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  • 2014.03.05 Wednesday
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TICAD 開幕:日本―アフリカ関係の新時代か

6月1日、第5回アフリカ開発会議(TICAD )が横浜で開催されました。1993年に始まり、5年おきに開催されるTICADは、50カ国以上のアフリカ諸国の国家元首クラス、欧米諸国や国際機関、NGOの関係者を定期的に招く、日本政府が主体となる国際会議のなかで最大規模のものです。

1993年、当時大学生でアフリカの勉強を始めたばかりのころ、初めて開催されたTICADに関する報道の量の少なさ(例えば新聞記事の面積の小ささ)に驚いた記憶があります。それは当時の、国内におけるアフリカへの関心の低さを象徴していたように思います。

日本とアフリカの接近は、1989年の冷戦終結を契機にしていました。それまでアフリカは、一国でも多くの友好国を確保しようとする東西両陣営の「援助競争」の舞台となっていました。しかし、冷戦終結により、アフリカに援助する戦略的な理由は激減。さらに旧東側は自ら民主化と市場経済化の変動期に入ったためアフリカ支援どころでなくなり、「冷戦の勝者」西側でも財政負担による「援助疲れ」から、アフリカ向け援助が削減され始めました。これに対して、当時の日本はバブル最盛期。援助を削減する必要が特になかったことで、結果的にアフリカ内部の日本の存在感は相対的に向上しました。これはアフリカからみた日本接近の誘因となったのです。

一方、日本からみたアフリカは、地理的にだけでなく、経済的にも政治的にも基本的に縁遠い関係にありました。そのなかで日本がアフリカへの接近を強めた背景には、日本からみたアフリカへの期待がありました。それは、資源の確保だけでなく、日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りに関する支援を取り付けることにありました。このような日本自身の利益もあり、1993年に初めてTICADが開催されるに至ったのです。

しかし、TICADを通じた日本の対アフリカアプローチは、良くも悪くも、基本的に極めて穏当なものだったといえます。つまり、TICADでは概ね日本の利益より、「アフリカの開発と平和」をいかに実現するかが中心議題となってきました。これは日本政府、なかでも外務省が、対アフリカアプローチにおいて日本の経済的利益を前面に出すことを避けたことによるといえます。

1980年代末までの日本は、「政経分離」を標榜し、基本的に相手国の内政にほとんど関わらない立場をとっていました。その結果、アパルトヘイト体制を理由に国連による経済制裁の対象となっていた南アフリカとも貿易関係を維持し続けていたのです。しかし、これをアフリカ諸国から1988年の国連総会でこぞって批判された後、経済制裁に参加。この経緯は、日本政府をして、それまでの「国益重視」から「アフリカのための協力」へと、アフリカに対するアプローチを転換させる大きな要因となりました。言い換えれば、国益を前面に押し出していたことによる悪印象を拭い去るため、日本政府は利他的なアプローチを心がけてきたといえるでしょう。TICADでの協議内容は、2000年に国連で採択されたミレニアム開発目標(MDGs)に連動しており、アフリカの貧困削減と平和の定着を念頭に置いた、国際協力を原則にしています。

近年の資源価格の高騰は、「最後のフロンティア」としてアフリカへの関心を高めており、欧米諸国のみならず、新興国もアフリカ進出を強めており、そのなかで中国、インド、ブラジルなどもTICADと同様の会議を開催していますが、それらには政府、国際機関、NGOだけでなく、企業関係者も参加しており、一種の大商談会の様相を呈しています。空前のアフリカ・ブームのなか、欧米諸国も新興国も、少しでも自らの経済的利益をアフリカで確保することを目指していることと比較して、TICADのアプローチは総じて控え目です。

これは一方で、日本国内の、特に企業のアフリカに対する関心の低さにも連動しています。アフリカに置かれている日本大使館の関係者からは異口同音に、進出を促しても、貧困、政治腐敗、インフラの未発達、治安の悪さといったカントリーリスクを恐れて多くの企業が二の足を踏む現状を残念がる声が聞こえてきます。今年1月のアルジェリアの事件で注目されたように、アフリカ大陸でもテロの拡散が顕著で、これも日本の対アフリカ投資を抑制する一因といえるでしょう。

