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  • 2014.03.05 Wednesday
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「ダマスカスの火山とシリアの地震」発動はシリア情勢の分岐点となるか

リア情勢が最大の山場にさしかかったようです。シリア反体制派の自由シリア軍が現地時間の16日午後8時に、「ダマスカスの火山とシリアの地震」と名付けた作戦を全土で開始したと発表しました。攻撃対象は治安部隊やアサド政権支持派民兵「シャビハ」だけでなく、ヒズボラやイランの革命防衛隊など、アサド政権と結びついた外国勢力も含まれる、としており、これはまさに自由シリア軍が総攻撃に突入したことを示唆しています。

おりしも14日には、
国際赤十字委員会がシリアの状態を「非国際的な武力紛争」、つまり「内戦」と認定しました。これにより、今後シリアで民間人の殺傷などが行われた場合、国際人道法によって戦争犯罪に問われることになりました。

さらにまた、自由シリア軍の総攻撃は国際社会の反応にも影響を及ぼすとみられます。特に18日には、国連の安全保障理事会で、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツから新たな決議案が提出される予定です。この提案は、アナン前国連事務総長の仲介と提案に基づき、国連シリア監視団の派遣期限を45日延長するとともに、国連憲章第7章に基づく制裁の実施を可能にする内容を含みます。この場合の制裁には、外交、経済のみならず、軍事介入も含まれるため、中国とロシアはこれまで通り
消極的な反応を示すことが予想されます。

西側先進国と中ロの対立は今に始まったことではありませんが、ここしばらくのシリアをめぐる対立の中で、両者は「チキン・ゲーム」の状態に陥っているとみられます。つまり、お互いに強気の態度をとり続け、先に下りた方が負けの、度胸試しの状態です。

西側にしてみると、「軍事介入はしない」に越したことはありませんが、あからさまにその立場を示し続ければ、シリアだけでなく、中ロからも譲歩を引き出しにくくなります。そのため、「軍事介入も可能な決議を通そうとする」姿勢を示すことで、相手にプレッシャーをかけ続けているのです。しかし、以前にも取り上げたように、西側先進国は基本的に、シリアに介入することに消極的です。したがって、このプレッシャーは、カードゲームのなかでさも強い札を持っているふりをする「ブラフ(はったり)」と同じで、相手がゲームから降りることを促している側面が大きいと言えるでしょう。

このことは、中ロも認識していることでしょう。しかし、中ロもまた、「主権尊重」を盾に西側につっぱり続けているものの、「内戦」の認定を受け、アサド大統領が戦争犯罪に問われる可能性が出てきたなかでは、いつまでもシリアを擁護することのリスクは大きすぎます。故に、できるだけ自らの傷が小さい形でゲームから降りるのが、中ロにとって得策な状態ができつつあるといえます。とはいえ、西側4カ国の提案を呑んでしまえば、後々西側が中ロの人権問題に介入・干渉する前例を作りかねません。よって、中ロも西側と同様に、「ゲームから降りたいけど降りられない」ために強気の姿勢をみせ続けざるを得ない状態にあるのです。ただし、18日の安保理決議が採択される可能性は大きくありませんが、遅かれ早かれ中ロも軍事介入以外の制裁の容認には転じざるを得ないとみられます。

冒頭の自由シリア軍による総攻撃は、このように国際環境が煮詰まってきたなかで発動されました。この結果を予想するのは困難です。しかし、この総攻撃によってアサド政権側が致命的な損傷を受けた場合、中ロもシリアの見切り時を得て、国連の対応は一気にアサド放棄に向かう可能性があります。他方、アサド政権が「ダマスカスの火山とシリアの地震」作戦を押さえ込んだ場合でも、より緩やかに西側と中ロの妥協が進む方向性自体は変わらず、その結果アサド包囲網が敷かれていくことになると予測されるのです。

シリア問題の外交的解決は可能か:大国間の落とし所

6月18日、国連シリア監視団(UNSMIS)が活動を一時停止することを発表しました。5月の末以来、シリアでは各地で数十人、場合によっては100人以上の虐殺が相次いでおり、さらに首都ダマスカスでも戦闘が本格化しています。以前に書いたように、体制派と反体制派の衝突はUNSMIS到着後も止まず、さらにUNSMISにそれをやめさせることができない以上、遅かれ早かれ、機能不全に陥ることが予想されていたわけですが、それが現実のものとなりました。これでシリア情勢は、より深刻なステージに入ることになります。

シリアの旧宗主国であるフランスは既に、
武力行使をともなう制裁を国連安全保障理事会に提案する旨を明らかにしています。海外に居住し、アサド体制と敵対してきたシリア人たちの連合体「シリア国民評議会」もまた、欧米諸国に対して、軍事介入を求め続けています。そこには、アナン元国連事務総長の調停が実質的に反故にされつつある状況で、アサド政権といくら交渉しても無駄だという主張とともに、昨年のリビアでそうであったように、できれば外部の力を借りて現体制を根こそぎ破壊することで、国民評議会の主導による新たな国造りを目指したいという考えがあるとみられます。

しかし、フランスや国民評議会の主張は、形勢が不利なようです。

なかでもロシアは、従来通り、アサド政権を支持する立場を崩していません。冷戦期以来の友好関係や、シリア情勢がロシア国内のイスラーム過激派や民主化勢力を刺戟することへの危惧に加えて、もともとロシアは、欧米諸国が実際には自らの利益に関わらない限り関与を控えるのに、いざ政治的・軍事的に介入するとなると「人道」や「人権」といった普遍的大義をかざすことに、強い拒否反応があります。

1999年の旧ユーゴスラビア・コソボ内戦に、NATOはセルビア人による虐殺からアルバニア人を救うという「人道的介入」を掲げて介入しました。しかしこの際、アルバニア人によるセルビア人への攻撃が問題になることは、ほとんどありませんでした。欧米諸国がセルビア人を一方的に「悪者」として扱い、さらに住民投票に基づいてコソボ自治州をセルビア共和国から独立させて親欧米政権の樹立をプロモートしたことは、伝統的にセルビアと友好関係にあるロシアからみれば、庭先を上手くかすめ取られたように映ることでしょう。

もちろん、ロシアが万事を「内政問題」として扱い、アサド政権を擁護し続けることで、結果的にシリアの惨状を解決することを妨げていることは確かです。しかし、いずれにしても、「
虐殺は反体制派がやったこと」というアサド政権の主張を支持するロシアは、余程のことがない限り、安保理で制裁決議が行われたとしても、拒否権を発動すると思われます。やはり内政への関与に神経を尖らせる中国も、これに同調するものとみられます。

一方で、欧米諸国も軍事介入には消極的です。それはロシアや中国、さらにシリアと友好関係にあるイランとの緊張の高まりに対する懸念だけでなく、自らの台所事情によるところもあります。失業率が再び悪化するなかで大統領選挙を目前に控えたアメリカは、クリントン長官が介入の可能性を再三否定しています。世論調査でも、アメリカ国民の
約6割がシリアへの介入に反対しています。前政権からの懸案であるイラクやアフガニスタン、さらにパキスタンでの軍事活動に一定の目処をつけたことを選挙でアピールしたいオバマ大統領にとって、このタイミングでの軍事介入は、財政的、国内政治的に負担が大き過ぎると言えるでしょう。ヨーロッパ諸国にしても、信用不安の連鎖反応に直面するなか、アメリカ抜きで介入に臨むことには、リスクが大き過ぎます。また、そのリスクを敢えて取るには、石油資源などの面で、シリアにはリビアほどの魅力がありません。

