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  • 2014.03.05 Wednesday
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政治文明論への招待 11)「支配する側」の周辺文明:ロシアと日本

   日本は長く、GDPで世界第2位の座を占めてきました。それも今年で中国に明け渡さないといけないようです。「世界第二の経済大国」は日本にとって、唯一とまではいわないまでも、数少ない国際的ステイタスでした。それが失われるいま、日本の国際的存在感は否が応でも低下することでしょう。しかし、それは同時に、長年に渡って経済力以外の点で国際的な存在感を示し得なかったことを物語るものなのです。これは、日本に「魅力不足」をもたらした近代以降の歴史に由来します。


  昨日行った明治学院大学の政治文明論の講義では、ロシアと日本の近代化を取り上げました(講義資料はこちら)。両国は、言語、文字、宗教など個別の文化においては共通点がほとんどありませんが、文化の総体である文明という単位でみたとき、意外に共通点が多いのです。第一に、一国でほぼ単一の文明圏を形成していることです。第二に、近代以前にロシアはビザンツ文明、日本は中国文明という大文明の周辺文明として発展しながら、それから独立したこと。さらに第三に、近代以降は他の文明と同様に近代西欧文明の周辺文明となりながらも、それは征服されていない状態で自ら進んで近代化・西欧化を受け入れ、列強という「支配する側」に廻ったということです。


  両国の近代化・西欧化は、西欧諸国と対等に渡り合うことで自らの安全を守ることを目的に、政府主導で進められたものでした。「上からの近代化・西欧化」であったことは、両国をして、以前に示した近代西欧文明の四つの主要構成要素のうち、国民国家、資本主義経済、科学技術を優先的に受容させることとなりました。つまり、最後の要素である民主主義は、「上からの近代化・西欧化」にとっては、飾り程度のものだったといえます。国力を充実させるという目的のために近代化・西欧化を推し進めたことは、近代西欧文明の核心部分である、合理主義や個人主義に内包される「内在性の尊重と超越性の拒絶」という価値を置き去りにすることになったのです。


  もちろん、「内在性の尊重と超越性の拒絶」がプロテスタンティズムや啓蒙主義といった近代西欧に特有の歴史的条件によって生まれたことは否定できません。そのため、どこの地域でもスムーズに受容されるとは限りませんし、西欧内部でもリバウンドがあります。しかし、少なくとも個人が自らの考えや利益に基づいて行動することを是とする観念は、人間の利己心に訴えかけやすく、それがために却って文化の違いを超えて各地域に伝播する力を備えているといえるでしょう。その意味では、中国でアメリカ合衆国が「美国」と表記されるように、近代西欧文明を嫌いながらも多くの地域がそれを受容し、賛美したことは、不思議でないのです。


  これに対して、近代以降のロシアや日本は、以前の植民地支配であれ、現代の対外進出であれ、例え軍事的・経済的に一時的に勢力を拡張させたとしても、西欧諸国のような長期間に渡る存在感を示すことはできませんでした。それは、進出先の人々に普遍的な価値を示し得なかったことが、大きな要因といえるでしょう。かつてのソ連が掲げた共産主義や日本の大東亜共栄圏構想は、近代西欧文明に対する反動としての、それぞれの民族主義をコーティングしたものに過ぎなかったため、外で長期に渡って受容される求心力は、限りなく小さかったのです。「あの国のようになりたい」と思わせる力が圧倒的に小さいのは、近代西欧文明のコピーとリバウンドを繰り返してきたロシアと日本の近代史に鑑みれば、ごく当然の帰結といえるのです。


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