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  • 2014.03.05 Wednesday
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政治文明論への招待 6)科学技術は政治的に中立か

   し前のことですが、昨年の第一次事業仕分けで科学技術関連予算が削減され、これに対してノーベル賞受賞者が集まって異議を申し立てました。その批判の主旨は、「外国に比べて日本は、ただでさえ科学技術関連予算が少なく、これ以上削減されては国際競争に勝てない」というものでした。国庫からの支出を得て行う以上、その研究が国家・国民に有益であるべきことは、いうまでもありません。しかし、それは厳然たる事実としても、現代日本の叡智が集まっても「人類の福祉」といった高尚な、あるいは非政治的な理念が出てこないことは、科学技術がもつ政治性を如実に物語ります。科学技術の目的を経済的な国際競争や国家の繁栄に矮小化するこの思想は、しかし近代西欧文明の宿命ともいえるものです。  


  明治学院大学での「政治文明論」の講義も第5回目を迎えました。これまで近代西欧文明の特異性について考えてきましたが、今日はその3回目で「科学技術」がテーマです(講義資料はこちら)。現代において、自然現象の原理を研究する科学(science)は、その原理を応用した道具・機械の開発・利用を意味する技術(technology)と融合しています。しかし、例えば古代ギリシャでは科学とは自然の法則性を見極めること(観照)自体が目的であり、実用性を求めることはありませんでした。同様に、古代インドでは宗教的目的、古代中国では政治的目的のための手段として科学が位置づけられ、それ以上のものではなかったのです。


  西欧においても、キリスト教が絶大な力をもっていた中世には、「哲学は神学のはしため」と呼ばれ、ギリシャ文明の遺産である諸科学の成果は全く廃れてしまいました。しかし、17世紀頃から西欧において科学は急速に進歩しはじめます。既に発生していた宗教改革の結果、勤労や蓄財を是認するカルヴァン派が台頭したことは、その延長線上としての科学研究と自然法則の発見に、神の栄光を確認する宗教的意味合いを付与することになりました。さらに18世紀に入り、啓蒙思想などの社会思想や、産業革命などの経済活動にその成果が応用されるに至り、科学は人々の思考様式にまで影響を及ぼすようになったのです。


  なかでも、産業革命は科学と技術の融合をもたらしただけでなく、科学がビジネスになることを実証しました。古代ギリシャで科学の担い手が肉体労働から解放された市民であり、これが自然の観照そのものを目的化したように、18〜19世紀に資本家層によって担われた科学技術は、資本主義経済と軌を一にして発達したのです。いわば、宗教的使命感と物質的欲求が混在することで、近代西欧諸国では科学技術が発達したのです。この過程で、科学技術は人間の進歩を自明とする「進歩史観」の発達も促しました。ところが、19世紀も半ばになると、国家が科学技術の育成に力を入れるようになります。科学技術は、経済的な生産活動や軍事力の源となり、国家間の覇権抗争の土台となりました。ビジネスとともに権力闘争の道具として科学技術が位置づけられるようになったのです。


  このような科学技術の発達は、多くの変化を社会にもたらしました。なかでも、自然法則を実験によって確認する「合理的精神」の普及は、伝統的・非科学的な価値観への批判を生みました。これは、国内政治においては伝統的な王制、国際政治においてはローマ教会に象徴される国家を超越した権威への服従を拒絶する精神を生むことになりました。前者は民主主義、後者は国民国家システムの発達を意味します。そして、資本主義経済の発達が科学技術の進歩とパラレルに進行したことは、先述の通りです。したがって、科学技術の進歩は近代西欧文明に特異な国民国家、資本主義経済、民主主義と軌を一にして発展したといえるでしょう。その意味で、科学技術への信仰はすぐれて近代西欧文明的であると同時に、政治的に無色透明でないといえるのです。


政治文明論への招待 5)失業の発明

  日、政治文明論の講義がありました。近代西欧文明の特異性として、今回は「資本主義経済」を取り上げました(講義資料はこちら)。就職活動中の学生がいるということもあり、なかでも「労働」あるいは「雇用」という問題について特にフォーカスしました。資本家が賃金労働者と契約を結んで雇用する、という労働の形態は、人間社会にどんな影響を及ぼしてきたのか。