こうして、ほとんどの国が介入に慎重になっている状況は、しかし、アサド政権の保護者たるロシアにとって、必ずしも心地良い状態ではありません。

虐殺を生き延びた人がほとんどいないため、その全容が解明されているわけではありません。従って、「虐殺は体制派によるもの」という国連報告を現段階で100パーセント信用することは困難です。しかし、それを斟酌したとしても、この混乱と惨状の最終責任が最高権力者にあることは間違いなく、仮に虐殺に加担してなかったとしても、多くの国民を守れていない時点で、アサド大統領の責任は免れません。それを支持し続けることは、ロシアにとって非難の矢面に立ち続けることを意味します。一方で、自らが拒否権を発動してまで庇護するなかで、アサド政権が停戦合意を順守しない状況は、ロシアからみれば、シリアがロシアの庇護にあぐらをかいているように映るでしょう。言い換えれば、後見役として「庇わざるを得ない」自国をシリアが振り回している、とロシア政府が捉えたとしても、不思議ではないのです。

この環境のもと、ロシア政府は13日、五大国や関係国からなる、シリアに関する
国際会議の開催を提案しました。この提案は、その2日前、アナン元国連事務総長が提案した、イランを含めた関係国からなる連絡調整グループの立ち上げ、という考えに沿うものです。

リビアの時に設置された連絡調整グループは欧米諸国や湾岸諸国などで構成され、国民評議会を正当な交渉相手と認定するなど、少なくとも結果的には、国際的なカダフィ包囲網を敷く枠組みとして機能しました。これに乗り遅れたことで、中ロは「カダフィ体制を擁護し続けた」という立場に置かれることで、イメージ的にも大きなダメージを受けました。

リビアのケースを振り返ると、ロシアが連絡調整グループの立ち上げに通じる提案をしたことは、内乱収拾に関する主導権を欧米諸国に持っていかれないようにするためのものと捉えられます。

また、これは武器提供の疑惑など、アサド政権を支えているという批判を緩和し、「シリアの和平と安定に積極的に取り組んでいる」という国際的アピールの意味合いもあると言えるでしょう。その場合、同時に、ロシア政府はアサド政権との距離を測り始めた、ということができます。つまり、国際的な関与の枠組み作りに動き始めたということは、少なくとも「内政問題」の言辞で押し切ることをロシアが諦め始めたことを意味しており、外務大臣の
アサド大統領退陣を容認する発言とも関連して、「いつまでも無条件に支えてやるわけでない」というプレッシャーをシリアにかけ始めたことを示すものです。

一方で、先述のように、フランスを除いて欧米諸国は軍事介入に消極的な姿勢を崩していません。従って、少なからずシリアに影響力を発揮できるロシアを含めた連絡調整グループの創設は、外交的手段で対応したい欧米諸国にとっても、断りにくい提案です。欧米諸国がイランをメンバーとして認めるかは、イラン自身が核開発疑惑で制裁を受けている状況に鑑みれば、難しいと言わざるを得ません。しかし、それ以外の部分であまり難色を示せば、「欧米諸国がシリアの和平を邪魔している」といった難癖をつけられる可能性があります。

このようにみた時、アナン元国連事務総長のプランに乗ったロシアの提案は、大筋において欧米諸国も拒絶することが困難になると思われます。その場合、外部の支援で現体制を打倒する「リビア型」ではなく、大統領の退任と出国、そして現体制の有力者が暫定的に統治するなかで緩やかに体制転換を図る「
イエメン型」の決着が信憑性を帯びてくると言えるでしょう。ただし、これだけ戦闘と殺戮が大規模化した後では、国民の間の相互不信は根深く、どういう制度であれ順調に体制転換や選挙が実施されるとは予想し難く、その意味でシリアは長期に渡って内戦の後遺症に苦しむであろうことだけは確かなのです。

世界ウイグル会議:「蟻の一穴」になるか

5月14日、東京で「世界ウイグル会議」の世界会議が開催されました。日本をはじめ、各国から議員も出席するなか、ラビア・カーディル代表は新疆ウイグル自治区での中国政府による少数民族弾圧を批判し、人権や自由を守らないまま中国が国際社会で確固たる地位を築くことはないと強調しました。一方、中国政府は同会議が開催されないように日本政府に働きかけていましたが、結局カーディル議長をはじめ関係者らにビザが発給されました。これを受けて中国政府は、「中国の核心的利益」を守るようにとの再三の要請が無視されたとして、胡錦濤国家主席が野田首相との会談を事実上キャンセルするなど、影響は各方面に及びました。

中国の少数民族問題としてはチベットがよく知られますが、それと並んで中国政府が神経を尖らせているのがウイグル問題です。中国の西の果て、中央アジア諸国との境界に接する新疆ウイグル自治区は、面積で中国全体のおよそ6分の1を占めます。ここで最大の人口を抱えるウイグル人は720万人以上に上り、中国の55の少数民族のうち最大規模を誇ります。ウイグル人は8世紀には既にこの地に移り住んでいたトルコ系の人々を祖先とし、その多くがムスリムです。文化的な独自性をもつウイグル人たちは、清朝によってこの地が制圧された後も独立を模索し、1944年に「東トルキスタン共和国」の樹立を宣言し、一時はソ連からの承認も取り付けました。しかし、ソ連の影響力伸張を嫌う中国は、1955年に新疆ウイグル自治区を自国の領土として正式に編入し、冷戦の環境下でソ連もこれを黙認したのです。

その後、共産党はこの地に開拓と国境防衛、さらに少数民族管理を任務とする屯田兵組織、「生産建設兵団」を送り込み、それにつれて新疆の人口構成は大きく変化しました。中華人民共和国が樹立された1949年当時、新疆の人口のうち、ウイグル人の75.9パーセントに対して、漢人は6.7パーセントに過ぎませんでした。それが1998年のデータではウイグル人46.4パーセントに対して漢人38.6パーセントと、
漢人の比率が急速に増加したのです。広く知られるように、中国では一人っ子政策がありますが、それは主に都市居住の漢人に限られ、少数民族は適用外です。にもかかわらず、新疆ウイグル自治区における漢人人口比が急速に上昇したことは、東部から漢人が大量に流入したことを示します。

ウイグル人の間に鬱積する反中国感情は、政治、経済、文化の各面に及びます。

【政治】
中国ではウイグルやチベットなど、人口の多い少数民族の居住区は「自治区」となっています。しかし、自治政府は少数民族出身者が要職を占め、さらに教育などでも少数民族の言語が教えられたり、大学入学者に少数民族出身者の枠が設けられるなど、少数民族が優遇されているようですが、他方で自治区制度は漢人・共産党による中央支配の延長線上にあることも確かです。中国では党が政府に優越します。これは中央レベルだけでなく、地方でも同じです。自治区の党書記は北京から派遣され、これが少数民族出身者の多い自治政府を管理・監督するのです。形式的に自治権が認められながらも、実質的には漢人・共産党に支配される状態が、ウイグル人たちに不満を呼んだとしても、不思議ではありません。

