかけて、結局前者との関係を選択したように、弱者なりに強者を選択しているところがあります。結局、その時々の力関係や利益によって各自がパートナーを入れ替えていることは確かです。

とはいえ、中国という新たなプレイヤーの登場が、アフリカの貧困や格差といった問題に拍車をかけていることもまた確かなのです。そのなかで、その文化や習俗がアフリカで少なからず憧憬の対象となる欧米人や、自動車をはじめとする「高品質な工業製品」や青年海外協力隊による現地に溶け込んだ国際協力のイメージの強い日本人と違い、多くのアフリカ人からみて中国人はビジネス以上の関係には映っていないようです。また、ほとんどの中国人自身も、アフリカをビジネスの現場としてしか捉えていないようです。このようなドライな関係は、少なくとも市民レベルにおいて、相手への不満をもちやすいものになりがちです。

今回の旅程の最中、中国でかつてない反日デモが吹き荒れたことは、アフリカでもテレビで放送されていました。旅程の最後、ヨハネスブルグから中国人ばかりの飛行機に乗り、さらに北京で一泊したときには、空港そばのホテルに宿泊したこともあって、実際には身の危険を感じるようなことは何もありませんでしたが、それなりに緊張感を味わいました。

今回の反日デモは、尖閣諸島の問題が直接的な引き金になったことは言うまでもありませんし、さらに歴史認識や反日教育といった背景も無視できません。しかし、日中関係が経済分野で先行したドライなものであることもまた、これに拍車をかけていると思われます。「戦略的パートナー」という表現にあるように、「お互いの経済的利益を考えて、少なくとも表面的にはケンカしないようにしましょう」という関係は、お互いの顔と名前を知っている両国の政治家や官僚同士の間では容易に理解できても、日常的に相手国の国民と接触する機会が乏しい一般市民の現実感覚からは程遠いものです。

経済的に不可欠の関係と頭で知りながらも、それ以上の関係になっていないことが、両者の対立を噴出させやすい背景といえるでしょう。これは、アフリカと中国の関係にも共通するものです。

その一方で、中国版ツイッターで動員がかけられ、日本企業に対する投石や、日本市民に対する暴行など、無軌道な暴力行為が頻発する状況には、少なからず現在の中国の社会状況が反映されているようにみえます。今回のデモの映像からは、富裕層・中間層や中高年がこれに参加している様子はほとんど確認できず、やや所得の低い階層や若年層が、そのほとんどを占めているようにみられます。日本企業で雇用されている人が、どれだけこのデモに参加しているかは疑問です。

経済が減速し、格差が拡大し、政治的には抑圧されるなか、「反日」という錦旗を掲げることで、日常の憂さを晴らしている側面が大きいとすれば、これは一昨年のロンドン暴動のように、世界レベルで蔓延している将来への不透明感や現状への無力感に起因する、「漠然たる不満」の発露の一表現とみることもできます。そして、先述のアフリカの状況を思い起こせば、既に各地で発生している中国企業への襲撃といった「不満の発露」が、今後より一層大きくなることは、ほぼ確実と思われるのです。

「アフリカらしいアフリカ」マラウィにて

 砂漠のナミビア、高原のレソトを経て、マラウィにきました。ここにきて、ようやくアフリカらしいアフリカにきたように思います。緑が多く、湿度もあります。ガサガサだった唇も、元に戻りました。ただ、日本は連日猛暑日のようですが、汗をかくほどでもなく、比較的爽やかです。

この国ではいま、通貨切り下げの影響もあり、通貨クワッチャの信用が薄らいでいます。ホテルや車でも、クワッチャで値段が言われますが、「アメリカドルでいいか」と聞くと、ほとんどがOKです。実は、今のところ一度もクワッチャに触れたことがありません。

以前にも触れましたが、今年4月に死亡したムタリカ前大統領のもとでは、特に2009年の選挙勝利以降、政権の取り巻き連中による腐敗が露骨になりました。財政収支の悪化の一方で、ムタリカ政権はIMFなどが求める、通貨レートを実勢価値に近づけるための切り下げを、輸入に不利になるとして拒否し続けました。その結果、IMFやイギリスなど欧米諸国は援助を縮小。予算の約三割を援助に依存する貧困マラウィの経済は、あっという間に干上がってしまったのです。外貨不足と燃料不足が市民生活を疲弊させ、聞くところでは今年4月まではガソリンスタンドに長蛇の列ができていたそうです。

