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  • 2014.03.05 Wednesday
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南スーダン独立の意味と課題

 2011年7月9日、南スーダンが独立しました。北部の政府に対して、1955〜72年の第一次内戦、1983〜2005年の第二次内戦を経て、南スーダン住民がようやく手に入れた独立です。

 周知のように、スーダンはもともと北部にアラブ系ムスリムが、南部にアフリカ系キリスト教徒が多く、文化的、人種的な亀裂が大きな国でした。内戦はほぼこのラインに沿って行われ、イスラーム法を強制しようとしたりした北部に対する南部の抵抗、という構図が定着していました。

 この独立に関しては、既に報じられているように、石油権益をめぐる対立が表面化しています。今年5月、南北に帰属が決まっていない境界線上のアビエイに、北のバシール政権が部隊を進駐させたことは、スーダンの石油権益をめぐる南北の大きな課題を浮き彫りにしました。

 さらに、南スーダンの独立と石油に関連して、よく取り上げられるのが米中の角逐です。独立記念式典で、国家単位で祝辞を述べる機会が与えられたのは、アメリカと中国だけでした。これは、アフリカをめぐる「新たな争奪戦(New Scramble)」の縮図でもあります。

 これら石油に関連する課題・問題は、日本でもよく取り上げられるのですが、南スーダンの独立がもつ意味について、あと3つの潜在的なテーマをあげておくことができます。

 第1に、前戦闘員(ex-combatant)の処遇です。1990年代から2000年代にかけて、各地で内戦の嵐が吹き荒れたアフリカでは、戦闘終結後も武器を手放さない若年層が急増しました。1990年代のシエラレオネでは、RUF(革命統一戦線)の若年層が、上層部の決定に反してダイヤモンド鉱山を占拠し、違法輸出を続けました。彼らの多くは内戦以前、失業者でした。RUFの若年層にとって、「失業」を意味する内戦の終結は、受け入れられないものだったのです。

 戦うことしか知らず、他人を見れば「敵」と思ってしまう若年層を、生産的な社会経済活動に再統合できるかは、その国家・社会の安定性に関わる問題です。その意味で、南スーダンの石油は確かに貴重な外貨獲得源ですが、資本集約型の石油産業では雇用に限界があります。農業をはじめ、前戦闘員を雇用できる環境を整備しなければ、「平和になったら生活できなくなった」という不満を増幅させることにもなりかねません。もちろん、そのために教育の拡充が不可欠なことは、いうまでもありません。

 そして、第2に、南スーダン独立が、アフリカ全体にインパクトです。アフリカ諸国の国境線が19世紀の西欧列強による植民地支配の区画に沿うものであることは有名です。1993年にエリトリアが独立しましたが、この場合はエチオピア帝国時代の領土からの独立であったため、厳密には西欧植民地主義の遺産との決別ではありませんでした。南スーダンの独立は、植民地支配の遺産に修正を迫る、初めてのケースといってよいものです。その意味で、かつてセネガルの初代大統領レオポール・サンゴールらが唱えた「アフリカの主体性」を体現した、まさに世界史的な出来事とも評価できるのです。

 ただし、一方で南スーダンの独立は、他のアフリカ諸国政府にとって、必ずしも歓迎しにくい側面があります。多くの国では、かつてのスーダンと同様、宗教やエスニシティによる社会的亀裂があり、なかには分離独立運動を展開する勢力を抱える国もあります。カメルーンでは、旧イギリス領の地域に、旧フランス領地域中心の政府への不満が根強くあります。南スーダンの独立は、これらの勢力をインスパイアする格好の材料となります。したがって、南スーダン独立を契機に、アフリカ中でエスニック、あるいは宗教対立が激化する可能性も否定できません。

 第3に、そして最後に、南スーダン自身の「スーダン化」の可能性です。スーダンで社会的亀裂があったように、南スーダンもまたエスニシティや宗教において単一ではありません。したがって、新生南スーダンが今後、従来の多くのアフリカ諸国と同様に、(多くの場合は人口で多数派を占める)特定のエスニシティを優遇する国家になった場合、「南スーダンからさらに分離独立を求める勢力」が出てこないとも限らないのです。際限のない分裂を回避するためには、単純に頭数で選挙結果を競う民主主義でなく、エスニシティごとに議席や官職を配分する権力分有(power sharing)をはじめとする、アフリカ的アレンジが不可欠です。

 既存の国境線を維持することは、独立期の1960年代以来、アフリカ各国政府間で合意されてきた大前提でした。しかし、「主権・領土の尊重」という原則が、外部から介入されない「独裁者」の支配を蔓延させる温床になった側面も、否定はできません。そして、各国の「独裁者」によって冷遇されたエスニシティや宗教勢力が分離独立を求める、というサイクルを生んできたのです。

 その意味で、今回の南スーダン独立は、植民地主義の遺産と決別するステップであると同時に、独立以来のアフリカにおける国家のあり方を再検討し、新たなモデルを構築するための、大きな一歩となるといえるでしょう。

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