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  • 2014.03.05 Wednesday
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「与党の党首を野党が支持する」危険性

  12月16日の衆議院選挙で54議席を獲得した日本維新の会の橋下代表代行が、首班指名において自民党の安倍総裁を支持するべきという主旨の発言をし、これに対して石原代表が反対して、最終的に石原代表への投票で一致しました。この方針の転換を「撤回」と表現した毎日新聞などに対して、橋下氏は「議論の過程をオープンにしたまで」として、「『撤回』の撤回」を求めています。

 「撤回」でも「修正」でも、内容からすれば「退却」と「転進」ほどの違いしかないと思いますが、いずれにしてもこの一連の出来事が、橋下氏の「民主主義」の危うさを象徴すると言えることは確かです。

 橋下氏の「この選挙結果は尊重しなければならない」という主旨には同意します。いかなる結果であれ、自由かつ公正に行われた選挙である以上、それがこの国の意思決定主体である議会の構成を決定付けるものであることは確かです。それは、「ゲームのルール」である選挙を尊重することに他なりません。しかし、「これだけ大勝した自民党、公明党が出した首班に従っていくのが、多数決、民主主義の原理」であり、それが「民主主義のイロハ」とまで言われると、そこには正面から反対せざるを得ません。

 通常省略形で言われる「民主主義」は、「自由民主主義」が正確な言い方です。つまり、日本を含む西側先進国で一般的な「民主主義」とは、自由主義と民主主義が融合した概念です。このうち、自由主義は「少数者の権利」、言い換えれば「思想信条、身体、財産などに関する個々人の権利を保障するべき」という考え方です。これに対して、民主主義は「多数者の主権」、言い換えれば「多数派の意見を全体の意見にすべき」という考え方です。

 どちらも、今の社会を形作る基本的な原理でありながら、両者は鋭く対立するものです。歴史を振り返れば、いずれか一方が優位を持った結果、社会全体に負の影響を及ぼした例は枚挙に暇がありません。19世紀のイギリスで「法の下の平等」が確立され、個々人の権利が保障されながらも、参政権が大土地所有者に限定されていたことは、自由主義が民主主義に優越する、不平等で固定的な貴族政を存続させました。一方、革命後のフランスで、少数派である旧体制支持者が、弁護される権利など個人の権利が事実上無視された革命裁判で処断されたことは、民主主義が自由主義に優越する、少数派の排斥を厭わない全体主義をもたらしました。いずれかの原理が一方的に優位を占める危険性を人間は学んできたのであり、そのために両者がバランスを保つ必要があるのです。

 この観点からすると、(それをすることは自由とはいえ)首班指名において与党の党首を推すことは、そもそも野党の存在意義を否定するものです。議会政治において、多数派である与党が意思決定能力をもつことは、「多数者の主権」に適います。例え野党支持者でも、与党中心の議会で決定されたことに従わなければならないのは、この観点から当然です。

 一方で野党は、議会における意思決定能力はほとんどありませんが、一方で社会にある多様な意見、少数派の意見を議会に持ち込む、利益表出の機能を担っています。「議会政治の半分は野党が担う」と言われる所以です。野党が与党と対決することは、「多数者の主権」が「多数者の専制」に陥り、少数者が一方的に抑圧されないようにするために欠かせないのです。いわば民主主義の暴走を抑える、自由主義の防波堤としての役割が、議会政治における野党に課された最大の任務なのです。

 もちろん、「ためにする」反対や批判は非生産的であり、まして景気、原発、TPP、安全保障など、重要事項が山積するなか、意思決定において野党が与党に協力することは必要です。しかし、野党が与党の党首を支持するとなれば、話は別です。それは議会政治を放棄し、全体主義に向かう一歩に他なりません。

 幸いにもと言うべきか、先述のように、石原代表との協議によって橋下氏は主張を引っ込めたようです。政党政治家である石原氏からすれば、首班指名で他党の党首を支持すれば、それは相手との差異が不透明化し、吸収されかねないという警戒感が働いたとしても、不思議ではありません。それはかつて、構造改革を掲げ、自民党の主流派と対立する小泉元総理が就任したとき、民主党の鳩山代表(当時)が国会の質疑で「是非頑張ってほしい」とエールを送ったことが、民主党の存在感を全くなくしてしまったことを思い起こさせるものです。政党政治における戦術という意味においても、橋下氏の判断はまずかったと言えるでしょう。

 今後の展開は注視し続けるしかありません。しかし、いかに政治的決断が遅いとはいえ、だから多数派の意思に全てを従わせるべきという思考は、危険であるだけでなく、社会の異なる利害を調整するという政治家の役割を放棄する、一種の怠慢ですらあります。そして、極めて単純化された主張に乗る支持者が増加することが、これを助長させることになることには警戒すべきと言わざるを得ないのです。

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