このエピソードは、いろんなことを思い起こさせます。まず、ギリシャの例をみれば、融資条件である緊縮財政の履行に、IMFがいかに慎重に対応してきたかが分かります。これに引き換え、いかに融資条件が満たされていないとはいえ、そしていかに国民の人権が侵害されているとはいえ、マラウィに対してあっさり融資を打ち切ったところに、金融支援が最終的に政治力学に左右されることが見て取れます。

他方、財政赤字の問題は、日本も他人事ではありません。財政赤字と援助・融資の停止に直面したムタリカ政権は、赤字ゼロ予算(Zero Deficit Budget)と銘打って、赤字を増税と支出削減で乗り切ろうとしました。これが市民生活をより一層疲弊させ、政権に対する不満と抗議運動の大きな背景になっていったのです。折りしも消費税率の引き上げが実施され、震災という不確定要素はあるものの、国債への依存は軽減されていません。新たな政治勢力の台頭を求める気運が高まることも、理解できないではありません。しかし、為政者によって政治が変わることがあり得るのと同様に、誰が最高責任者になっても変更がほとんど不可能な外部環境がそれぞれの国にあることもまた、確かなのです。ムタリカ死亡後、大統領に就任したバンダ政権のもとで、援助依存体質に大きな変更がみられないことは、野田政権のもとでも結局国債依存が続く状況にダブって見えるのは、私だけでしょうか。

しかし、外部環境による制約を嘆いてみても、そこには非生産的な悲観主義以外のものは生まれません。昨日会った、日本の援助関係者や、アメリカのNGO、さらにマラウィの研究者たちは、一様にマラウィの基幹産業である農業の重要性を強調し、たとえ資源に乏しく、外部からの投資に恵まれなくとも、また現在は貧困国であろうとも、長期的にその社会の発展に希望をもって、それぞれのミッションに取り組んでいました。今の日本社会は、個人も企業も、果ては政府に至るまで、極めて短期的な利益にのみ目がいきがちです。目標を定め、それに向けて地道に努力することは、日本の美風であったように思います。それを再び取り戻す必要性を、マラウィは教えてくれたように思います。

天空の王国レソトからの便り

 レソトに着くや、「何もない」が第一印象でした。南アのヨハネスブルクから飛行機で50分ほど。着いた先はモシェシェ一世国際空港。国際空港なのに、着いた時滑走路に停まっていたのはセスナが一機だけ。イミグレーションもおばさん一人でハンコをついている、日本のローカル線の駅を思わせるものでした。写真に撮れなかったが残念でなりません。

首都マセルも、かなりの田舎町で、目に付く一番高いビルは、VODACOMの6~7階建てのもの。自動車に混じって、たまに馬車が通り過ぎるのが印象的でした。

とはいえ、マセルもまた、娑婆の風と無縁ではありません。インフラ整備も遅れてはいるものの、近代的な建物があちこちで建設中で、王宮や国会議事堂も立て替え工事中でした。そして、そのいずれもが中国企業によって受注されているものでした。果ては、マセル郊外にある工場群を指して、ドライバー曰く、「全部中国企業だ」とのことでした。そして、昨晩の夕食は、中華料理屋で済ませた次第です。

見聞きした限り、国交もないせいか、他のアフリカの国のように、巨大なチャイナタウンはレソトにはまだないようです。しかし、この高原の小国にまで、中国企業の進出の波は及んでいます。

他のアフリカ諸国で、中国企業は当初、かなり好意的に迎えられていました。欧米諸国に抑えこまれてきたアフリカからすれば、中国はそのバランスをとってくれる存在に映ったのです。しかし、中国企業が(中国国内でそうであるように)労働関係の法令を遵守せず、最低賃金、企業年金、有給休暇などを無視して雇用することに、アフリカ内部でも批判があがり始めています。日本のブラック企業で働く人と同様、失業率が高いなかでは、それでも中国企業で働かざるを得ないことが、より一層アフリカ人のフラストレーションを高めていると言えるでしょう。