   総務省の発表では、2009年度の完全失業率は、男性が5.5パーセント、女性が4.8パーセント。建設業、製造業の停滞と、医療・福祉分野の求人が、性別の失業率を拡大させているようです。歴代政府は社会保障の代替として雇用を促してきたため、日本は従来、失業率が西欧諸国より低かったのですが、その点で「西欧並み」になったようです。もっとも、社会保障は「西欧並み」といかないので、失業者の生活は西欧よりシビアになりがちです。雇用を創出する景気(経済)は、基地、カネ(献金)と並んで、鳩山政権を取り巻く大きな課題の3Kと呼ばれます。


  ところで、失業というのは、もともと労働力を市場で売買するという前提があって、はじめて生まれる現象です。しかし、人間の長い歴史において労働は生産要素であり、売買の対象にはなってきませんでした。ハンガリー生まれの経済人類学者、K.ポランニーは労働、土地、貨幣といった本来は売買の対象でなかったものまでが市場で取引されるようになった19世紀を指して、「大転換」の時期と呼びます。それまで経済は「社会に埋め込まれていた」のですが、大転換を経て「経済が社会を支配する」ようになったというのです。


  例えば中世の西欧では、職業組合(ギルド)が労働の管理を行っていました。特定の業種に就けるか否かは、ギルドの成員であるかどうかに依っていたのです。これにより、人々には「職業選択の自由」がない一方で、その時々の景気に応じて労働配置を転換されたりすることはありませんでした。換言すれば、職業はほとんど選べない代わりに、失業もなかったのです。個人の向き不向きにかかわらず、親代々の仕事を引き継ぐことが当たり前とされたことは、生産性の向上という点で問題があったものの、仕事がなくて困るひとが出ないようにする、社会的な仕組みだったといえるでしょう。


  この状況は、資本主義経済の発達にともなって崩れます。資本家との間の契約に基づいて、個人が自らの労働力を市場で売買するようになったことは、不要な人員を抱えずに済み、効果的な労働配置を可能にします。その意味で、労働の売買は経済成長を促したといえます。しかし、それは他方で「失業」という社会的病弊を生んだだけでなく、個人の責任が重視されるようになった結果、「失業者=社会的不適格者」の烙印を押すことになったのです。いわば、それまで社会によって規制されていた労働の移動・配分が市場によって行われるようになったことは、個人の能力や資質をその市場での価値でのみ判断することになったのです。


  現代のグローバル化は、19世紀に生まれた「大転換」を世界規模で推し進めた一つの帰結です。労働、土地、貨幣といった本来は商品でないものに値段がつけられ、売買されることは、それまで個人を保護していた社会の仕組みを破壊する作用があります。そのなかで、個人はますます強く、独立した主体として生きることが求められます。そうでなければ「負け組」になるという強迫観念が社会に蔓延し、精神的な疾患も後を絶ちません。近代西欧文明が生み出した資本主義経済は、「個人が社会に囚われずに自らの価値・利得を追求できる」という自由と引き換えに、「個人が単体として生きる」ことを強制する社会をも生み出したのです。


政治文明論への招待 4)「独立国」はいつから独立しているか

   自民党を離党して新党を結成したひとたちは、異口同音に「国民のため、国家のため」という主旨のことを言います。昨日も述べたように、政治家にとって最大の合理的判断が次の選挙で勝つことであることは、揺るがないと思います。ただ、それだとあまりに直裁なので、少なくとも多くの人に共感してもらえる論理や主張が必要になるわけです。その際「国民のため」は常套句ですが、そこには国民と国家が連動している、あるいは運命共同体である、という前提が必要になります。ところが、政治文明論的には国民と国家が一体となったのは、長い人間の歴史においてごく最近のことに過ぎません。

  明治学院大学での「政治文明論」も3回目となりました。今日は、国民国家について取り上げました(講義資料はこちら)。近代以降、国家は主権、領土、国民の三要素を備えたものと定義され、これは「国民国家」とも呼ばれます。そして国民国家こそは、近代西欧文明の特異な産物であるにもかかわらず、その後世界標準化したものの典型といえるでしょう。

  近代以前、あるいは近代後も西欧以外の地域では、巨大な帝国や民族集団による支配が一般的でした。特に15~16世紀のユーラシア大陸では、中国の清朝、インドのムガール帝国、中東のオスマン・トルコ、ロシア帝国といった巨大な帝国が勃興しました。これらによって支配された土地では、皇帝が絶対的な権力を独占していたものの、あまりに広い領土であったために、その権力は社会の末端にまで行き届きませんでした。中国やロシアでは各地の村にまで中央の役人が皇帝によって派遣されましたが、よそ者である役人に対して人々は面従腹背の姿勢を崩しませんでした。移動が制限されたこともあり、人々にとって各村落は「世界」と同じで、皇帝やそのもとにある中央政府は、自分たちにとって別世界のものだったのです。今でも、中国やロシアで、政府が絶対的な権力をもっているにもかかわらず、人々がそれに対して面従腹背の姿勢を崩さないのは、文明論的には不思議でないのです。