【経済】
1990年代以降、中国政府は沿岸部と比べて経済成長の遅れていた内陸部、特に西部地区の重点的な開発を掲げました。「西部大開発」のスローガンのもと、新疆ウイグル自治区にも沿岸部から多くの中国企業が流入しました。これは一面において、過当競争になった沿岸部の企業に、新たな進出先を提供するものでもあったのですが、いずれにせよタリム盆地の天然ガス開発やトルクメニスタンなどからの石油パイプライン建設など、西部大開発の恩恵を新疆住民も享受することができるようになりました。ただし、一方で民族間の所得格差も大きいと考えられます。新疆では漢人が都市に集中し、一方でウイグル人など少数民族は農村部ほどその人口比率が高まります。新疆ウイグル自治区人民政府の統計によると、都市住民の平均所得が5428.91元であったのに対して、農村住民のそれは1473.17元でした。これは直接的に民族間の所得格差を示すものではありませんが、少なくとも漢人と少数民族の間の格差を推し量ることはできます。そして、この所得格差が民族間の摩擦を呼んだとしても不思議ではありません。

【文化】
漢人の人口比率が高まるにつれ、少数民族なかでもムスリムのウイグル人との間に文化摩擦も頻発するようになりました。中国では「信仰の自由」はあっても「宗教の自由」はありません。つまり、個々人が内心で何を信仰するかの自由はあるのですが、例えば集団礼拝などの宗教行 事には多くの規制があります。新疆ではモスクや聖職者が政府直属の「中国イスラーム協会」の管理下に置かれ、政府認定のカリキュラムを経なければ聖職者に はなれません。イスラーム国家サウジアラビアなどでもやはり政府がイスラームを管理していますが、少なくとも公式には社会主義を奉じる中国政府がイスラームを管理することは、「政府による宗教への介入」の様相がより濃いものと言わざるを得ません。また、私も新疆ウイグル自治区に行ったことがありますが、漢人の肉屋では豚肉が平然と売られており、なかにはその頭が転がっていることも珍しくありません。ムスリムのウイグルからみたとき、これは文化的な挑発とすら映ることでしょう。

これらの背景に基づき、新疆ウイグル自治区では冷戦終結後の1990年代の初めから、ウイグル人による暴動やデモが定期的に発生するようになりました。それと並行するように、かねてから国外で活動していた在外ウイグル系団体も活動を活発化させました。それらは大きく二つの系統に大別され、一方には「民族の自決権」といった世俗的な人権規範を掲げるグループが、他方にはイスラームの価値を掲げ武装闘争も辞さないグループがあります。

どちらも1990年代から急速に勢力を拡大させましたが、チベットとの最大の違いは、抵抗運動が一本にまとまっていないことです。今回、東京で国際会議を開いた「世界ウイグル会議」は、世俗主義グループが2004年に集まってできた連合体で、ここに所属しない世俗主義グループもあります。例えば、やはり2004年にワシントンD.C.で樹立が宣言された「東トルキスタン亡命政府」は、「世界ウイグル会議」と距離を置いています。一方でイスラーム系武装組織はイスラーム国家の樹立を目指し、国際世論に訴えるといった手法ではなく、新疆内部でのテロ活動などに重点を置いています。なかにはアルカイダやタリバンとの連携が指摘される組織もありますが、ともあれその活動の手法、目標ともに一枚岩でなく、派閥争いが顕著なところが、在外ウイグル系団体の特徴といえるでしょう。

これら在外ウイグル系団体の活動と相まって、1990年代以降に活発化した新疆内部でのウイグル人による騒乱を、中国政府は「分離主義者に扇動されたテロ行為」と位置づけ、「厳打」と呼ばれる厳罰主義で臨んでいます。
中国政府による発表では、1990年から2002年までの間に、新疆では約200件の「テロ事件」が発生し、162名が死亡し、440名以上が重軽傷を負っています。

2001年以降のアメリカ主導による「対テロ戦争」が華やかなりし頃は、「ウイグル反政府勢力=テロリスト」の主張による中国政府の弾圧は、西側諸国から黙認されてきました。しかし、「対テロ戦争」がやや下火となり、さらに中東一帯で「アラブの春」が吹き荒れた後となっては、少なくともそのレトリックで全てを正当化することは困難です。世界ウイグル会議のカーディル議長が言うように、「強い国家があってこそ個人の権利が守られる。だから強い国家が最優先だ」という中国の人権論が、グローバルな人権規範から大きく逸脱していることは、もはや隠しようがないと言えるでしょう。

一方で、いかに中国への風当たりが強くなろうと、新疆が分離独立することは、現段階において想定できません。いかなる理由であれ、外部の国が、特定の国のなかの一地域の分離独立を支援することは、大きな摩擦を招きます。セルビアのコソボ自治州では、1999年にセルビア人とアルバニア人の全面的な民族間紛争が発生し、NATOの介入によって2008年に住民投票によって独立を果たしました。しかし、これに対してセルビアを支援するロシアは強く反発しており、いまだにコソボを国家として承認していません。内戦という極限状態にまでいたらずとも、地理的に遠く離れた、まして五大国の一角を占める中国の新疆において、欧米諸国がコソボほど力をいれて「分離独立」を支持するとは思えません。

同時に、新疆に暮らす多くのウイグル人たちも、「分離独立」を願っているとは言えないと考えられます。H.S.リーが2003年に新疆で行った調査【Herbert S. Yee (2003) “Ethnic Relations in Xinjiang: A Survey of Uyghur-Han Relations in Urumqi,” Journal of Contemporary China, 12(36), pp.431-452】は、これを裏付けるものといえます。

リーの調査の要点をピックアップすると、

・「自分の民族に誇りをもつか」−「もつ」(ウイグル人:90.6%/漢人:67.4%)

・「改革・開放以来、ウイグル人の生活水準の改善は、漢人のそれより早くなったか」−「同じ」(ウイグル人:49.5%/漢人:46.9%)、「早くなった」(ウイグル人:15.1%/漢人:38.0%)、「遅くなった」(ウイグル人:38.0%/漢人:12.5%)

・「分離独立運動への参加は全ての人々を傷つける(harm)か」−「強く賛成する」(ウイグル人:35.8%/漢人:64.4%)、「賛成する」(ウイグル人:47.9%/漢人:28.2%)

・「分離独立運動への政府の対応は」−「妥当」(ウイグル人:34.9%/漢人:52.2%)、「わからない」(ウイグル人:51.9%/漢人33.9%)

政治的にデリケートな土地でのアンケート調査なので、回答はある程度割り引いて考えないといけませんが、少なくともここからは、ウイグル人の多くが強い民族意識をもち、さらに経済開放による民族間格差を漢人より感じながらも、分離独立運動にも政府の「厳打」にも消極的な姿勢を示していることが確認されるでしょう。

漢人との格差を感じるとはいえ、ウイグル人たちも雇用の機会などにおいて、改革・開放の恩恵をそれなりに享受していることは否定できません。また、先述のように自治区では少数民族の言語で教育を受ける機会が保障されていますが、最近では中国語で教育する漢人の学校に子どもを通わせるウイグル人も珍しくありません。中国語が支障なく使えることが就職などにおいて有利であることが、これを促していると考えられます。つまり、いかに政治、経済、文化の各面で漢人・共産党への不満を募らせているとしても、一般のウイグル人の多くが中国の一部であることに、ある程度の利益を見出していることもまた、否定し難いのです。ですから、頻発するデモや暴動は、「分離独立」を求めるものというより、不満を抱えながらも漢人と共存せざるを得ないことへのフラストレーションの発現と観た方がいいと思います。そうだとすると、「分離独立」の主張は国際社会だけでなく、新疆のウイグル人たちからも受け入れられにくい主張になってきます。