その意味で、レソトはまだ反中感情が充満する手前なのかもしれません。しかし、その存在感の大きさは、ほんの数日の滞在でもはっきり認識できるほど大きなものです。昨日のドライバーは、運転し始めてしばらくした時に、こちらが中国の印象を尋ねた時、「雇用や商品をたくさんもってきてくれる」「中華料理は悪くない」と好意的な感想を言っていました。しかし、だいぶ時間が経ってから、例えば人口200万人のボツワナには、既に3万人の中国人がいる、中国人が英語を話そうとせず、自分たちだけのエリアを作ると聞き、黙ってしまいました。

接触が密接になるほど、負の側面が大きく見えてくるのは、国同士の関係でも、個人間の付き合いでも、同じことです。その意味で、近い将来、レソトでも反中感情が高まることは、ほぼ間違いないことと予想されるのです。

アフリカ調査2012:マラウィ篇

アフリカ調査2012  マラウィ篇

今日、アフリカに出発します。一旦北京に入り、そこで南ア航空に乗り換え、ヨハネスブルクに向かいます。その後は、ヨハネスを拠点に、ハブ・アンド・スポークの要領で三カ国を往復することになるのですが、なぜ一度中国に寄るかと言えば、それが価格的に安いからです。今、北京だけでなく、上海や広州からも、毎日のようにアフリカ各地への直行便が出ています。それは取りも直さず、中国とアフリカの関係の深まりを如実に表していると言えるでしょう。

今回の三カ国のなかで、最後の訪問国マラウィは、その典型です。前にも触れましたが、南アフリカは冷戦時代、強硬な反共産主義国家でした。アパルトヘイト体制のもとであらゆる権力を一部の白人が握っていたことに鑑みれば、それは不思議ではありません。そして、その影響を色濃く受けざるを得なかった周辺の小国のなかに、これに追随した国があったこともまた、不思議ではありません。マラウィもその一国で、冷戦時代から一貫して台湾を正当な中国国家として承認していました。しかし、そのマラウィが、2007年に方針を変更し、中華人民共和国との国交樹立に至りました。

マラウィが中国を承認した結果、台湾と国交を持つアフリカの国は、ブルキナファソ、サオトメ・プリンシペ、スワジランド、ガンビアの4カ国だけになりました。地理的にアフリカに区分される国が55カ国(日本が国交を持たない西サハラ、サハラ・アラブ民主共和国を含む)あることからすれば、「一つの中国」をめぐる中台のアフリカ争奪戦は、ほぼ中国に軍配が上がったとみていいでしょう。

どの国も、基本的に自国の利益を最優先にすることは、言うまでもありません。アフリカ諸国も、台頭著しい中国との関係を選んでいると言えます。中国のアフリカ進出といえば「資源の確保」が有名ですが、しかしマラウィは最近でこそウラン鉱山の開発が始まっているものの、GDPの60パーセント以上は農業が占め、さらに一人当たりGDPは300ドルを下回る貧困国です。そのマラウィの方針転換は、中国の対アフリカ・アプローチが既に、資源確保だけでなく、自国製品の販売網の構築や、道路や橋といったインフラ整備への投資など、多方面に渡るものになっていることを意味します。

ところで、このマラウィでは昨年から今年にかけて、大規模な反政府抗議運動が広がりをみせました。政府の腐敗と、それによる政府要人の取り巻きに対するバラマキがもとで、マラウィ政府の財政赤字のレベルが、IMFからの融資条件を満たせなくなってしまいました。これは増税、公共サービス料金の値上げ、さらに主要産業である農業への補助金の圧縮をもたらし、市民の生活は一気に苦しくなったのです。これに並行して、ムタリカ大統領(当時)はメディアへの検閲を認める法律を通すなど、独裁化する傾向を強めました。昨年7月20日には、これに抗議するデモ隊が警官隊と衝突し、20名以上の死者を出す事態になりました。