  これに対して、西欧では17世紀に教会の権威や皇帝の権力から各国が独立しました。西欧で生まれた国民国家は、自らの上位に何物も置かず、それぞれが最高の権力=主権をもつ存在となったのです。これは、現在の国際関係の原型といってよいでしょう。いまや、中国やロシアは本家の西欧諸国以上に国民国家としての主権を重視します。これはいわば、実態はともあれ、少なくとも理念的には、近代西欧文明の所産である「国民国家」という概念が、世界規模化したということを意味します。

  立場上全ての国家が平等である、という考え方は、以前に述べた言葉を用いれば、国際政治レベルで「超越性」が失われ、「内在性」が具現化した、ということを表します。主権国家を凌ぐ権威はもはや存在せず、各国が自らの行動を自らで決定するようになったのです。これは、中世の西欧におけるキリスト教のように、一元的なルールに基づく国際関係とは決定的に異なり、自己主張のぶつかり合いが絶え間なく発生する世界になったことを意味します。今の国際政治そのものが、近代西欧文明によって生み出された、ということができる所以です。


政治文明論への招待 3)「ゲゲゲの女房」にみる超越性と内在性

   日、明治学院大学で「政治文明論」の第2回講義を行いました。前回はガイダンスみたいなものだったので、今日が本格的なスタートでした。前回も取り上げたように、春季の講義では近代西欧文明による世界支配の過程を検証するのですが、その前段階として今日は「比較文明論の基礎」と題して、人間の歴史や文明間の比較について広く知られている見解の紹介などを行いました。(講義の資料はこちら


  今日の授業では、次回以降の話のキーワードとなる「超越性」と「内在性」という用語をあげ、その重要性を強調しました。ごく簡略化して言えば、両者はルールを誰が作るか、という概念です。超越性とは、ルールを守るひとたちからかけ離れた存在が、そのルールを作る状態を指します。人智を超えた超越的な存在によってルールが定められているという理解は、神や運命といったもので人の一生や世の中のあり方が定められているという見解を導きます。


  これに対して、内在性とはルールを守るひと自身がその作り手である状態を指します。人間、さらには個々人がそれぞれの主人である状態と言い換えることができるでしょう。内在性を重視する立場は、自分と関係ない外部によって自分の生活や一生が定められる状態を忌避します。したがって、内在性は合理主義や個人主義といった概念によって構成される、といえるでしょう。


  内在性は15世紀以降の近代西欧文明において生み出された、長い人間の歴史のなかでも特異なものです。長い間、ほとんどの社会では、なぜそうなのかは全く度外視して、神、運命、伝統などの定めるところに従って生きるのが良いこととされてきました。これを打ち破ったのが、近代西欧文明です。資本主義経済、国民国家、民主主義、科学技術がパラレルに形成されたことが、内在性の根底にある合理主義や個人主義の発達を促しました。19世紀の世界規模での植民地化を経て、その影響は現在ほとんどの国でみられます。これは以前に述べた、世界全体が近代西欧文明の周辺文明化したことを指します。ただし、内在性の拡大と超越性の縮小は、個々人が自らの選択と決定に責任を負わなければならない、ある意味でシビアな世界でもあります。そのため、逆に超越性への回帰を求める動きもあります。


  久しぶりに欠かさず、NHKの朝の連続テレビ小説をみています。今回の「ゲゲゲの女房」は水木しげる夫人の物語で、今週は主人公二人のお見合いが行われ、明日はいよいよ結婚式のようです。お話はお話として非常に楽しみなのですが、一方でここまでの話に照らして言えば、「両親や知人によって紹介されるよく知らない人と短期間で結婚する」という制度は、内在性からはかなりかけ離れたものといえます。「運命を受け入れて生きていく」ことや、がんこ親父によって自分の一生が左右されることへの憧憬が、ドラマの全編を通じて見出されることは、内在性の帰結である自己責任に疲れた現代人が超越性への回帰を求めていることを反映している、といえるかもしれません。
 


政治文明論への招待 2)周辺文明としての日本

   4月9日、明治学院大学で「政治文明論」の第一回講義がありました。これが一つの学問体系として世の中で認知されていないことを踏まえたうえで、私なりの「政治文明論」の前提や大枠を話すことが初回のメインテーマでした。