14日の会合で、「世界ウイグル会議」が「分離独立」を正面から掲げず、中国政府による少数民族の抑圧に対する批判に終始したことは、この観点から理解できるでしょう。やはり北京と対立するチベット亡命政府が「独立」から「高度な自治」に主張をシフトさせたことも、同様に内外の支持を得やすいという戦術的配慮があると思われます。つまり、中国における少数民族問題は、「分離独立」ではなく「政治・経済・文化的な民族間格差の縮小」という次元に重点がシフトしつつある、といえるのです。

中国政府は「経済成長を進めることで皆が豊かになれる」と主張しており、その場合の「皆」には少数民族も含まれます。これはつまり、経済成長を進め、その恩恵を行き渡らせることで、民族間の不和も柔らげることができる、という主張です。しかし、漢人同士の間でも、格差の拡大が深刻化していることはよく知られます。また、先述のように、部分的とはいえ経済成長の恩恵を感じるが故にウイグル人が中国の一部であることを是認してきたとしても、半永久的に経済成長を続けることが不可能なことは確かで、「アメ」で少数民族を手なずける手法がいつまでも続けられるとは思えません。

しかし、それでも冒頭で触れたように、中国政府は「内政不干渉」の原則を盾に、頑なな姿勢を崩しません。どこか一箇所でも崩れれば、それは「蟻の一穴」となって、中国全土の少数民族問題を噴出させかねないという危惧があるのでしょう。それは言い換えれば、共産党体制の根幹を揺るがしかねない問題です。故に、今後とも、中国政府が既存の自治区制度を改めることは想像できないのですが、それはウイグル人のフラストレーションをますます増幅させることになると思われます。

改革・開放後の中国は、他に類をみないほどのプラグマティズムで驚異的な経済成長を実現させました。しかし、こと政治的、社会的な問題に関しては、そのプラグマティズムは見事なまでに欠落しています。そして、その状態が続く限り、共産党および中国政府は自縄自縛に陥っていくといえるでしょう。

国連シリア監視団の前途にある暗雲

4月30日、政府・軍による市民の弾圧が続くシリアに、国連平和維持部隊の監視要員第一陣が到着しました。その任務は停戦監視と治安維持にありますが、その前途は多難です。

本来、平和維持部隊は内戦や国家間の武力衝突が一段落し、当事者間で停戦(終戦とは限らない)合意が成立した後、その合意の遵守を双方に求めるため、第三者の立場で紛争地帯に入るものです。1948年から始まった国連の平和維持活動には、五つの原則があります。1.受入れ国の同意、2.派遣国の同意、3.戦闘行為の自制、4.内政不干渉、5.中立不偏、の五つです。これらは要するに、停戦・終戦はあくまでその当事者同士の合意に任せ、国連部隊は戦闘停止が守られ、市民に犠牲が出ないように監視することが主任務で、しかも国連に部隊を出す国、これらを受け入れる当事国、双方の同意に基づくというものです。

つまり、平和維持部隊は紛争の終結を積極的に斡旋したり、まして力ずくで紛争の解決を図るものではありません。これは各国の主権を最大限に尊重する、という基本理念に基づきます。そこに限界があることは言うまでもありませんが、かといって紛争終結への積極的なアプローチをとればいいというものでもありません。

冷戦終結の直後、国連はより積極的な介入を企図し、それを実際にソマリア内戦で実行しました。1993年、B.B.ガーリ事務総長(当時)の発案に基づき、アメリカ軍を中心とする国連部隊が、内戦の最中にあったソマリアに軍事介入し、武装勢力を力ずくで引き分けることを試みたのです。「希望回復作戦」と名付けられたこの強制的な軍事介入は、しかしソマリアの武装勢力の全てから受け入れ表明があったものではありませんでした。そのため、アメリカ軍主体の国連部隊は敵対的な勢力からの攻撃を受け、これに反撃し、結果的に内戦の当事者となって、ソマリア人からの憎悪の対象となってしまったのです。部隊兵士から多数の犠牲者が出るにともない、アメリカと国連は態度を一変させ、2年を待たずにソマリアから撤退しました。その経緯は、映画「ブラックホーク・ダウン」にも描かれている通りです。

泥沼の内戦状態に陥った国で、丸腰の市民が日常的に虐殺される状態は、放置してよいものではありません。しかし、当事者の同意を得ずに強制的に介入する難しさを、国連とアメリカはソマリアで学んだのです。

それから20年近く経った今日、シリアへの国連部隊の派遣は、
国連や西側諸国にとって、ソマリアとはまた違った意味で困難な取り組みになるとみられます。

コフィ・アナン前国連事務総長の仲介もあり、シリアのアサド政権は停戦と国連部隊の受け入れに同意しました。この点で、国連は従来の手順をクリアすることができました。しかし、問題はアサド政権が停戦を宣言しているにもかかわらず、
シリア軍による反体制派と市民への武力弾圧が、ほぼ全く止んでいないことです。つまり、国連シリア監視団(UNSMIS)は、停戦合意が全く守られていない状況下で、武力行使もできず、仲介もできないなかで、停戦合意を遵守させるという、限りなく困難なミッションを課されているのです。

UNSMISの派遣は、派遣そのものにシリア軍による武力弾圧を抑制する効果があるという意見もあります。つまり、国際社会からの更なる非難を避けるため、たとえUNSMISがほぼ丸腰に近いものであったとしても、その目の前で武力行使をすることは控えるだろう、という観測です。しかし、そうであればと願いますが、現実にはUNSMISの監視をかいくぐって、シリア軍による攻撃は続いているようです。UNSMISは300名規模で編成され、もともとそれでシリア全土をカバーするのが困難なうえに、全ての人員がまだ揃ってはいません。

「国連加盟国の主権尊重」の原則のもと、平和維持部隊の規模や編成についても、受入れ国の同意が必要です。アメリカをはじめとする西側先進国とシリア政府の外交交渉の結果、人員が制限され、さらに航空機の使用などにも制限があるなかで、UNSMISの派遣はアサド政権にとって「国連の要請を受け入れた」という内外向けのアピールを可能にした一方、実質的な監視を困難なものにしたといえるでしょう。

シリア政府のこの姿勢は、対外的には中露のバックアップによって可能になっています。なかでも、シリアと伝統的に近い関係にあるロシアにとって、「アラブの春」の余波でアサド政権が崩壊するようなことになれば、中東での足場を失うだけでなく、民主化の波が自分たちの裏庭であるカフカス地域にまで波及するという危惧があります。国内にムスリムや反体制派を多く抱え、「人権尊重」や「民主化」を大義とした西側諸国の介入(その恣意性はここでは置きますが)に危機感を持つという点で、中国も同様です。これに加えて、シリアが核開発を進めるイランと良好な関係にあることも、西側諸国をして強硬な介入を逡巡させる要素となっています。

その一方で、武力活動の停止やUNSMISの受け入れを表明しながらも、これらを実質的に守らないことは、シリア政府が国際的な自らの立場を考え、「面従腹背」が可能という一貫した考え方に沿って行われているとは限らず、むしろアサド政権の内部崩壊を示すものともいえます。

もともと、2000年に34歳で父・ハーフェズの死去によってシリア大統領を継いだアサドは、父親と異なり、軍や治安機関に絶対的な支配力を持ってはいませんでした。政治犯の釈放やインターネット解禁など就任直後のアサドが推し進めた「ダマスカスの春」は、軍や治安機関のサボタージュにより頓挫しました。シリア政府の国連に対する態度と同様に、軍や治安機関もまたアサドに対して「面従腹背」の姿勢を貫いてきたのです。インフォーマルな人的ネットワークの上位に君臨し、既存の縁故主義によって私財を蓄えてきた軍の上層部にとっては、アサド大統領は神輿として必要であってもそれ以上の価値はなく、一方で民主化は自らの立場を失わせるもので、認められるものではありません。国際的に約束しながらも停戦が実現しない状況は、アサド政権内部の「面従腹背」がピークに達していることを示すものであり、ここからシリア政府の末期症状がうかがわれます。

