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  • 2014.03.05 Wednesday
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中国艦船のレーダー照射を「面子」から考える

 2月5日、小野寺防衛相は、1月30日に東シナ海で中国海軍の艦船が、海上自衛隊の艦船に射撃管制用のレーダーを照射していたことを発表しました。これに併せて、やはり1月19日、別の中国艦船が海自ヘリコプターにレーダーを照射した可能性も明らかにしました。既に多くの報道で言われているように、これは実際の発砲に準じる行為で、少なくとも戦闘状態にない国同士の間で行われるには、あまりに攻撃的な意思表示です。

 記者会見で防衛相が「大変、異常なこと」と再三繰り返していたように、東シナ海での日中の緊張関係が一段高いステージに入ったことは、間違いありません。偶発的な武力衝突に対しては、日本政府だけでなく、米国政府も懸念を示しています。

 日本政府の抗議に対して、中国側の担当者は当初、「まず事実を確認したい」と応えたと伝えられています。「これを承知していたわけでない」という姿勢をみせた後、7日夜の声明で、中国政府は日本政府の主張が「事実に合致しない」として、むしろ日本の艦船から追尾されたと非難し始めました。

 尖閣問題をめぐる日中間の緊張が、少なくとも表面的にはやや沈静化していたタイミングで、かつての「餃子農薬混入事件」などと同様に、自らの責任を全く否定し、むしろ日本に責任の全てがあると声高に主張する姿勢に、うんざりしたひとも多いでしょう。かくいう私もそのひとりです。なぜ、中国は責任を認めないのでしょうか。

 今回の事案には、およそ二つのシナリオが考えられます。
  • 国際常識に乏しく、なおかつ反日的な末端の兵員が、面白半分でレーダーを照射した。それを公にすれば、人民解放軍の管理能力に対する評価を著しく損なうため、「事実でない」と強弁している。
  • 日本に対してプレッシャーをかけるため、実は政府レベルから、明示的であれ暗示的であれ、フリゲート艦にレーダー照射の指示があった。それもやはり公にできないので、知らなかったふりをして、「事実でない」と強弁している。

 前者の場合、まさに偶発的な武力衝突を引き起こしかねない問題です。経済的なコストや国際世論、さらに日米同盟の存在を考えれば、いま中国政府が日本相手に戦争を仕掛けることは考えにくいわけですが、現場レベルで意図しない衝突が発生してしまった場合は話しが別です。故に、仮に今回の事案がシナリオ1に沿ったものだとすると、中国政府は対外的に日本への非難を強めておきながら、他方で(こっそりと)人民解放軍の綱紀粛正に向かうと考えられます。

 一方、後者の場合、共産党、政府、人民解放軍に至るまで、中国全体が日本へのプレッシャーを強めようとしていることを意味します。シナリオ2が真実だった場合、軍事的な緊張を高める手法をとるか否かはともかく、今後とも同様のことが起こることになるでしょう。

 いずれが真実かは、今のところ藪の中です。しかし、いずれにせよ、中国が自らの責任を認めず、むしろ日本を批判していることは確かです。その根本的な背景には、中国の行動原則である「面子(メンツ)」があります。

 政治学者の木村雅昭・京大名誉教授は、中国社会を律する原則としての「面子・顔」を、自分自身の自分に対する内面的評価を重視する「名誉心」と異なり、社会的な立場によって自分に課される外面的評価を優先させる意識と捉え、その端的な例として、ノーベル文学賞にもノミネートされた中国の小説家・林語堂の文章を引用しています。「『顔』 を西欧流の『名誉』 と混同することは、悲しむべき誤りである。・・・地方長官の醜い息子が芸者屋に行ってひじ鉄砲を食い、一隊の巡警をひきつれて、その女の逮捕とその家の閉鎖を命じたとする。その息子は『顔』をかち得たわけだが、『名誉』を守ったのだとはいえないと思う』【木村雅昭『国家と文明システム』pp.243-244】

