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  • 2014.03.05 Wednesday
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日本文化の象徴としての日本相撲協会

   本相撲協会が調査委員会の勧告に従い、野球賭博に関わった親方や力士の処分を前提に、名古屋場所の開催を決定しました。ただ、賭博に関わっていることが判明した親方や力士を処分することで真相究明がうやむやになっては、トカゲの尻尾きりとなってしまいます。とはいえ、暴行死事件や大麻問題など、これまでの一連の不祥事を鑑みれば、相撲協会に自浄能力を期待することは、最早できないかもしれません。


  国技かどうかはともかく、相撲は日本文化の代表格の一つです。と同時に、日本相撲協会の体質もやはり日本文化の縮図であるように思えます。日本はタテ社会であるとよくいわれます。しかし、やはり上意下達の文化が発達したドイツとは異なります。ドイツでは上からの命令を厳格に守る文化が支配的で、これがナチスによるユダヤ人虐殺を、良心の呵責なく行えた背景にあげることができます。さらにドイツの場合は、命令を下す者と実行する者が厳格に分かれています。


  これに対して、日本の場合は上意に沿うことを重視する点でドイツと共通するものの、命令を下す者と実行する者が厳密に別れていない場合がほとんどです。古来、日本では天皇の意思を「代弁する」ポジションについた者が実質的な権力を握ってきました。藤原道長、平清盛、さらに鎌倉、室町、江戸の各幕府などです。これは、いわば「下意」が「上意」を利用した支配のあり方です。現代でも、トヨタの「カイゼン」に代表されるように、現場レベルの意思が上意に反映されることは珍しくありません。


  その意味で、日本ではまったくのトップダウンというより、「下意」と「上意」が有機的に結合しやすい社会が常態化しているといえるでしょう。これは、一面で日本社会が民主的であるかのようにも思えます。ただし、この場合の「下意」とは、「絶対的な支配者を拒絶し、その代理となる小数の支配的ポジションに着く者」のそれであることが、ほとんどです。戦前の軍部支配も、自民党の領袖支配も、基本的には同じです。そして、親方が自分の部屋に独裁的・独占的な権限をもちながら、協会理事として上位組織の意思決定を事実上握る有機的な組織構造は、いかにも日本的なものといえるでしょう。


  言い換えるならば、日本相撲協会は「巨大なムラ」といえるかも知れません。土建業界の談合と同じで、このような組織やグループでは、内部の規範に反しない限り、そのなかでの生存が保障されます。しかし、それは逆に、外部のルールに対する無関心と、責任の所在の不明確さをもたらします。相撲協会の閉鎖性は日本文化のある種の象徴であり、今回の処分で「膿を出し切る」ことは不可能でしょう。その意味で、「処分を前提とした開催容認」の勧告自体が、多分に現状維持的なものであったといえるのです。


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