  以前にも書きましたが、文明なるものは余剰生産物を生み、貯蓄し、分配する以上、必然的に政治権力を内包するものです。しかし、それは一般的な文明論でも共有されている理解であり、ことさらに強調することでもありません。私が「政治文明論」で注視することは、近代西欧文明による世界支配の影響についてです。アメリカの文化人類学者F.バグビーは、文明を「大文明」と「周辺文明」に分類しました。前者がオリジナルかつ高度な文化を生み出したのに対して、後者はその要素を注入することで成立するものを指します。


  例えば日本の場合、3〜4世紀から中国文明の影響を受けてその周辺文明として成立し、9世紀末に遣唐使を廃止することで日本文明として自立した、といわれます。しかし、ペリーの来航と開国、さらに明治維新により、今度は近代西欧文明の周辺文明という色彩を濃くしました。山本新氏は、二度の周辺文明化を経験した稀有な例として、日本とともにロシアを取り上げ、『周辺文明論:欧化と土着』として著しました。この著作自体は文明論のなかでも意義深いものと思いますが、その一方で確認すべきは、二度の経験の有無にかかわらず、世界のほぼ全てが19世紀以降に近代西欧文明の周辺文明化したということです。


  これは、西欧諸国によって軍事的・政治的に占領されたということだけを意味するのではありません。近代西欧文明との接触によりもたらされた産業化や都市化は、文化の違いを超えて、個人主義を増幅させます。もちろん、それで全ての国・地域が西欧と同じになるわけではありませんが、近代西欧文明との接触以前と比較して、慣習や運命といった超越的ルールがもつ影響力は低下し、個々人が自らの生活を切り開けるし、そうすべきという考え方は強まります。つまり、19世紀以降のほぼ全ての国・地域では、それまであった社会や経済のあり方が、人類史的には特異な近代西欧文明のそれに近づいていくというプロセスを経てきたのです。


  その意味で、世界の全てが近代西欧文明の周辺文明化した、ということができるでしょう。ただし、中国やインド、さらにイスラームなどを中心として、西欧化しつつも固有の文明に基づくリバウンドは必ず発生します。これはいわば、社会規範の西欧化を「精神の植民地化」と捉え、これに対する拒絶反応ということができるでしょう。その結果、非西欧世界には近代西欧文明に対する受容・従属と反発・排斥という相反するエネルギーが満ちることになります。


  このエネルギーのうち、社会が不安定になるほど、「自らの固有のもの」とみなされるものにしがみつこうとする傾向は強まります。昨今の日本で、例えば藤原正彦氏の『国家の品格』や中西輝政氏の『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』のように、近代西欧文明を否定し、日本の独自性を強調する議論が林立する様相は、先述の山本氏がいう土着派の復権に他なりません。しかし、「自らに固有のもの」とみなされるもの自体が、かつて人為的に生み出されたものであるならば、それが絶対的に維持されるべき対象かどうかは、怪しいと言わざるを得ません。

  
  いずれにせよ、ハンチントンが『文明の衝突』といったように、文化摩擦に端を発する対立は、現在の世界において数え上げればきりがありません。捕鯨をめぐる対立も、その一端です。ただし、文化が変容するという前提に立てば、文化の固定性を自明のものとして、文明の衝突が解決不能なものというハンチントンの暗示には同意できませんとはいえ、「文明の衝突」と形容される対立は、少なくとも短期的にはますます増加すると思われます。現代におけるこの動態を見極めるために、春季の「政治文明論」ではまず、近代西欧文明による世界支配の歴史的経緯について検討していくこととします。言い換えるならば、「我々はどこから来たか」の再検討が、「政治文明論」前半の目的なのです。


「自爆テロ」の文明論的考察

   4月4日、バグダードの各国大使館で連続爆弾テロ事件が発生しました。先月、イラク国民議会の選挙が行われたことで、宗派・民族間の政治的対立が再び深まっていることが背景と考えられます。ところで、イラクに限らず先のモスクワでも、あるいはその他の国でもそうですが、なぜイスラーム過激派は「自爆テロ」という手段を多用するのでしょうか。もちろん、それが標的に接近して爆発物を爆破するうえで最も確実性が高いという軍事的な理由もあります。しかし、それだけであれほど頻繁に「自爆テロ」が行われるでしょうか。


