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  • 2014.03.05 Wednesday
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哲学者の横顔(2) 空中戦の勝者 ジョン・ロック

   あらゆる思想・哲学は時代的背景と無縁に生まれません。しかし、それぞれの時代や国の特殊性を超えて波及する浸透力のあるものもあり、それらが今日において「古典」と認知される哲学となっているのです。近代以降の政治哲学者のなかで、時代に翻弄され、そのなかで深めた思索が後世の各地に伝播したという意味で、J.ロックはその先駆けであったといえるでしょう。立法権と行政権の分離、抵抗権、そして思想・信条の自由を核とするロックの思想は、その後の自由主義の基礎となりました。ところで、思想家ロックの思索的背景を考えるたび、新谷かおるの戦場漫画「エリア88」を思い出さずにはいられません。

  目に星が散っているうえに、女性と見まごうばかりに華奢なキャラクターや、「君は何のために戦ってるんだ?」「俺を裏切った大空のためにさ」といった、やや演出過剰な台詞が気になる点は差し引いても、兵器描写のリアリティや登場人物の多様さなどで、「エリア88」は他の戦場漫画の追随を許しません。舞台は中東のアスラン王国。王位継承を巡る王族同士の内戦で、政府空軍を実質的に支えていたのは、最前線基地「エリア88」と、そこに3年契約で集められたエトランジェ、つまり外人部隊の傭兵。「3年後に生きて帰れれば運がいい」という地獄の最前線を指揮する基地司令は、現国王の甥で反政府軍頭目の長男の、王子サキ・ヴァシュタール中佐。独立記念日を祝っているアメリカ出身の傭兵たちをみて、傍らの副官に「適当に切り上げさせろ。傭兵に母国はない。金を出す国が母国だと教えてやれ」という、サディスティックなまでにクールな男です。

  契約をして「エリア88」に集まってきたエトランジェの多くは、ベトナム帰りの元・米軍パイロット、訓練中に部下を全員死なせてしまった傷心の元・西ドイツ空軍パイロット、ソ連からの亡命者を運んでいて国家的陰謀に巻き込まれたノルウェー人パイロットなど、さまざま。その共通項は、「娑婆で生きていけない」から自ら進んで最前線に来た、ということ。しかし、主人公で日本人の旅客機パイロット風間 真は、友人の裏切りでエトランジェとして契約させられ、無理やりつれてこられたため、「生きて帰る」ことに執念を燃やします。脱走を図った日本人訓練兵に「人を殺してまで生きたいのかい」と言われショックを受けながらも、「やらなきゃやられる」と繰り返していた真は、ひょんなことからサキの命令によって任期途中で除隊。しかし、自らの安全を図ってくれたサキの危機を助けるため、そして世界を巻き込む大きな陰謀に立ち向かうため、自ら再びエリア88にやってくるのです。

  現代の、少なくとも国家間の戦争は、制空権が勝敗を大きく左右します。ところで、政治闘争においても、地上戦と空中戦があります。同調者を一人ひとり集め、勢力拡大を地道に図るのが地上戦だとすれば、いかに自らの立場を正当化できるかの論陣を張る思想戦が空中戦です。ロックが生きた時代の英国は、清教徒革命後の内乱の最中にありました。当時の対立軸は、国王対議会という権力闘争に加えて、宗派間対立にありました。嫡子がいなかったチャールズ2世の後継をめぐり、カトリック信者だった王弟ヨーク公を王位継承第一位の座につけるべきか否かで、国王派(トーリー)と議会派(ホイッグ)が対立。当時、ロックは議会派の大物シャフツベリー伯爵の私設秘書でした。シャフツベリー伯爵はパンフレットの発行など、世論に訴えることに長けた政治家でしたが、そのブレーンこそ、私設秘書のロックだったのです。