大統領の意思に関わらず、軍や治安部隊が武力活動に消極的であるとするならば、UNSMISによる停戦監視は、いきおい制約を受けます。仮にUNSMISの監視活動が一定の成果をあげたとしても、もはや停戦の遵守すらできないのであれば、その後の治安回復などは望めません。その意味で、昨年までのシリアに戻ることは想像できない状況にきているのであり、早晩UNSMISはその役割の大幅な変更を余儀なくされるとみられます。
しかし、中露は国連安保理での交渉において、武力行使を含む介入に強硬に反対しており、UNSMISの機能強化を国連の枠組みで実施することは、かなり困難です。かといって、中露やイランとの関係に鑑みれば、1999年のコソボのように、あるいは昨年のリビアのように、西側諸国がNATOの枠組みで介入することも考えにくいといえるでしょう。

いわば、進むことも戻ることもできない状況にUNSMIS要員は置かれているわけで、形式的な監視以上の役割を求めるのは非常に困難と言わざるを得ないのです。

北朝鮮「人工衛星」実験がもたらし得るもの

3月16日に、4月12日から16日までの間に「人工衛星」を打ち上げると発表して以来、北朝鮮は孤立を深めています。オバマ大統領が韓国の大学での講演において、「瀬戸際外交」がもはや通用しないと北朝鮮政府首脳に対して異例の呼びかけを行ないました。これに加えて、日本や韓国だけでなく、従来は北朝鮮に友好的な中国の胡錦濤国家主席も、「ミサイルより国民の生活を優先すべき」として、既に実験の中止を複数回に渡って求めていることを明らかにしています。また、やはり北朝鮮の後ろ盾となってきたロシアも、メドヴェージェフ首相が 実験の自制を求めるなど、今回は対応に変化がみられます。

周知のように、今年は北朝鮮建国の父、金日成の生誕100周年にあたります。それにあたって、発足したばかりの新体制による支配の正当性を喚起するためにも、北朝鮮政府は国民の生活改善に迫られているとみられます。今年2月に再開したばかりだったアメリカとの交渉で、食糧支援が大きなテーマになったことは、不思議ではありません。そのタイミングでミサイル実験とは、当たり前の思考からすると、自分で自分の首を締めるようなものですが、これは北朝鮮と日米間、そして北朝鮮国内の二つのレベルで考える必要があります。

今さら言うまでもありませんが、自ら危機的な状況を演出し、相手に譲歩を迫るのが、北朝鮮の十八番「瀬戸際外交」です。つまり、今後の交渉において不利な状況が見え始めるなかで、立場のアンバランスをわずかでも解消するためには、敢えてミサイル実験を行い、「それをやめる」ことを交渉材料にするしかないのです。その上で、もらうものをもらったら、あとは約束を事実上、反故にする。これを繰り返せば、北朝鮮は少なくとも日米韓と立場上は対等であり続け、更に中国やロシアの面子を部分的に立てながらも、最終的にはこれらからの独立性をも確保できるのです。わざと理不尽な行動をとることで相手に譲歩を迫り、自らの利益を最大化するという、「非合理性の合理性」を見て取ることができます。ただし、中ロの明らかな反対にもかかわらず、北朝鮮が実験を強行しようとしているところが、今回の最大の特徴です。これは、中ロに対するこれまでの若干の遠慮すらも北朝鮮がなくし初めていることを示すものと言えるでしょう。

他方、北朝鮮の国内に目を向けると、このミサイル実験に体制内の権力闘争の現れをみることもできます。現在の北朝鮮の最高職責は、軍を統括する労働党の「国防委員長」です。これが、あらゆるものより軍事が優先するという、北朝鮮の先軍政治の象徴です。ただし、長い期間をかけて軍に対する支配力を貫徹していった金正日と異なり、金正恩は落下傘式に据えられた名目状の最高責任者に過ぎません。この状況下で、重石がとれた軍が、体制内での自らの強化を図って、これまで以上に軍拡に突き進もうとすることは疑いありません。また、国内政治の変動の結果、核・ミサイルの保有で鼻息が荒い軍の発言力が相対的に向上したことは、対外的には中ロに対する遠慮の低下という側面に繋がっていると考えられます。

金正恩にしても、対外的な冒険主義に加担することは、「飾りもの」として軽んじられないために欠かせません。そうだとすると、各国がいかにプレッシャーをかけたとしても、それによって北朝鮮政府がミサイル実験を中止することは、ほとんどないと思われます。むしろ、北朝鮮国内の文脈で言えば、各国からの圧力が強まれば強まるほど、「外国の妨害に負けない指導者」を演出できることになり、逆にこの状況下で実験を自制すれば、「外国の圧力に屈した軟弱者」となるからです。

仮に実験を取りやめるにしても、内外向けの口実はほとんど見当たりません。「不具合の調整」でロケット発射を延期することは、先進国では珍しくありませんが、国威を内外に示したい北朝鮮にとって、技術力に対するマイナスイメージをひろげることは言えません。「ミサイル」でなく「人工衛星の打ち上げ」で実験を強行しようとしている以上、「外国からのお願いに、我らの首領様が寛大な措置をとってやった」といった類の国内向けの方便も使いにくくなります。人工衛星ならば国際的に権利が認められているので、「寛大な措置」をとる必要がないからです。これらに鑑みれば、北朝鮮政府はまさに退路を絶っており、譲歩することは、極めて考えにくい状況です。

しかし、今回ばかりは、北朝鮮政府首脳の期待通りの成果が得られるかどうかは、定かでありません。中ロは西側先進国による干渉や介入から開発途上国の「独裁者」を保護することで、自らの影響力を保持してきました。その立場からすれば、いかに厄介者であっても、北朝鮮の現体制を容易に見限ることはできません。しかし、それにも限度があります。露骨に中ロの要請を無視してミサイル実験を強行し、朝鮮半島の緊張が高まれば、それは中ロにとっても見過ごせない状況になります。中国やロシアも、無条件に各国の「独裁者」を支援しているわけではなく、自らの利益に反する場合には見限ることもあります。最後の最後でカダフィが切り捨てられたことは、その象徴です。

その意味で、今回のミサイル実験発表をきっかけに顕在化した、誰も支援してくれない状況は、一面において孤立を示しますが、それは他方で、誰も抑制できなくなった北朝鮮が、より向こう見ずな行動に出やすくなる可能性をも意味します。言うまでもありませんが、カダフィやリビアと違うのは、北朝鮮が核兵器を既に保有している点です。これがあるからこそ、中ロはある程度我慢して北朝鮮と付き合ってきたとさえ言えます。しかし、中ロの反対すら押し切ってミサイル発射実験に踏み切ったとき、朝鮮半島情勢はこれまでになく危険なステージに入ると予想されるのです。

イランは燃え上がるか

 イラン情勢の緊迫は、日本では案外話題になっていないように思います。しかし、これは日本経済にとってだけでなく、世界全体に大きな影響を及ぼす点で、欧州通貨危機なみの問題です。