ところが、事態は思わぬ形で決着が付きました。今年4月、ムタリカ大統領が病気で急逝。憲法の規定により、大統領に就任したのは、2011年の初めにムタリカとの確執によって与党・民主進歩党を追われ、野党・人民党を結成していた、ジョイス・バンダ副大統領でした。マラウィでは決して多くない、大卒で海外で働いた経験もある女性であるバンダは、議員の時代から、特に貧困層の女性や子どもの生活環境の改善や法的保護に熱心で、その人気と知名度から副大統領に据えられていたのですが、ムタリカによる人権侵害に批判的だったため、与党から追われていたのです。しかし、最高裁がバンダの副大統領職は保障されると判断したため、ムタリカ大統領の急逝によって、大統領に昇格できる立場は保持し続けていたことが、アフリカで二番目の女性大統領の誕生を可能にしました。

バンダ大統領の就任で、昨年来の政治変動は、ひとまず収まったようです。バンダ政権は、アフリカでは珍しい、同性愛者の権利を法律で保障するなど、人権保護に積極的な姿勢をみせており、国内からの支持も総じて高いようです。

しかし、問題はこれからです。そのキーになるのが、やはり中国との関係です。ナ2007年にマラウィが中国との国交を樹立したことは既に述べましたが、その立役者の一人が、当時外務大臣だった、今のバンダ大統領なのです。国交樹立により、マラウィには中国企業が相次いで進出しています。遠からず、ナミビアやレソトのように、中国人ビジネスマンと現地の人々の摩擦は顕在化すると見込まれます。中国企業は進出先の国の労働関係の法令を守らないことが稀でなく、最低賃金が支払われない、残業代が支給されない、危険な現場で安全が確保されない、といった批判がよく聞かれます。マラウィでそのような事態が表面化した場合、中国との国交樹立を推し進め、他方で「人権保護」をキャッチフレーズにしているバンダ大統領の立場は、一気に難しいものになるでしょう。

今回のマラウィ訪問は、遠からず訪れるであろう、次の政治的摩擦のプレステージを観察することが、最大の目的になってくるのです。

アフリカ調査2012:レソト篇

  ソトは南アフリカに囲まれた、総面積で約3万平方キロと、九州より一回り小さな、高原地帯の国です。レソトとは、「ソト語を話す人々」という意味です。この地に昔から暮らしていたソト人は、高原という地の利も活かして、周囲に暮らすコーサ人や、イギリス系白人に追われて新天地を求めたオランダ系白人(アフリカーナ)たちの来襲にも耐えましたが、ついに1868年にイギリスの支配下に入りました。イギリス保護領バソトランドが、1966年に独立したのが、今のレソト王国です。

  独立以来、立憲君主制をとるレソトは、王家と議会の対立が続き、これまでに2度のクーデタを経験をしてきました。このレソトでは、反国王派の議員や軍高官により、1995年に一度は退位させられたレツィエ3世が、1996年に復位して以来、形式的には議会政治が定着してきました。1998年、2007年に下院総選挙が行われたのですが、それ以前から権力を握っていた政治家や軍高官を中心とする「レソト民主会議」(LCD)が万年与党として権力を独占してきました。

  しかし、2012年5月の総選挙で、ついにLCDは新設の野党「民主会議」(DC)に破れ、120議席中62議席から26議席にまで減らしました。しかし、第一党となったDCも48議席にとどまったため、2006年からLCDと敵対してきた野党で、今回30議席を獲得した「全バソト会議」(ABC)と連立政権を組むことで、レソト史上初の平和的な政権交代が実現したのです。

  ただし、この政権交代は、極めて政治闘争の色彩の強いものでした。LCD政権のもとで1998年から首相の座にあったP.モシシリに対して、与党LCD内部で長期支配への不満が高まり、近年は党内の亀裂が深刻化していました。そこに、2010年末以来の「アラブの春」の影響で、生活苦に由来する市民の抗議活動が頻発していました。

  これによって党内の反対派が勢いづいていくなかで、モシシリは自らLCDを抜け、DCを創設して総選挙に打って出たのです。また、今回第二党となったABCの創設者T.タバネは、やはり2006年にLCDを抜けて新党を創設しています。いわば今回の選挙は、LCD内部の権力闘争に敗れた者たちが党外に飛び出し、しかし首相としての「現職の優位」を活かして選挙に勝った、と総括できるでしょう。