 つまり、周囲のひとからみた「自分の立場」を意識し、それにふさわしい行動を取らなければならない、というのが中国的行動パターンといえるでしょう。林語堂の例にあった「醜い息子」は、「地方長官の息子」としての社会的な立場、つまり「芸者屋の女ごときにバカにされては、他の者の手前、立つ瀬がない」という外面的評価を、「ひじ鉄砲を食ったことに逆切れするのはみっともない」という内面的評価に優先させたもの、と理解されます。このように外面を重視し、外面的評価を「立てる」ために細心の注意を払うことが行き過ぎれば、周囲から「その立場にふさわしい」という認知は得られるとしても、共感や賛同は得にくくなります。

 同時にまた、外面的評価を「立てる」ことが優先されれば、翻って内面を覆い隠すことにもなります。中国の贈答品には、箱の包装ばかり立派で、中身が貧相ということは、珍しくありません。(現代の)建築物では、遠目に威風堂々としていても、中に入ってみればひび割れなどが目立つことも、これまた珍しくありません。対人関係においても、相手の社会的立場を傷つけないことを優先させることで、儀礼的なコミュニケーションが多くなり、本心はなかなか明かさないことになります。つまり、他人を信用しないメンタリティが醸成されることになります。

 以下では、「面子」の文脈で今回の問題を振り返ります。

 まず、シナリオ1が真実だった場合、明らかに問題は末端兵員にあったことになりますが、それは「世界第二の経済大国」の軍隊(厳密には人民解放軍は党の軍隊ですが)としては、まさに面子に関わる問題です。それは国際的にだけでなく、国内に対しても同じです。「党の軍」である人民解放軍は共産党体制を支える要であり、「遊びでレーダー照射を行った」といった不始末を口にできるはずはなく、その事実を日本に指摘されたこと自体が受け入れられなくなります。故に、林語堂の例に沿って言えば、「本当に悪いのは俺様に恥をかかせたお前だ」と息巻く「醜い息子」と同じ行動パターンになることは、理の当然です。

 では、中国政府が意図的にレーダー照射を行ったとするシナリオ2が真実だった場合はどうでしょうか。この場合、国内レベルと国際レベルで分けて考える必要があります。

 まず国内レベルでいえば、日産やホンダの中国における1月の新車販売台数が、昨年9月の反日デモ以降、初めてプラスになったことに象徴されるように、一時の反日的なムードはやや緩和しているようです。しかし、上海にある日系企業で、中国人従業員がストの一環として日本人幹部らを軟禁するなど、「反日」を名目とした行為が横行していることも確かです。つまり、反日的スローガンを声高に叫ぶ人間が中国社会で多数派か否かにかかわらず、少なくとも公式あるいは明らかに、日本に対して批判的な論議を否定することは困難な状況です。言い換えれば、仮に親日的なひとであったとしても、「親日的な意見を吐いた場合に社会的な制裁を受けるかもしれない」と思わせる雰囲気があるといえるでしょう。これは、先ほど述べた「面子」に立脚した社会にある「他人を信用しないメンタリティ」と結びつきます。

 その一方で、日中間では、緊張緩和に向けた取り組みも進んできました。1月25日、公明党の山口代表が習近平総書記と会談し、日中間のハイレベルの首脳会談が重要であることで同意に至りました。この前後、鳩山元首相、村山元首相、加藤前衆院議員が相次いで訪中し、政府要人と面談を重ねました。緊張緩和そのものは、中国政府にとっても好ましいことです。しかし、緊張緩和のための対話が進むことが、中国内部の反日的世論からの反発を招くこともまた、想像に難くありません。つまり、中国政府や人民解放軍の首脳部が、この状況下で敢えて日本に対して威圧的な態度をとることは、「日本に丸め込まれるほどヤワじゃない」という外面的評価、つまり「面子」を国内的に保つ効果があるといえるでしょう。

