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  • 2014.03.05 Wednesday
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イスラーム世界における自由と民主主義の可能性

 11月24日、エジプト・カイロで軍による権力の放棄を求める広範なデモが発生しました。当初は、もともと軍による暫定統治に難色を示していたイスラーム勢力の平和的なデモだったものが、ムバラク政権崩壊後も失業や格差といった社会問題が解消されないことに不満を募らせた若年層がこれに加わり、結果的に治安部隊との衝突で数名の死者がでたようです。

  「アラブの春」の一つの象徴であったムバラク体制の崩壊と、その後のエジプトは、生みの苦しみの最中にあるといえます。「独裁者」がいなくなった状況下で、物質的な充足そのものを政府に求めるか、あるいは国民自らが統治の主体となる状態を尊重するか、のいずれかです。

  以前から再三取り上げているように、「独裁者」を打倒することが自動的に「自由」や「民主主義」をもたらすとは限りません。むしろ、社会問題の解消を政治的な変化に求めすぎれば、それが実現しなかった場合に、容易に反動が訪れます。つまり、「どの政府も自分たちの生活をよくしてくれない」という不満です。
  この不満は、しかし逆に、「生活をよくしてくれる政府がよい政府」となり、さらにこの主張を推し進めれば、「生活さえよくしてくれるなら強権的な政府でも構わない」となりがちです。この結果、人々が求める形で、独裁の連鎖が生まれることも稀ではありません。1969年にクーデタでイドリース王政を打倒したカダフィ自身が独裁化したことは、その典型です。

  生活状況の改善を政治に求めること自体は、否定されるべきではないでしょう。個々人の安全や物質的な充足は、単に私的な利益にとどまらず、社会全体の安定や繁栄に寄与するものです。しかし、万人が満足できる一元的な社会環境を想定することは困難です。
  にもかかわらず、社会問題の解決のみを目的化すれば、あり得るはずのない一元的な解決策を求めるあまり、容易に独裁に至ります。「こうするしかない」という解決策の断定的な提示は、時に人に安心感を与えます。しかし、それは結果的に、絶え間のない政治的不安定をもたらしかねないのです。

  ポスト・ムバラクのエジプトが、社会問題の解決のみを政府に求めて「独裁者の連鎖」に陥るか、あるいは手に入れた「自由」を確保するための民主的な政治体制の構築に向かえるかは、いまだ予断を許しません。

  一方で、近隣の諸国からは、1年前と異なる政治情勢の変化が見て取れます。そして、それは中東・北アフリカ地域における、さらに本格的な政治の地殻変動の前触れを予感させるものです。

  「アラブの春」の起点となったチュニジアで10月23日に行われた憲法制定議会選挙では、穏健派イスラーム政党「
アンナハダ」が勝利しました。また、11月26日に行われたモロッコの選挙でも、イスラーム主義政党「公正発展党」が議席を伸ばしているようです。

  これらイスラーム主義政党は、他の世俗的な政党と同様に、中東・北アフリカの諸国で長らく規制の対象になってきました。いずれの国でもイスラーム主義組織は、ムスリムの五つの義務のうちの一つである「喜捨」の精神に基づいて、貧困層への食糧支援や学校・病院建設など、本来は政府の業務でありながら政府が提供できない、あるいは提供しない公共サービスを、代わりに提供することで、貧困層への支持を広げてきました。そのため、各国政府からみれば、イスラーム主義組織や、その政治的部署であるイスラーム主義政党は、自らの支配の正当性を脅かすものであったのです。

  チュニジアやモロッコでこれらの政党が選挙に参加し、多くの議席を占める状況は、イスラーム主義組織の浸透度を物語ると同時に、自由や民主主義といった「普遍的理念」が中東・北アフリカに定着する可能性を示唆しています。

  ドイツの哲学者G.W.F.ヘーゲルは、「普遍」と「特殊」を相克する「個別(真の普遍)」を生む弁証法を確立したことで知られます。ヘーゲルの時代のドイツでは、革命後のフランスの影響を受けた合理主義的・理性的なエリート層と、これに抵抗する民族主義的・ロマン主義的な排外主義勢力との争いが絶えませんでした。一方的に「普遍」を受け入れることは、これに無条件に従うことから「自由」ではない。しかし、やみくもに「特殊」を強調することは、合理性を欠いた「恣意」に過ぎない。

  そこでヘーゲルのたどり着いた境地は、「特殊」のなかに「普遍」の要素を見出すこと、つまりドイツの歴史的特殊性のなかに、「人権宣言」に象徴される普遍的価値観に適う要素を見出すことでした。抽象的な理念を観念的に受容するのでなく、皇帝支配やキリスト教といったドイツの文化や歴史のなかに、それに相通じる要素を見出すことで、普遍的な理念を自らのものとできる。これなら、「普遍」への一方的従属でも、特殊への憧憬といった、合理性を欠いた「恣意」でもない。こうしてたどりついた段階を指してヘーゲルは、「特殊」があって初めて成立できる「普遍」より高い次元にある、「真の普遍」と呼んだのです。当時のドイツが置かれていた環境からヘーゲルの弁証法を読み解けば、そこにはフランス革命が生んだ普遍的理念と、ドイツの歴史的特殊性を接合することに苦闘した姿が浮かんできます。

  第二次世界大戦後、カール・ポパーの著書『開かれた社会とその敵』に代表されるように、特に英米圏でヘーゲルは「全体主義体制を生んだ人間の一人」と位置づけられました。確かに、最終的には個人と国家の有機的結合や官僚支配を正当化する議論に行き着いた点から、ヘーゲルに全体主義的傾向があったことは否定できないでしょう。しかし、他方で「文明国」フランスの影響を受け入れつつ、近代化に立ち遅れたドイツをいかに守るかに苦慮したその問題意識は、いわば近代文明の最先端地で「普遍」の中心地である「ライン河以西」では王道でなくとも、むしろ世界のほとんどの国では、多かれ少なかれ共通するものといえます。戦後の日本も、例外ではありません。

  現代の中東・北アフリカに目を転じれば、多くのひとにとってイスラームは今も社会の規範であり、その善し悪しはともかく、「宗教は個人の精神の領域にとどめるべき」という世俗主義は浸透しきっていません。まして、先述のように、これまで多くの人の生活をイスラーム主義組織が支えてきたことを顧慮すれば、チュニジアやモロッコの選挙結果は驚くものではありません。のみならず、イスラーム主義政党の躍進は、選挙や議会といった近代西欧文明の所産が、イスラームという固有の文化と結合する可能性を示しています。

  「アラブの春」の後、イスラーム主義政党が各国で林立する様相は、欧米諸国からはやや警戒をもってみられています。しかし、およそ200年前にヘーゲルの、「普遍」は「特殊」との結合によって初めて「真の普遍」にたどりつけるという指摘を考えるのに、今日の中東・北アフリカほど意義深いケースは稀かもしれません。「本家」として非欧米地域に民主化や人権擁護を求めてきた欧米諸国には、その観点からも、中東・北アフリカの今後をよく注視してほしいと思います。

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