今回のイラン危機の発端は、昨年11月8日に国際原子力機関(IAEA)がイランの核開発疑惑を指摘した報告書を提出したことにあります。それを契機に、アメリカ議会は12月14日にイラン企業との取引に対する制裁を強化した法案を決議。さらに、12月31日はオバマ大統領が、イラン中央銀行と取引のある各国の金融機関を、アメリカ内部で規制する法案を可決。アメリカで取引する全ての国が、アメリカの対イラン制裁と無縁でなくなったのです。イランが開発したミサイル「アシュラ」の射程圏内に収まるEU諸国も、基本的には制裁でアメリカと同調しています。11月24日にはフランスがイラン産原油の禁輸措置に踏み切ったほか、EUも経済制裁を次々と決定しています。

この対立は、日本にとっても無関係ではありません。日本が輸入する原油の10パーセント強はイラン産です。一方で、イランから石油を輸入すれば、アメリカの制裁に引っかかることになります。1月12日、訪日中のガイトナー財務長官に対して、安住財務大臣はイランからの原油輸入を削減してきた「実績」を強調することで、日本の銀行に対して、アメリカの先の法律の「例外規定」の適用を求めました。そのうえで、安住大臣は今後とも輸入に占めるイラン産原油のシェアを減らす考えを示しましたが、これが基本的には欧米諸国に軸足を置いた対応であることは言うまでもありません。

これに対して、イランのアフマディネジャド大統領は核開発が平和利用目的であることを強調し、さらにIAEAの報告書が西側先進国の情報に基づいていると批判し、両者の対立は加速。12月上旬に米軍の無人偵察機がイラン東部で撃墜されたことも、火に油を注ぐことになりました。12月末には、ペルシャ湾のホルムズ海峡をイラン海軍が閉鎖する可能性についても言及し、さらに周辺海域で10日間の軍事演習を行いました。ホルムズ海峡が閉鎖されれば、世界の原油の7割近くが集中するペルシャ湾岸諸国の原油輸送に、深刻な影響が出ます。「原油不足」の懸念は、ただでさえ高止まり傾向のあるエネルギー価格を、さらに押し上げる効果があります。こうして、イラン危機は世界に影響を及ぼす火薬庫となったのです。

イランの核開発疑惑そのものは、以前からあったものです。それがこの時期に急にクローズアップされたことには、イラン側から欧米諸国の「政治的意図」を疑う指摘があります。アメリカが支援していた皇帝(シャー)が打倒された1979年のイラン・イスラーム革命以来、イランと欧米諸国、なかでもアメリカとの間には根深い不信感がありますが、それだけでなく2010年末からの「アラブの春」で、中東・北アフリカ一帯の勢力図が大きく変わったことに鑑みれば、それは故のないことだと思います。

シリアではアサド政権に対するデモと、政府・軍による弾圧の悪循環が続き、多くの死傷者が出ています。従来は身内に甘いアラブ諸国ですら、この状況はもはや看過できず、アラブ連盟がアサド大統領に退陣を求め、さらに国連安保理に問題を付託しようとしています。しかし、リビアと異なり、シリアの場合は欧米諸国も軍事介入に消極的です。それはアサド政権がロシアや中国だけでなく、核・ミサイル開発が進むイランとも友好関係にあるからです。つまり、欧米諸国によるイランへの強硬姿勢は、膠着するシリア情勢を打開するための「絡め手」としての側面もあるのです。

また、独裁体制が崩れたアラブ諸国の情勢変化による影響も、看過できません。イスラエルと国交を結ぶ数少ないアラブの国であったエジプトではイスラーム系政党が躍進し、これまでムバラク政権のもとで押さえ込まれてきた対イスラエル批判が、公然と噴出するようになりました。孤立感を深めるイスラエルでは、近隣の国、特にその核開発の主たる標的としてイスラエルを暗黙に想定してきたイランに対しては、警戒感が充満しています。アメリカとしてはパレスチナ問題で譲歩を迫る「見返り」として、イスラエルの警戒感を慰撫する必要に迫られているといえるでしょう。

さらにまた、アメリカ、イラン双方の国内事情もまた、この危機を増幅させる要因としてあげられます。

「アメリカ大統領選挙の年には戦争が起こりやすい」というジンクスがあります。大統領選挙を控え、国内世論向けに得点を稼ぐ手段として、戦争が活用されているという見方です。もちろん、アメリカ政府は否定するでしょうが、経済の失速と連動してオバマ政権への支持が低迷する状況があることは事実です。この状況下、国際的な危機に対応することが、政権にとってのプラス要素になることは言うまでもありません。つまり、イラン危機はオバマ政権にとって、政権浮揚のチャンスという側面も内包している、とみることに無理はありません。

他方、イランのアフマディネジャド大統領にとっても、欧米諸国に強硬に対峙することには、国内的な意味があります。近隣諸国で独裁体制が崩壊するなか、イスラーム体制の護持を掲げる保守強硬派のアフマディネジャド大統領にとっては、欧米諸国との対立が自らの支持基盤である保守派からの支持を固める手段でもあります。また、保守穏健派でイラン最高指導者のアリー・ハメネイ師は以前から核開発に否定的ですが、欧米諸国による制裁という「対外的な脅威」を強調することは、アフマディネジャド大統領にとって、公式の立場上は抵抗できない最高指導者の意思を押し切る格好の口実にもなります。

もちろん、これらの国内的な事情は推測の域を出ません。しかし、いずれにせよイラン、欧米諸国のいずれにとっても、実際に戦火があがる状況はリスクが高すぎます。正面から軍事衝突に至った場合、イランに勝ち目がないことは明らかです。とはいえ、核弾頭の有無はともかく、ミサイルがEU圏に届く可能性や、あるいは原油価格が天井知らずに高騰するリスクに鑑みれば、欧米諸国としても経済制裁で矛を収めることが最善の結果であることは間違いないでしょう。

ただし、経済制裁が長引いても、それがイランの核開発を止める効果があるかには疑問があります。イラン産原油の輸出先は、22パーセントが中国、13パーセントがインド向けです。18パーセントを占めていたEU向け輸出がなくなっても、これらの制裁に消極的な国に流れることは、容易に想像されます。

ところが、ここまでヒートアップしたなかで中途半端にけりをつけてしまえば、お互いに先ほどの「国内世論」の逆襲を受けることになります。欧米諸国とイランの政権担当者は、今まさに振り上げた拳の落としどころを模索している最中にあるといえます。

ミャンマーの民主化?