  二人はオックスフォードにある温泉で出会ったと言われます。シャフツベリー伯爵が非国教会プロテスタントへの寛容を示しながらもカトリックを敵視し続けたのに対して、ロックの寛容論はカトリックをも含むものでした。その意味で、両者の間には思想的な乖離もありました。しかし、ロックにとってシャフツベリー伯爵は友人であると同時にパトロンでもあり、その演説やパンフレットの多くを手がけたと言われます。チャールズ2世との対立の末、武装蜂起直前にまで至りながらも政争に破れ、シャフツベリー伯爵がオランダに亡命すると、ロックも後を追うように亡命します。ところが、シャフツベリー伯爵はオランダで急逝。名誉革命で体制が安定したことで、ロックはようやく帰国できました。ロックが「統治論」や「人間知性論」、「寛容に関する書簡」などの主著を著したのは、このオランダ亡命中から帰国直後の時期に集中しています。

  抵抗権や思想信条の自由を訴えるロックの思想が、自らやシャフツベリー伯爵の立場を保全するためのイデオロギーに過ぎなかった、とまでは言えません。しかし、「統治論」において、当時トーリーの思想的基盤であったフィルマーの「王権神授説」を逐一論破したうえで、「同意に基づく支配」という社会契約説を打ち立てていった背景には、まさに「やらなきゃやられる」という切羽詰った政治状況があったことは確かです。そして、「統治論」によってこの思想戦を制したことが、英国において自由主義を確立し、議会制民主主義への道を大きく切り開いていったのです。シャフツベリー伯爵の墓標に刻まれた「常に公共の利益を求め、私欲に動く者を許さず、信仰の自由と市民の権利の不屈なる擁護者」という銘は、ロックが刻んだと言われます。パトロンと秘書という雇用関係を超えて共闘したシャフツベリー伯爵とロックの姿は、スポンサーとエトランジェの立場を超えたサキと真にダブってみえてくるのです。


哲学者の横顔(1) ソクラテス・ザ・ハードボイルド

   代の哲学は、古代ギリシャのプラトンとアリストテレスが、その大きな流れを作ったと言えるでしょう。しかし、その死によってプラトンに大きな影響を及ぼしたソクラテスもまた、見逃すことはできません。プラトンの著作で描かれるソクラテスは、頭脳明晰である一方、ちょっと気弱なところがあります。プラトンの『国家』では、論敵でソフィストのトラシュマコスに怒鳴りつけられ、震え上がるといったシーンもあったりします。しかし、このように「タフガイ」とは一見無縁のこのソクラテスこそ、ハードボイルドの元祖だといえます。

  ハードボイルド小説は、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』(1930)を皮切りに、1930年代のアメリカで生まれました。当時、アメリカには「でもしか」の私立探偵が多くいました。第一次世界大戦から無事に復員したものの、世界恐慌で仕事にありつけず、探偵「でも」するか、探偵「しか」ないといった人たちでした。ハードボイルドにつき物のトレンチコートも、第一次世界大戦の塹壕(トレンチ)戦で用いられ、復員兵がよく着ていた当時のアメリカの風俗を反映したものです。このような時代背景の下、E.S.ガードナーやロス・マクドナルド、ミッキー・スピレインなど、多くのハードボイルド作家が世に出ましたが、なかでも絶大な人気を集めるのがレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウのシリーズです。個人的にも、このシリーズがハードボイルド小説の最高峰と思います。

  マーロウの台詞として有名なものに、『プレイバック』で出てきた「強くなければ生きていけない、 優しくなければ生きていく資格がない」(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)というのがあります。これはこれで、いかにもマーロウらしいのですが、むしろ『湖中の女』にあった台詞の方が、ハードボイルドの真髄を表しているように思います。依頼人である会社社長キングスレーに、「君の口のきき方は気に入らない」(I don't like your manner)と言われて、マーロウ曰く。「結構です。別に口のきき方を売っているわけでないので」(That's all right. I'm not selling it.)。あまりモノを考えなかった高校生の時代、ひときわ大きな印象を受けた記憶があります。

