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  • 2014.03.05 Wednesday
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政治文明論への招待 12)「近代西欧文明による支配」の正当化

   民地主義が終わった現代においても、非西欧は西欧によって野蛮・未開といったイメージ化が生産・再生産されている、と捉える見方をポストコロニアリズムといいます。ワールドカップを例にあげると、「アフリカ人選手=身体能力の高さ」というイメージ化がそれにあたります。実際に身体能力が高い選手が多いのでしょうが、それにプラスしてテクニックや戦術があっても、ほとんどの場合はないものとして扱われます。あるいは、サッカーにさほど興味・関心がない人の間でも、このイメージだけが流布しています。身体能力の高さのみを強調するメディアの情報を介して、多くのひとのうちにある「アフリカ=野蛮」イメージが再生産されているといえます。


  先日の明治学院大学「政治文明論」では、「西欧文明の優越性」というイメージがいかに生み出されたかを取り上げました。ポストコロニアリズムについては秋季に譲るとして、今回は第2次世界大戦までの時期を中心に取り上げました(講義資料はこちら)。西欧文明が世界を支配する以前、文明間の伝播は双方向性をもったものでした。場合によっては、軍事的に勝利した側が負けた側の文明を受容することすらありました。ローマによるギリシャ文明の継承や、異民族の征服王朝による「中国化」は、その典型です。しかし、近代以降の世界では、基本的に西欧文明がその圧倒的な生産力・軍事力を背景に、異文明を近代化・西欧化する構図が定着したのです。


  しかし、異文明の支配は近代西欧文明の核心部分にある「超越性の拒絶と内在性の尊重」という原則と齟齬をきたします。なぜなら、「ルールの作り手が自分である」という内在性を無条件に尊重するならば、異文明に対してもその原則を適用すべきだからです。誰しも、自らの考え方や信念に疑問を抱いたままでは、その作業に力を注ぐことは困難です。そのため、内在性の原則と植民地支配の齟齬を解消するための論理を築くことが、近代西欧にとって重要な課題となったのです。


  15~17世紀、それはキリスト教化の論理によって正当化されました。しかし、18世紀に理性と啓蒙主義の時代を迎えると、西欧自身が世俗化したため、西欧内部でも「キリスト教化による異文明支配」という論理の説得力が弱まります。これを受けて、主流となったのは「野蛮・未開な人間を文明化することが文明人の責務」という考え方です。内在性の原則はあくまで尊重されるものの、それは文明人にのみ適用されました。逆に、「野蛮・未開」とカテゴライズされた社会や文明は、「文明化」したと認知されなければ、一人前扱いされなかったのです。いわば、大人と子供が人間として平等であっても、後者が未発達である間は、前者がその管理を行う権利があるというのと同じ理屈です。


  19世紀までに、この論理は自然科学、歴史学、文化人類学などの学問的成果を利用することで体系化されました。ダーウィンの進化論で示された適者生存の原理を社会に応用した、スペンサーの「社会進化論」は、その典型です。ここからは、環境に適応した者が生存競争を生き抜くのであるから、敗者は勝者を真似ればよい、という論理が生まれます。非西欧世界が近代西欧文明を模倣すべきと捉える見方は、目覚しい学問の発達によって基礎付けられ、西欧世界に広く浸透することとなります。その結果生まれた差別的な見方は、冒頭で触れたポストコロニアリズムとして、今日までその命脈を保っているといえるでしょう。


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