ャンマーで1月14日、政治犯302人が釈放されました。2010年に20年ぶりに総選挙が行われて以来、ミャンマーは段階的に民主化を進めてきました。それに合わせて、日本を含む先進国はミャンマー政府との協議を行うようになっており、昨年12月にはクリントン国務長官がテイン・セイン大統領だけでなく、アウン・サン・スー・チー氏とも会談しています。今回の政治犯釈放で、アメリカの大使館再開も加速するものとみられ、長く孤立してきたミャンマーが国際社会への復帰プロセスにあることは確かのようです。

しかし、その一方で、この一連の動きがミャンマーにおける自由と民主主義を実質的なものにするかは、慎重に判断すべきでしょう。2010年の総選挙は、2008年に実施が発表されました。その前年、ヤンゴンで僧侶を含む数千人規模のデモが発生し、これを軍事政権が武力で鎮圧したことで、ミャンマーは欧米諸国からだけでなく、近隣の東南アジア諸国からも厳しい批判にさらされました。これを受けて実施が決まった2010年の総選挙は、軍事政権自身が進めたものでした。その結果、新憲法では議席の4分の1は軍関係者で占められることが定められ、選挙で選出された議員も多くが旧軍事政権関係者です。いわば、2010年選挙は、外部からの批判を緩和することを直接的な目的にしたものだったのです。

もちろん、たとえ形式的なものであっても、政治的な発言や投票の機会が確保されるようになったことは、過小評価すべきでないでしょう。また、軍事政権が権力を一手に握っている状態では、政府による主導以外に民主化が進まなかったことも確かで、そのこと自体を批判しても仕方ないと思います。

しかし、1990年代のアフリカでもそうでしたが、外圧への反応として権威主義的な政府が体制転換を行った場合、新政府は自らの権力を脅かさない範囲内での自由化や民主化に留めることになりがちです。つまり、外部からの批判を避けるための形式を整え、他方では政治活動を合法的に取り締まる法律(例えば「暴動教唆罪」など)を残す、というやり方です。アフリカではこれにより、制度的には複数政党制でも、実質的には一党制に近いような国が多く残ることになりました。

1991年に反政府ゲリラ組織「愛国救済運動(MPS)」が政権を武力で奪取し、1996年に複数政党制が明記された憲法が採択されたチャドでは、定期的に選挙が行われているものの、その後も一貫してMPSが議席の多くを占めてきました。現在、MPSは188議席中110議席を確保しています。そして、選挙では政府・MPSや、その支持者らによる野党支持者への妨害やいやがらせが絶えません。2008年には、最大野党党首ンガレジ・ヨロンガが当局に拘束され、隣国カメルーンで監禁・拷問されていたことが発覚しました。

それでも、先進国はチャド政府、およびMPSを率いるイドリス・デビー大統領に寛容で、少なくとも制裁や批判が正面から行われることは、ほとんどありません。その最大の理由は、大きく二つあります。一つは、チャドが日産17万バレルの産油国であり、先進国がその主な顧客であること。もう一つは、隣接するスーダン、リビアに対抗するための「手駒」としてチャドと友好関係を維持しておく必要性を見出していたことにあります。

資源と、目障りな国への牽制。この二つの要素は、ミャンマーにも該当します。ミャンマーは世界最大のルビー産出国であるだけでなく、天然ガスも産出します。このうち、天然ガスは年間約85億立方メートルを輸出しており、その多くは中国向けです。先進国がミャンマーの軍事政権に経済制裁を敷いている間に、中国がその利権の多くを確保してきたことに鑑みれば、先進国には、こぞってミャンマーとの関係改善を望む環境があるといえるでしょう。それだけでなく、人件費が上がった中国からインドシナ半島への各国企業の生産拠点流出は顕著で、地理的に言えば、その先にあるのはミャンマーです。

しかし、欧米諸国にしてみれば、ミャンマーとの関係改善をしたくとも、人権侵害などを理由に経済制裁を敷いてきた手前、そこに何らかの変化がない限り、行動パターンを変化させることは困難でした。ミャンマーの軍事政権がそこをどこまで見切っていたかは不明ですが、少なくとも結果としては、振り上げた拳の下ろし時を探っていた先進国に、絶好の機会を提供したことになります。

一方で、ミャンマーにしても、先進国、特に欧米諸国と敵対的な関係であり続けることは、決して得策とは言えませんでした。既に述べたように、先進国が経済制裁を敷くなか、ミャンマーと経済関係を深めたのは中国でした。いわばミャンマーは、先進国に対するカウンターバランスとして、中国に依存してきたのです。しかし、他の東南アジア諸国と同様、中国のオーバープレゼンスは、ミャンマーにとっても好ましいものではありません。基本的には中国との友好関係を維持するにしても、欧米諸国との関係を築いておくことは、対中関係における自らの発言力確保につながるのです。

このように眺めてみれば、ミャンマーにおける「民主化」は、ミャンマーと欧米諸国の間の利害の一致の産物と言えるでしょう。そして、一旦利害が合致すれば、チャドでそうであったように、欧米諸国は人権侵害や民主化を理由に制裁や非難を行うことは控えるようになります。そうであるならば、例え体制転換が行われ、政治犯が釈放されたとしても、ミャンマーでは今後とも、自由や民主主義といった理念を制約する制度が残存し、ビルマ人以外の少数民族の権利が脅かされる状況に大きな変化が生まれるとは考えにくいのです。

金正日総書記死亡の報に接して思うこと

 正日総書記がついに死亡しました。この数年来、体調不良が伝えられていたので、ある意味では驚くことでないのかもしれませんが、それでも唐突の感は否めません。今年9月に出版された『世界の独裁者』(幻冬舎)で取り上げた20人のうち、カダフィに次いでの死亡です。

 果たして、これで北朝鮮がどうなるのか。TVをみていると、政府も有識者も、あるいは海外メディアもいろいろと予測していますが、大きく分けて二通りの見方があるように思います。

 一方には、世代交代が進んだことで、過去との決別が可能であろう、拉致問題や核・ミサイルといった旧体制の弊害が改善される契機になるだろう、という見方があります。しかし、この期待には同意するのが困難です。北朝鮮で金正日が一人で物事を決めていたのなら、最高責任者の交代で大きな変革が生まれる可能性もあります。

 しかし、現実には金正日は、大きな政治的影響力をもつ軍部の歓心を買いつつ、これを抑える形で権力を維持してきました。つまり、「独裁者」とはいえ、一人で万事を決めていたわけでないのです。ですから、世代交代したことで、自動的に北朝鮮が国際社会に復帰するとは、ほとんど期待できません。

 第二に、金正日の退場によって北朝鮮が不安定化する、という見方があり、こちらの方が現実に即した予測だと思います。後継者となった金正恩や、金正日の妹・金敬姫らは、軍と長く無縁でした。彼らが金正日ほどに軍をコントロールしきれないだろうことは明らかです。したがって、軍が政府中央への発言力を強めることにより、「瀬戸際外交」やミサイル輸出といった、軍の存在感をアピールする北朝鮮の行動が増えることが予測されます。

 軍にとっても、現在の体制の維持は大前提です。そのなかで、できるだけ発言力を大きくしようとし、さらに集団指導体制の下、金正恩や金敬姫らはある程度、軍の要望を呑まざるを得ない状況が生まれると考えられます。その意味では、一年、あるいは半年以内に、ミサイル実験が再び行われたり、あるいは昨年の延坪島砲撃事件のような出来事が発生することも、あながちないとは言えません。

 「独裁者」と目される人間が、自分ひとりの意思で物事を決めていることは、実はほとんどありません。どの国、どの時代であれ、ほとんどの場合、「独裁者」の周りには権力と、そしてそれに起因する富を求めて、砂糖に群がる蟻のように、ひとが集まってきます。「独裁者」は彼らを従えながらも、その支持に基づいて自らの権力を保持している以上、彼らの要望に応えなければならなくなります。

 ロシアのプーチンは、ソ連崩壊後の新興財閥による汚職に厳しい姿勢を示し、大統領就任後に軍や治安機関の力を用いて彼らを排除していきました。しかし、結局は独裁的な権力をもつプーチンの威光をかさにきた軍や治安機関による汚職が蔓延し、プーチンはそれを黙認せざるを得なくなりました。これは、「独裁者」が支持者に支えられながら、支持者に絡めとられていることを示す、一つの典型例です。北朝鮮に話を戻せば、金正日が金正恩に代わったからといって、権力の中枢に群がることで利益を求めるひとがいなくなる筈はありません。