  出版社や翻訳者によってディテールに差異はありますが、基本的には同じことだと思います。この時に限らず、マーロウは依頼人からよく、『マナーが気に入らない』と言われています。それはマーロウが、依頼人の尊大なものの言い方を揶揄したり、あるいは彼らが触れられたくないことを遠慮なく言ってしまうことへの反感の表れ、と言えるでしょう。しかし、依頼人を怒らせたり、へそを曲げさせることを恐れ、それをしないように配慮することは、マーロウにとって重要な問題ではなかったのです。彼にとって重要なことは依頼の内容であり、それを引き受けるかどうか、さらに引き受けたならば、その完遂にあるわけです。そして、一旦引き受けたなら、いかなる権力、権威、脅迫、誘惑も、執拗に依頼内容を遂行しようとするマーロウを止めることはできません。

  ところで、ソクラテスもまた、周囲からの反感を集めました。ソクラテスが処刑された公式の理由は、「青年に害悪をもたらした」というものでした。行動する哲人ソクラテスは一冊の本も著さず、ひたすら道行く人をつかまえて問答を続けました。そのなかで、従来当たり前と思っていたことが当たり前でないことを青少年に悟らせ、さらに名だたる知恵者の無知ぶりを白日の下にさらけ出させたことが、アテネ市民の怒りを買ったのです。審判の場で、ソクラテスには罪を認めることで国外追放など減刑を願い出るという選択肢もあったといわれます。しかし、それをしなかったことは、『ソクラテスの弁明』で明らかです。さらに、弟子のクリトンが獄中のソクラテスに逃亡を進めにきたときも、アテネ市民である以上はアテネの法に従うべきと言って、これを拒みました。

  時代も、国も、仕事も、そして実在の人物と架空の人物という違いを超えて、ソクラテスとマーロウには大きな共通項があります。世の中の常識より、物質的な利益より、あるいは身の安全より、自分のなかにある最優先事項をあくまで守ろうとする生き方がそれです。知を愛し、ひたすら真理を探求し続け、アテネ市民に無知を自覚させるためには、社会的に排斥されることも厭わなかったソクラテスの生き方は、周囲との軋轢を生みながらも、あらゆる妨害や危機を乗り越えて事件の真実を追い求めるマーロウの姿と重なります。トラシュマコスに怒鳴りつけられて震え上がっていたソクラテスの姿は、危機においても洒脱な台詞をかもし出すマーロウとは似ても似つきません。しかし、そんな一見さえないソクラテスこそが、チャンドラーのマーロウより2000年以上も前に、ハードボイルドの真髄を体現していた人間であったと言えるのです。


哲学の受容に関する文明論的考察

   哲学ブームと言われながら、それは日本に哲学を普及させる一助となるのでしょうか。一面において、これには否定的にならざるを得ません。それは、日本の文化的特質に原因があげられます。現代の哲学は、その多くが古代ギリシャを起源とします。そして、その最大の特徴は、合理性に基盤があるということです。当たり前と思うかもしれませんが、これは案外重要なことです。つまり、合理性を旨とする哲学がいかなる文化圏においても受容されるか、という問題なのです。

  ドイツの哲学者ヤスパースは紀元前800年ころから紀元前200年頃、世界各地で人類が同時発生的に精神的な営みを発達させたことから、この時期を「枢軸の時代」と呼びました。この間、インドではウパニシャッド哲学や仏教が、中国では諸子百家が、ヘブライではイザヤ、エレミアなどの預言者が、そしてギリシャではソクラテスをはじめとする哲学者が、お互いを知ることもなく、それぞれが体系的な思想を生み出していきました。これはいずれも、世界全体を統一的に把握しようとする営みだったと言えるでしょう。

  しかし、これら四者は、その特質に差異もあります。科学史研究者の伊東俊太郎によると、大まかに言えば、インド思想は形而上学的、中国思想は処世的、ヘブライ思想は宗教的、そしてギリシャ思想は理論的、という違いがあります。思想や科学におけるこの差異が生まれた背景の一つとして、伊東はインド、中国、ギリシャを比較して、どのような階層がその担い手となったかを取り上げています。それによると、インドはバラモンの僧侶、中国は士大夫と呼ばれる官僚知識人、ギリシャは市民である哲学者が、思想や科学を発達させる中核になったといいます【伊東俊太郎(1985)『比較文明』、東京大学出版会)。