いずれにせよ、TICADを通じて日本は、かつてのように自国の利益をなりふり構わず追求する国としてでなく、いわば紳士的な国としてのイメージをアフリカに定着させることに成功してきたといえます。ただし、かつてのように日本が大盤振る舞いで援助できる時代は過ぎ去ったなか、現地の経済成長や所得向上に繋がる投資も、国際協力の一環として捉えなおす必要があると思います。

その意味で、TICAD 垢脇本とアフリカの関係における一つの転換点になり得ます。今回、これまでになく政府と企業の連携がみられるようになっているのです。政府は日本企業のアフリカ進出を支援するため、アフリカ投資基金を通じた金融支援を、5年間で50億ドルに倍増させることを決定。これまで「援助」や「国際協力」といった文脈で捉えられがちだった日本―アフリカ関係に、ビジネス、経済といった要素を取り入れる動きがみられ始めています。

その背景には、これまでの記事でも何度かとりあげましたが、新興国なかでも中国が国家ぐるみでアフリカに急速に進出し、欧米諸国と勢力争いを繰り広げるなか、日本が取り残されることへの危機感があるといえるでしょう。いずれにせよ、個人的には日本がビジネスパートナーとしての視点をアフリカに対して持つこと自体は歓迎できますが、それがこと資源・エネルギーという文脈でのみ語られがちなことには違和感を覚えます。

昨年12月、アフリカから初めて来日した友人を都内観光に連れ出したとき、その購買意欲の旺盛さには、ある程度予期していたこととはいえ、正直驚きました。久しぶりに会ってまず聞かれたのが、「東京は初めてだが、ミキモト真珠はどこだ」という質問でした。その後の数日間、一緒にしている仕事の合間をぬって、最近欧米で人気の日本製ランチボックスを買うために銀座三越まで行ったほか、日本製デジカメのバッテリーの買い換えで有楽町のビックカメラ、さらにロンドンで知って以来お気に入りだというユニクロや無印良品の店舗などをめぐるショッピングツアーに同行することになりました。その結果、「クリスマスの買い物は全部日本で済ませた」という一言を残して、友人たちはアフリカに帰っていきました。

もちろん、仕事で日本にくる人たちですから、高所得層、わるくても中間層です。しかし、私の友人に限らず、所得水準の向上によって、従来は高値の花だった日本商品を購入しようとするひとたちが、中国やインドと同様、アフリカで増えているのも確かです。一方で、自動車メーカーを除くと、グローバルに展開している日本企業でもアフリカは手薄というところが稀ではありません。先ほどの友人たち曰く、最大の経済大国・南アフリカでもユニクロの店舗はないということでした。そのうえで、「日本製品は全般的に好きだが、アフリカであまり売っていない」と言われました。恐らく、製品本体もそうでしょうが、スペアパーツや付属の消耗品となると、なおさらなのでしょう。日本に来る機会を捉えて、わざわざデジカメのバッテリーを買って行ったのが印象的でした。

他地域と比べて、アフリカにカントリーリスクが目立つ国が多いことも確かです。しかし、日本製品のクオリティ、コストパフォーマンスに対する信頼度はアフリカでもやはり高く、さらにそれを消費できる購買力も備わりつつあります。先ほども言ったように、アフリカとの経済的な結びつきというと、資源・エネルギーというところがクローズアップされがちですが、一方で日本からみたマーケットという視点も、ぜひ日本の製造や流通各社に期待したいところです。

そんなことを考えていたところ、TBSのCSからお声がかかり、6月4日午後3時からの「ニュースバード」でTICADについて話す機会をいただきました。かつてメディアにおけるTICADの露出の少なさに驚いていた学生時代のことを思えば、個人的には今回のTICADに関する事柄のなかで、これが一番時代の変化を感じることかもしれません。

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