  ナミビアのSWAPOの一党支配に関して、「政権交代は民主主義の一つの目安だが、それがなければ民主主義と呼べない」と書きました。レソト2012年選挙もまた、別の角度からこの命題を示していると言えるでしょう。

  確かに政権交代は実現しました。しかし、それは特定の有力者が政党を自らの政治的道具として活用した結果なのです。また、このような政権交代は、「政策レベルでの対立軸ごとの政党間対決」が将来的に生まれるために必要なプロセスなのか、あるいは有力者同士の個人的な友好関係や敵対関係に基づく派閥抗争の延長で今後も続くものなのか。レソト市民の観察を含め、今回の訪問ではこれを考えたいと思います。

  そして、もう一つのテーマは、やはり中国がらみです。

  冷戦時代から、中国の代表権をめぐり、北京と台北はアフリカ諸国に競って援助をしてきました。援助で支持を買おうとした点で両者は同じですが、冷戦時代に頑強な反共国家だった南アフリカが、1997年に台湾支持から中国支持に切り替えたことで、代表権争いにほぼ決着がついたとみるのが一般的です。アフリカ諸国のほとんどは、イデオロギー的にはともかく、経済成長が著しい中国と付き合うことを選んできたのです。

  ところが、レソトはいまでも中華人民共和国と国交をもたない、アフリカで数少なくなった台湾支持派の一国です。レソトが中国と距離を置くのは、長く南アフリカの影響下に置かれ、その方針を受け入れてきた経緯だけでなく、共産主義、社会主義のイデオロギーが王政と合わないこともあります。

  しかし、いずれにせよ、正式の国交がなくても、中国の影響はレソトにも及んでいます。人口200万人足らずの小国であるレソトには、香港や台湾からだけでなく、本土からきた中国人が、既に5000人いるといわれます。レソトでも、他のアフリカ諸国と同様に、中国人ビジネスマンが卸売や小売りに進出し、マーケットを握る状況が生まれています。そして、中国政府からの支援を受けた中国人ビジネスマンとの競争に敗れた現地の流通業者を中心に、中国に対する反感が募る状況も、基本的には同じです。2007年11月には、首都マセルで、中国人が経営する店が襲撃される暴動が発生しています。

  中国人ビジネスマンの進出が生活苦の一つの元凶であると捉える市民の感情は、先の反LCD感情とも結びつきました。実際、LCDから抜け出した議員で構成されるDCは、第一党になったとはいえ、過半数には及ばず、連立政権を組むことを余儀なくされました。この責任を負ってモシシリは選挙実施の翌週に首相を辞任したのです。

  いわば2012年選挙では、基本的にそのルーツはいずれもLCDにある各野党のなかで、「まだまし」と思われる政党への投票が行われたとみてよいでしょう。言い換えれば、貧困や格差といった社会問題や、中国人に対する憎悪、つまりルサンチマンが、歴代政府を構成してきたLCDをはじめとする既存政党に向かっている、という観測が成り立つのです。これは政党政治そのものに対する不信感をもたらしかねないものです。その意味でも、たとえ外交関係がなくとも、中国ファクターはレソト調査でも重要な位置を占めることになるのです。

アフリカ調査2012:ナミビア篇

 9月6日から、アフリカ調査に行ってきます。今回は、南部アフリカの小国をテーマに、ナミビア、レソト、マラウィをめぐってきます。このうち、ナミビアはナミブ砂漠が有名で、アフリカのなかでは日本からの観光客が多い国ですが、レソトやマラウィに関しては、国名すら知られていないことが珍しくありません。かく言う私も、レソトには15年ほど前に一度行ったことがあるものの、マラウィは初めてです。

 アフリカの小国というと、文化人類学や開発といった観点ならまだしも、国際政治や政治学で何の必要があるのか、という疑問をぶつけられることもあります。確かに、アメリカや中国、EUといった大国、大勢力と比較すれば、アフリカの小国が国際政治に及ぼすインパクトは、少なくとも表面的には限られたものです。しかし、例えば永田町や霞ヶ関さえみていれば、日本の政治が分かるものではありません。原発問題に象徴されるように、圧倒的多数を占める地域の市民の生活、意見、感想が、多かれ少なかれ政治に反映されるとすれば、「中央」以外に目配りをする必要があるでしょう。これと同じで、国際政治の動態を考えるうえで、アメリカや中国からの影響にさらされやすい「周辺」であるアフリカの小国は、これら「中央」の動向を観察するのに格好の舞台であると同時に、「中央」の動向を長期的に左右する「周辺」の現場でもあるのです。