  つまり、この類型によると、思想や科学が、インドや中国では宗教や政治といった目的のために発達したのに対して、ギリシャでは奴隷制によって労働から解放された市民によって、それ自体を目的として発達した、ということになります。これが、宗教や政治につきものの非合理性を一切捨象した、合理性のみを追求する哲学が生まれることを可能にした、ギリシャ的特殊性と言えるでしょう。そして、これは現代のいわゆる西欧文化にも脈々と受け継がれています。それに対して、中国文明の圧倒的な影響力のもとに生まれた我が日本では、いきおい処世的な思想が支配的になりがちです。例えば「葉隠」にしても、何を普遍的な正義となすべきかといった思索ではなく、その組織や集団のなかでいかに振舞うべきか、いかなる行動原理をもつべきか、という処世的な訓示が圧倒的に多いのは、偶然ではありません。

  その意味で、個人のレベルではなく日本社会全体を視野に入れたとき、合理性を旨とする哲学の受容には、文化的にどうしても制約があると言わざるを得ません。しかし、その一方で「日本文化」なるものは永久不変のものでもなく、時代に応じて変化を遂げてきました。特に、これだけヒト、モノ、情報の往来が盛んになれば、日本文化の特性を形成してきた固定的で農村的な社会のあり方そのものが変容していきます。より流動的な社会になることで、日本的な「以心伝心」や「暗黙の了解」は通用しにくくなり、論理と合理性に裏打ちされた、誤解のないコミュニケーションが求められるようになってきています。その意味で、合理的な思惟を旨とする哲学の受容に関する文化的な制約は、徐々に緩和されてきているのかもしれません。


ソフィストの時代

   前、ある人から「最近はいろんなビジネス界で活躍する人ほど、『真実』や『本当のこと』に興味をもっている」と聞かされました。その時は一笑にふしたのですが、よく考えれば別に不思議でないと思い当たりました。

  現代は、「ソフィストの時代」といえます。市民が参加する民会での意思決定や、陪審制が普及した古代ギリシャにおいては、相手を納得させ、同意させるための「弁論術(レトリック)」が高度に発達しました。しかし、それは単に論理だけでなく、口説、脅し、演技などの技巧を含むものでした。要するに、口頭で相手を同意させるためのスキルとして、弁論術は発達したのです。

  弁論術が発達するほど、その技巧を教える教師がもてはやされることになります。彼らが「ソフィスト」です。高校で世界史を教わった時には「詭弁家」と教わりました。実際には、ソフィストのなかにも哲学者がいたので、単純な「詭弁家」と片付けることもできません。しかし、相手を説き伏せるスポーツとなった弁論術が、いきおい議論での勝利を目的化することになったことは確かです。

  ところが、相手を納得させる論理が真実を言い当てていると限らないことは、言うまでもありません。この点で、多くのソフィストと対照的だったのが、ソクラテスでした。「ゴルギアス」などプラトンの著作に登場するソクラテスの論理は、論敵のソフィストたちから「無駄話」とバカにされています。ソクラテスの論理は、あくまで知を愛し求めるもので、利害や勝敗とは無縁のものでした。そのため、真理を学ぶためには自分が議論で負けても一向に構わなかったのです。

  その意味で言えば、企業(だけではないでしょうが)のディベートや会議などでは、いかに相手を承服させるかに眼目が置かれています。つまり、そこに真実があるかないかは関係がないのであり、世の中にはソフィストが溢れているということになります。もちろん、利益を上げるためにそのような技術が必要なことは否定できません。しかし、「何が本当のことか」を置き去りにした議論に虚無感を覚える人が多くなることも、容易に想像されます。