 しかし、やや矛盾するかもしれませんが、指導部の変化が、日本を含む関係国にとって一つのチャンスになる可能性もまた、否定できません。軍の影響力が大きくなればなるほど、金正恩らはそれを抑えようとするエネルギーに駆られる可能性が大きくなります。しかし、国内に軍に対抗できるほどの組織はありません。つまり、金正恩が軍の力を政権中枢から段階的に削り落としていこうとした場合、外部の力を借りざるを得なくなります。その段階まできたとき、はじめて北朝鮮の新執行部は外部と真剣に交渉しようとすることになると考えられます。

 したがって、当面は軍の影響力が大きくなり、それを慰撫するために、外部に対して挑発的な行為が続くことになると思いますが、それを超えた先に、金正恩らが軍との関係に修正を加えようとするタイミングを見計らうことが、日本をはじめ、周辺国にとって重要な課題になるといえるでしょう。

天安門事件から22年

  安門事件から22年と聞いて、時間の経過の早さを痛感しました。当時高校生だった私は、戦車の進路に大学生が立ちふさがる情景をTVでみていました。あれから中国はよくなったのか、そうでないのか。その答えは簡単には出ませんが、一つ確実なのは、中国で大規模な民主化要求が出てくる可能性が、この数年でさらに大きくなってきたということです。

  S.ハンチントンや多くの政治学者が述べているように、一般的に言って、1970年代半ば以降世界各地で波状的に発生した民主化(ここでは単に複数政党制への体制転換を指す)は、都市中間層を主な担い手としてきました。
  
  高所得者は政府と結びやすく、貧困層は政治活動をするには時間的・金銭的余裕がなく、知識・情報も不足しがち。大卒など一定程度の教育水準と所得水準を得て、なおかつ急激な経済変動などによって政府に不満を募らせた中間層が政治変動の中心を担ったことは、偶然ではありません。

  この観点から言えば、中国の事情はある意味特殊でした。法律より人脈がモノを言い、共産党一党支配のもとで、政治だけでなくビジネスにおいても共産党との縁故が成否を分ける中では、ほとんどの中間層もやはり既存の秩序のなかで「うまくやっていく」方を選択してきたのです。
  
  つまり、1990年代以降の中国では、共産党と積極的にコネを作るメリットが大きくなったことで、中間層が政治変動の中心となることはなかったのです。少なくとも、驚異的な経済成長が続いていた間は、弾圧される可能性の高い政治活動に無理に参加するより、そちらの方が個人的には「コストが安かった」といえるでしょう。

  ただし、以前に取り上げたように、今年2月末から3月初旬にかけて中国に行った際には、これまでにないほど多くの人が生活への不満を訴えていました。リーマンショック後の世界金融危機のなかで、中国は他の新興国と同様に、先進国を尻目にいち早く景気を回復させました。しかし、それは世界で行き場を失っていたお金の多くが、それまで以上に中国めがけて集中してきた結果、ともいえます。

  必要以上の資金が流入すれば、当然インフレが発生します。一方で、賃金をあまり上げるとインフレに拍車がかかるため、中国政府も賃上げに関してあまり発言していないように思います。その結果、所得は増えず、しかし物価は上がることで、実質所得は低下するという循環が生まれてきました。

  では、この循環が加速することで、民主化運動は高まるのでしょうか? 一概にそうとも言えないと思います。

  確かに、「寄らば大樹」で共産党にくっついておくメリットが、これまでより低下しつつあることは確かで、それによって共産党への不満を募らせる人が増えることは、充分に予想されます。

  しかし、経済情勢が悪化したときに、逆にむしろ、より一層共産党との関係を強化して、「自分だけは何とか生き残ろう」とする人も出てくるはずです。どちらが多くなるかは、やはり経済状況によって左右されてくると考えられます。つまり、中国の経済状況がよければ共産党支配が安定するという構図自体に、大きな変化はないのです。

  ただし、ここでいう「経済情勢」とは、GDPやGNIなどで表される「国家全体での豊かさ」や、GDP成長率などで表される「経済成長の度合い」だけを意味しません。いかに国全体が成長しようとも、その富の寡占が進めば、多くの人の生活はより一層苦しくなるからです。つまり、胡錦濤国家主席や温家宝首相が「和諧社会」のスローガンのもとに進めようとしている富の再分配が、社会に鬱積する不満が暴発しないようにする取り組みであることは、言うまでもありません。

  しかし、富裕層の抵抗や、経済成長を阻害するという懸念もあり、「和諧社会」の実現は難しいようです。その意味では、富の再分配と社会不満に火が着くのとどちらが早いかのレースになっていると言えるでしょう。

  UNDPの統計では、中国のジニ係数は2004年度で46.9で、ほぼ同時期のアメリカの40.8(2000年)を上回ります。この後、どれくらい格差が広がっているかは不明ですが、仮にこれがさらに拡大しており、それが止まらなければ、「民主化」と呼べるかどうかは分かりませんが、大規模な政治変動が起こることは避けられないとみられるのです。



中国:巷にただよう閉塞感

   日、中国から帰国しました。関係する大学の資金で、北京大学、湘潭大学(湖南省)、雲南大学をめぐって中国のアフリカ研究者と情報交換する機会をもらいました。そう言うと、「中国語できるんだ」という誤解を招くことが多いのですが、知ってるのはニーハオ、シェーシェー、サイチェの三語だけ。最近は中国でも英語を話せる人が多いため助かっています。

  ただ今回は、本来の目的である中国のアフリカ研究者との情報交換と同じくらい、中国社会の動向が気になりました。中国の現体制は、あとどれくらいもつのかという問題です。

  2月、中国のGDPがついに日本を上回ったことが正式に発表されました。ただ、ほとんどの中国の人々は、それを聞いても肩をすくめるか、笑いだすだけ。自分たちの生活には全く関係がない、というのが大方の意見です。むしろ、日本以上に大学生の就職率が低く、食糧、エネルギー、住宅を中心にインフレが進むなか、所得は据え置きという人がほとんど。実質的な生活水準は、徐々に低下しているということです。

  3月3日付の
China Dailyに、生活に関するアンケート調査が載っていました。人民日報ならそんな記事は載らないのでしょうが、英語だからという気安さがあるようです。ともかく、その結果からは生活の逼迫と社会への不満が醸成される様子がうかがえます。

  例えば、「今幸せか」という質問に「幸せ」と回答した人はわずか6パーセント。これに対して、「幸せでない」は49パーセント。「5年前と比べて幸せか」という質問に「さらに幸せ」と回答したのは10パーセント。「幸せでない」が64パーセント。そして、「何が幸福にとって最も重要か」という問いの回答でダントツ一位だったのが「富(wealth)」の39パーセント。

  つまり、このアンケート調査からは、中国のほとんどの人が物質的な逼迫によって、幸福感が衰退している現状をうかがうことができるのです。そこには、わずか6パーセントの富裕層だけが豊かさによる幸福感を享受し、その他大勢の人々が希望を見出しにくくなっている現状があるのです。

  そしてこれは、共産党が自らの首を絞めることになっています。天安門事件に象徴される民主化運動が勢力を停滞させた最大の要因は、共産党が自ら主導した改革・開放と、それによる「生活への満足感」でした。ところが、30年間の間に権力だけでなく富までもが一部の人間に集中することで、「生活の満足感」が損なわれ、「支配の正当性」そのものが失われつつあるのです。「社会主義」と「市場経済」の融合という、もともと無理のあった取り組みのツケが、そろそろ出てきているとみて間違いないといえるでしょう。




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