 次に国際レベル、特に日本との関係でいえば、日本国内の中国に対する警戒感や反感が、中国政府の「面子」を損なってきたところがあります。久しく使われていない「戦略的パートナー」という言葉に象徴されるように、「相手を信用はしないが、事を構えないことが双方の利益になる」という相互理解が、日中関係の基本でした。経済的な観点からすれば、日本政府には中国との緊張緩和は避けられず、先ほど述べたような人的交流でその糸口を探ってきたとみるべきでしょう。同じことは、中国政府にも言えます。日本との緊張緩和を図ること自体、中国政府からすれば、(それは中国政府自身が生み出してきた部分もある)国内の反日的世論を抑えたものです。

 ところが、一方で緊張緩和を模索しながら、他方で緊張を高めてきたという意味で、日本政府は中国政府とほぼ同じです。安倍総理は1月18日、インドネシアのユドヨノ大統領との共同記者会見で、自由、民主主義、法の支配といった普遍的価値観を拡大する「価値観外交」を掲げました。さらに1月20日には、これを推進するパートナーとして、インドやオーストラリアを巻き込んで中国をけん制する「セキュリティ・ダイヤモンド」構想も発表しています。これらが中国を標的にしたものであることは、衆目の一致するところです。

 1989年の冷戦終結後、西側先進国は開発途上国に対して、援助の前提条件として民主化や人権保護を求めてきています。中国に関して言えば、これまでにも少数民族の弾圧といった人権問題に、主に欧米諸国から批判を受けた際、「国家主権」の問題としてはねつけてきた経緯があります。その意味で、自由や民主主義といった「普遍的価値観」を外交上の手段あるいは目的にすること自体は、目新しいものではありません。もっとも、西側先進国のなかでも日本は、形式的にはともかく、実際にはこれらの価値観を相手に強要してきませんでした。その背景には、経済的利益を優先させる日本外交の「実利主義」があったといえます。仮に安倍総理が、これらの「普遍的価値観」を政治的ツールとして捉えているとしても、その取り扱いが難しいことだけは確かです。理由は二つあります。

  • 自由、人権、民主主義といった原理に、いかに普遍的な価値があったとしても、それを強要することは相手からの反発を招きます。古くは、ナポレオンがフランス革命の理念を大義に近隣諸国を占領した結果、ドイツやスペインで反乱・抵抗が起こりました。ドイツやスペインでも自由の価値そのものは受け入れられましたが、それが他者から強制されることは、話が別だったのです。現代でも、中東諸国では人権規範が浸透する様相がうかがえますが、これを欧米諸国から強要される際には強い反発があります
  • 理念に照らしていえば、人権や民主主義の普遍的な価値を強調するならば、相手を問わずそれを求めなければなりません。しかし、実際には相手を選ぶ「ダブルスタンダード」が拭い難く、それは「価値観の政治利用」という批判を招きがちです。

 故に、自由や民主主義の重要性を訴えること自体はともかく、それを手段として用いるときには、相当程度の慎重さが求められることは確かです。しかし、例えば、同じく人権状況に問題があっても、1月初旬に麻生副総理がミャンマーに訪問した際に、そういった話題がのぼったとは寡聞にして聞きません。また、サウジアラビアに代表されるイスラーム圏諸国の多くは、欧米諸国から「女性の人権が充分保護されていない」と批判されていますが、これら「文化と人権」にまつわるセンシティブな問題に、日本政府は黙して語りません。そこには、人権や民主主義の普遍的価値を特定の国だけを念頭に強調するという矛盾があります。また、人権や民主主義といった原理を露骨に「手段として」用いることは、2003年にブッシュ政権が「大量破壊兵器をもっている」という主張のもとにイラクを攻撃し、それが発見されないとみるや、攻撃の大義を「中東の民主化」に切り替えたことを想起させるもので、やり方としては粗雑と言わざるを得ません。

 のみならず、「普遍的価値観」を強調することは、中国の「面子」に直接ヒットするもので、物質的な制裁以上に中国政府の反発を強めるものになります。もともと、「普遍」の強調には「特殊」を見下す視線があり、「否定できない普遍的原理を振りかざされる」ことは、相手にとって「自分たちが劣ったものとしてみなされている」感覚を強くします。アフリカ諸国で西欧への反発が根強い背景には、奴隷貿易や植民地支配といった歴史だけでなく、冷戦終結から現在に至るまで、ほぼ一貫して人権や民主主義の重要性を「説教」されてきたことがあります。しかも、西欧とアフリカという、いわば実質的な上下関係があるものと異なり、中国からみた日本はもはや対等、あるいは格下の相手です。米国政府から人権侵害を批判されても「内政干渉」でつっぱねてきた中国政府にしてみれば、少なくとも格上でない日本政府から「説教」されることが、先ほどから述べている「相手の社会的立場を傷つけない」という、中国の行動原則「面子」に抵触したとしても、不思議ではありません。