  先ほどあげた「ゴルギアス」などでは、形勢の悪くなったソフィストが、ソクラテスを恫喝し、あるいは同意見の者をかき集め、あるいは逃げ出そうとすることもあります。しかし、ソクラテスが彼らをつつきまわすなかで、常に結論が出るわけではありません。「友愛」について考えた「リュシス」では、最終的に回答が出ていません。およそ真実の探求とはそんなものと割り切れる余裕の有無こそ、逆に「真実」に近づく第一歩なのでしょう。



ミネルヴァのふくろうは飛び立つか

   情に疎いのですが、哲学がブームらしいということは、以前から聞いていました。関連書籍もたくさん出ています。きっかけは、マイケル・サンデルのようです。サンデルの主張内容は比較的シンプルだとは思うのですが、それがどの程度浸透しているのかは甚だ疑問です。しかし、確かにNHKの「白熱教室」でみる限り、講義はテンポがいいし、語りは軽妙だし、あれを観て実際にあの場に行きたいと思った人が周囲に結構いたので、少なくともマネージメントとしては成功だったのでしょう。

  ただ、むしろ気になるのは、なぜいま哲学がブームになったのかということです。結論的に言えば、それは不思議でもなんでもなく、「危機状態」に対する反応だということです。昔から、哲学者は安定して繁栄した時代や国でなく、それまで当たり前だった世界が崩壊しかけている時に現れてきました。民主政が形骸化し始めたギリシャのポリスにソクラテスやプラトンが現れ、市民革命の動乱の前後にルソーやヘーゲルが登場し、二度の世界大戦で西欧文明が危機に瀕した時にアレントやラスキが登場したように。

  ヘーゲルは『法の哲学』の序文の最後に、「ミネルヴァのふくろうは黄昏に飛び立つ」と書いています。ミネルヴァはローマ神話に出てくる女神で、知性の擬人化として捉えられています。ふくろうに変じるミネルヴァは、黄昏つまり時代の終わりになって大きく羽ばたくということでしょう。ヘーゲルの思想はともかく、この言葉はたいそう意味深だと思います。つまり、我々が直面しているのは、プラトンやヘーゲル、アレントが直面したのと同じ、大変動の時代だということです。

  近代西欧文明の、そして近代という時代の到達点が、現代のグローバル化された世界ということができます。合理主義、個人主義、立場の平等が原則となり、個々人は多くの制約から解放されています。その恩恵を否定するものではありません。しかし、それは逆に、多くの人に拠って立つべき精神的支柱を見失わせ、ますます物質主義に向かわせ、その連鎖の中で一昨年の金融危機が発生しました。日本に限らず、先進国が経済的に停滞し、先行きが全くみえない一方で、いち早く回復した新興国は、早晩世界の中心となる勢いです。

  近代西欧文明を中心とする世界。それが当たり前でなくなりつつある。それは地理的に西欧でなくとも、明治以降、近代西欧文明の「周辺文明」として生きてきた日本にとっても、大きな変動を意味します。A.G.フランクは『リオリエント』のなかで、西欧が世界の中心だったのはわずか数百年のことで、長い人類史でみれば中国などアジアの新興国にセンターが移るのは、回帰に過ぎないと捉えています。いずれにせよ、これまでの世界のあり様が大きく変動しているなかで、特にこれまでの立場を失いかねない先進国にあって、人間のあり方や個人と社会のあり方を考える哲学にスポットがあたることは、不思議ではありません。

  ただ、変動が崩壊を意味するとは限りません。かつての立場を失ったとしても、その先により善い世界を築けるかは、その時代を生きる人間の行動しだいだとも思います。これはやや楽天的ととられるかも知れません。しかし、物質的な水準のみを成功の尺度とし、物質的な進歩のみを進歩と捉える方が、人間の可能性を制約するものではないか。たとえ世界第二の経済大国でなくなったとしても、それを無闇に悲嘆するよりむしろ、より善く、より楽しく、より安心して生活できる社会の方が、望ましいのではないか。その意味で、一過性のブームでなく、ミネルヴァのふくろうが本当に飛び立つことを願ってやみません。




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