  少なくとも、自らの生命と引き換えに目的を達成する「自爆テロ」は、欧米人にとって理解しがたい行為だと思います。先の大戦で、日本軍の戦闘機による特攻攻撃もまた、アメリカ軍にとって理解不能でした。これは、現代の日本人も同様だと思います。個人的にも、全く共感はできません。しかし、イスラーム過激派の場合の「殉教」のように、何らかの理由付けをしてまで自爆攻撃をするというのは、欧米に対する文明的な抵抗を示唆するものといえるでしょう。


  近代以降の西欧文明の最大の特徴は、広い意味での「合理主義」にあります。これは、その現象、行為、出来事の全てに原因と因果関係を見出し、そのなかで自らの利得を最大化する立場、といえるでしょう。この合理主義的精神は、科学の発達による自然現象の解明、資本主義経済を通じた利得の最大化、「伝統的な支配」を無批判に受容しないでこれを打ち倒してきた民主主義の発達などを通じて培われ、一方でこれらの発達を促してきました。言い換えると、欧米人の合理的精神は、近代以降に特徴的なものといえるでしょう。


  ところで、合理主義的な観点からすれば、自らの生命を失うということは、最も損失が大きいものです。ですから、「自爆テロ」というのは非合理的選択以外の何物でもありません。同時にこれは、それを実行しているひとがどこまで意識しているかは定かでありませんが、欧米諸国の価値基準を正面から否定するものといえるでしょう。つまり、「自爆テロ」は欧米諸国に対する軍事的抵抗であると同時に、精神的抵抗であるともいえるのです。


  これまでに再三取り上げているように、イスラーム過激派によるテロの背景には、グローバル化と呼ばれる世界規模での市場経済化のなかで生まれた貧困と格差により増幅された、社会への不満と絶望感があります。欧米諸国による影響力の浸透に対する拒絶反応が、それ以外の形態で噴出することを抑えられていることが、彼らをテロ行為に走らせているとすれば、その抵抗の手段は必然的に欧米的価値そのものを否定するものになると考えられます。自らの生命を失ってまで遂行する「自爆テロ」は、欧米的な合理主義を全面的に否定する行為であり、その意味で採用されやすいと考えられるのです。 

政治文明論への招待

  年度が始まりました。年度末の昨日、日経平均株価の終値は1万1089円94銭。2008年度末より2980円41銭高で36・8パーセント上昇したものの、他の主要国よりだいぶ出遅れています。日本だけでなく、欧米の先進国も新興国ほどの回復は示していません。そして、この伸び率の差は、去年1年間だけでなく、この10年間を比較すれば、さらに顕著となります。






  今後の「伸びしろ」が大きい新興国と成長率で競っても勝てるはずがありませんが、少なくとも今後とも非欧米諸国の世界レベルでの存在感が増すことは不可避 の状況です。その一方で、環境破壊やテロの蔓延などに、近代以降の先進国による営為のさまざまなツケを見出すことは、難しくありません。ここから、「西欧文明の行き詰まり」をいうひともあります。


  昨年11月、民主党の小沢幹事長は高野山金剛峰寺で西欧文明の行き詰まりを念頭に置いて、「キリスト教が排他的な宗教」と発言して、日本キリスト教連合会から抗議を受けました。それを記者会見で問われた小沢氏は、ほぼ逆切れしながら「私は宗教論、文明論的に言った」と言い放ちました。政治家としてそれを言うことが妥当かと問われれば疑わしいところですが、他の宗教と融通無碍に結びついた仏教と比較して、個人の信仰心を一元化するという意味でキリスト教がイスラームとともに排他的であったという意味なら、その主張自体を支持することにやぶさかでありません。


  ただ、ひとつ気になるのは、「西欧文明の行き詰まり」がほぼ規定のものとして語られる点です。国と文明は同義でありません。確かに、欧米諸国が経済的・軍事的に圧倒的な存在感をもって世界を管理できる時代は終わりつつあるかもしれません。しかし、それは「西欧文明の行き詰まり」を必ずしも意味しません。近代以降の西欧文明は、四つの発明をしました。資本主義経済、国民国家、科学技術、民主主義がそれです。これらは宗教や文化を越えて波及し、現在の世界の基本的な枠組みを作っているのです。その意味で、近代西欧文明の影響力は、そう容易に衰えないといえるでしょう。


  今年度、明治学院大学で「政治文明論」という講義を担当することになりました。ここで取り上げるのは、人類史においてかなり特異な近代西欧文明が世界全体を支配して普遍化する過程と、その影響、さらに今日的な変容の検討にあります。ゴーギャンがタヒチで描いた有名な絵画、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」がまさにそのメインテーマということもできます。本ブログでも今後、その講義内容を少しずつ紹介できればと思います。
  



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