 仮に日本で、法令順守、個人主義、両性の平等といった今の社会常識をもった若いひとが、それらを半ば無視し続けている年配者に異議申し立てをした際、後者はどんな反応を示すでしょうか。私個人の今までの経験でいえば、「生意気言うな」とか、「昔からこうやってきたんだ」といった、およそ理不尽な返答が返ってくることが多かったと思います。つまり、中国ほどでないにせよ、日本でも(特に年配男性に)社会的立場による外面的評価を重視し、それが損なわれたときに意固地なまでに抵抗する「面子」意識は強くあると思いますが、いずれにせよ「価値観外交」に対する中国の受け止めは、これに近いものがあると思います。

 中国が自由や民主主義を欠いた国であることは言うまでもありません。また、個人的には、日本政府がその改善を求めること自体は支持します。さらにまた、今回のレーダー照射に関して、中国政府が責任転嫁を図ることは受け入れられません。

 しかし、激昂するだけが外交ではありません。まして「説教」をするからには、(欧米諸国がそうであるように)自らを律し、国内的には人権や民主主義を誠実に守らなければなりません。また、ダブルスタンダードを完全になくすことは難しいとしても、できるだけ幅広く、それら「普遍的価値」の唱導を図らなければ、説得力は出ません。ところが日本の場合、インターネットでの選挙活動、警察などによる取調べの可視化、在外投票の全面実施、外国人「研修生」の問題、難民の受け入れなど、人道・人権にまつわる問題への取り組みに、欧米諸国と比較した温度差があることは否定できません。これらを「個別の事情」と割り切り、しかも全世界的にそれを訴えるのではなく、こと中国に対してのみ人権の擁護を求めることは、いかに中国での人権侵害が日本と比較にならないものとはいえ、やや「ご都合主義」ではないでしょうか

 「中国の機嫌をとれ」と言っているわけではありません。本気で「価値観外交」でもって中国を攻めるなら、あからさまに中国を標的にして反発を煽るだけの手法ではなく、以上のような課題をクリアして「別に中国だけを標的にしたものでない」と言い張れるだけのものを用意しないといけない、ということです。そうでない限り、「価値観外交」は中国に対するプレッシャーにはなるものの、説得力を欠いたものとなり、「面子の国」中国の反発を煽る効果以上のものを期待できないのであり、少なくとも当面は引っ込めた方が懸命です。いかにやっかいな隣人でも、こちらも引っ越すことはできません。シナリオ1で検討したような、東シナ海での偶発的な衝突の危険性を今後軽減するためには、日本側にもタイミングやアプローチの再考が必要といえるのです。

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  • 2014.03.05 Wednesday
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コメント
支那共産党が周辺諸国に対して侵略行為を働くことへの対抗措置としての価値観外交ではないでしょうか?
人権問題に関する内政干渉に話をすり替えておられるように感じますが如何でしょうか。
  • げんさい
  • 2013/02/09 8:08 PM
中国・中国人は、要は中国流の面子というより小日本と馬鹿にしてる日本に戦争で負けて経済でも先に行かれて大中国の面子が立たんからいつも通り居直ってるだけでしょ。

可視化は今の警察・検察の不祥事を見れば賛成ですが
選挙の2つは急にしなければ行けないほどの問題じゃないですし、それを他国が言ってくるのか疑問!?

それより外国人研修生の問題ってどんなことですか?
あと難民の受け入れを日本はどれぐらいしてるのですか?先生はもっと受け入れろってことでしょうか?
  • メンツ
  • 2013/02/10 3:40 AM
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