 当然ですが、ナミビア、レソト、マラウィは、産業構造も、一人当たり所得も、そして政治体制も、それぞれで異なります。このうち、ナミビアはダイヤモンドなど鉱物資源の輸出が盛んで、一人当たりGDPが3000ドルを超え、アフリカでも豊かな部類に入ります。一方で、1990年に南アフリカの支配から独立した比較的若い国で、独立闘争を率いたゲリラ組織SWAPO(南西アフリカ人民機構)が、独立後の選挙では一貫して多数を占めています。2009年の大統領選挙では、SWAPO選出のH.L.ポハンバが75.25パーセントの得票を集め、下院にあたる国民議会選挙でも、SWAPOが74議席中54議席を獲得しました。

 国民の物質的な満足感が比較的高く、一方で特定の勢力が長期的に政治権力を握り続ける。この状況は、中国共産党に代表されるように、いわゆる「開発独裁」の典型のようにも映りますが、しかし
ナミビアの選挙はアフリカでも透明度が高く、政府に批判的な団体が暴力的に取り締まられることも、ほとんどありません。いわば、多くのナミビア国民が、「自発的に」SWAPO体制を選択しているのです。

 SWAPOに代わって、国民に幅広く支持される勢力が出にくいことは、政権交代が生まれにくいことを意味します。しかし、政権交代は民主主義の一つの目安ではありますが、特にアフリカでは、それがなければ民主主義と呼べないとまでは言えません。国内に習慣や言語まで異なる数多くのエスニシティが林立するアフリカでは、どうしても人口比で多数派が優位に立ちがちで、これを選挙でひっくり返すことは容易ではありません。つまり、政権交代が現実的に困難な条件を、アフリカ諸国は歴史的に背負っているのです。むしろ、定期的に政権交代が生まれるのは、歴史的に国内の文化的差異が少なく、あったとしてもそれを私的領域にとどめることを是とするアングロ・サクソン系諸国に固有の特徴とさえ言えます。

 この観点から、アフリカの民主主義においてむしろ重要なことは、いかに選挙の透明性が確保され、機会の平等が確保されているか、ということになります。これに加えて、少数派が政治的、社会的、経済的に不利に扱われていないか、政府の汚職が少ないか、なども重要です。ナミビアはアフリカに適応する民主主義の実践例として、その課題を含めて、検討する価値があると思われます。

 もう一つ、ナミビアで関心があることは、中国との関係です。南アによる植民地支配からの解放闘争の過程で、SWAPOは中国からも支援を得てきました。SWAPOは公式には社会主義を掲げながらも、実際には市場経済を導入している点でも、中国と同じです。また、
近年ではダイヤモンドなど豊富な天然資源を目的に、中国からの融資・投資も増加しており、2010年には1億ドル相当の融資が中国からナミビアに行われています

 SWAPOは、しかしその歴史的な関係の近さゆえに、既に多くの論者が指摘する、中国のオーバープレゼンスを拒絶しにくいことも確かです。SWAPOは解放闘争の過程で多くの社会集団、例えば学生団体や新聞、キリスト教会と連携しましたが、そのなかには労働組合もありました。独立後も、SWAPOは労働組合と近い関係にあるのですが、他方でアフリカ諸国では、中国企業が当該国の労働関連の法令に従わないことが、問題としてよく指摘されます。例えば、労働者の権利である労働組合の結成が、中国企業内部では認められていないのです。これが政労関係を悪化させることも、多くのアフリカ諸国でみられることです。国内団体と、海外勢力のいずれを優先するか。これに対するSWAPOの対応を観察することで、今後のアフリカにおける中国のプレゼンスを考察するヒントが得られるでしょう。

 以上の観点から、ナミビアに赴きたいと思います。結果は随時、本ブログ上にて。



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