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  • 2014.03.05 Wednesday
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「柔らかい全体主義」考

災から1ヶ月を迎えようとしています。震災で被災した方々には、改めて心からお見舞い申し上げます

余震が相次ぐなか、震災は今後の原発行政に再考を促す大きな出来事にもなりました。首都圏の人間が福島県の原発に依存する構造は、例えはよくないかも知れませんが、先進国が廃棄処分できないゴミを開発途上国に持っていっているのと同じです。その意味で、震災は消費者を含めて、原発がもつ構造的矛盾を改めてみせつけたといえるでしょう。

ただ、これらのニュースをみながら、この1ヶ月間いろいろと思うところはあったのですが、それを整理するのに時間がかかってしまいました。

この間の震災に対する反応は、「柔らかい全体主義」と呼べると思います。この傾向は以前から薄々感じていたのですが、今回の震災で一気に噴出してきたものと思います。

いずれにせよ、「全体主義」というワードを敢えて使うことに違和感を感じる人もあることは、容易に想像されます。実際、私の専門である政治学のオーソドックスな観点から言えば、誤用もいいところです。

例えば、ナチス・ドイツやスターリン時代のソ連などを例に、C.J.フリードリヒとZ.ブレジンスキーは全体主義体制の主な特徴として、1.公的イデオロギー、2.単一政党、3.テロリスティックな警察、4.情報統制、5.武力の独占、6.中央統制経済をあげています。

同様にJ.リンスとA.ステパンは、1.政治的、経済的、社会的な多元主義の廃絶、2.体系的なユートピア主義的イデオロギー、3.集中的で広範な動員、4.エリートと一般国民の双方に対して限界のない、予測不可能な支配が行われていること、をあげています。

こうしてみると、少なくとも制度的、形式的には、現在の日本が全体主義体制でないことは確かです。しかし、それ以外には形容できない社会情勢がある、ということもまた、同時に言えるのです。

制度的に完備された全体主義を、形式的にも整っているという意味で「硬い全体主義」と表現するならば、今の日本は形式的にはそうでなくても、人間の行動や思考が限りなく一元化される、あるいは少なくとも、そういう無形の圧力が働く環境にあるように感じます。

詳しい内容は次回以降で述べるとして、端的な例をあげれば、「今年の流行語大賞はきっと『不謹慎』だろう」なんて言えば、それだけでも「不謹慎」の謗りを免れない、ということだけで、ある程度理解してもらえると思います。そこにこそ、戦時中に「非国民」の言葉が持っていたのと同じ社会的圧力を感じざるを得ないのです。

そういう意味で、「柔らかい全体主義」という形容をしています。

では、何を指してそのように呼んでいるのか。次回から複数回にまたがって書いていきたいと思います。

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